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「森英恵 生誕100周年感謝の会」開催で振り返る、アジア初オートクチュールデザイナーの美学

  • 2026.8.26

4年前の2022年8月11日、96歳で逝去された森英恵さん。今年4月から7月まで東京・六本木の国立新美術館で開催された大回顧展「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」では、オートクチュールのドレスをはじめとする約400点が一堂に。改めて、その類いまれなるクリエイションに大きな注目が集まりました。生誕100周年という節目に、世界を舞台に活躍した森さんの偉大な功績と、深い愛に満ちた人生を振り返ります。

リチャード・アヴェドンが捉えた、森英恵さんのポートレートに迎えられて

菅野恒平

今回、会場となった「帝国ホテル 東京」光の間の入り口には、20世紀を代表する写真家リチャード・アヴェドンが1987年に撮影し、森さんに贈ったポートレートが飾られました。1980年代、すでにファッション写真だけでなく、肖像写真の巨匠でもあったリチャード・アヴェドンの写真は、世界を舞台に活躍した森さんの華やかな軌跡を物語ります。

リチャード・アヴェドンと森さんの接点は、1966年。米国版『VOGUE』11月号で、アヴェドンが森さんのデザインによる「菊のパジャマドレス」をまとったモデルを撮影した時期にさかのぼります。当時の森さんは、ニューヨークでコレクションのショーを開いたばかりでした。東洋の美意識を西洋のスタイルに昇華した作品は高い評価を集め、ニーマン・マーカスをはじめ、バーグドルフ・グッドマン、サックス・フィフス・アベニューなど、アメリカを代表する百貨店でも相次いで取り扱われるようになります。

伝説の編集長、ダイアナ・ヴリーランドとの出会い

左が写真家のリチャード・アヴェドン、右から2人目が当時の米国版『VOGUE』編集長のダイアナ・ヴリーランド Getty Images

森さんの才能をいち早く見出し、そのドレスを見開き2ページのモデルカットで紹介したのが、米国版『VOGUE』の編集長、ダイアナ・ヴリーランドでした。ヴリーランドは、当時すでにファッション写真界の第一線で活躍していたリチャード・アヴェドンに撮影を依頼。後年、森さんを取材したアメリカ人記者が「East Meets West」と評したその独自のクリエイションは、ニューヨークを起点に、世界へと大きく羽ばたきます。

その後、ヴリーランドは森さんのドレスを愛用。メトロポリタン美術館には、1972〜73年のイヴニング・アンサンブルが収蔵されており、その来歴には“Gift of Diana Vreeland, 1984”と記されています。

27年間、パリでオートクチュールを発表

2003-2004年秋冬 パリ・オートクチュール・コレクション Aflo

米国版『VOGUE』での撮影から21年。1987年、リチャード・アヴェドンは森さんをカメラに収めます。その間に森さんは、日本を代表する国際的なファッションデザイナーへと飛躍。1977年にはアジア人として初めてパリ・オートクチュール組合の正会員となり、同年、アヴェニュー・モンテーニュにメゾンを構えました。以来2004年まで27年間にわたり、パリで毎シーズン、オートクチュール・コレクションを発表し続けます。

Hearst Owned

また1985年には、ミラノ・スカラ座で初演された浅利慶太演出のオペラ『蝶々夫人』の衣装を担当。同年、日本で雑誌「ファッション通信」の立ち上げにも関わっています。1988年には紫綬褒章を受章。翌年には文化功労者に選ばれ、1996年にはファッションデザイナーとして初めて文化勲章を受章するという栄誉に輝きました。

メトロポリタン美術館で存命写真家として初の展覧会を開催するなど、すでに世界的な巨匠として名声を確立していたリチャード・アヴェドン。その彼がレンズを向けたことからも、森さんが国際的なクリエイターとして確かな存在感を放っていたことがうかがえます。アヴェドンらしい端正なモノクロームで捉えられたこのポートレートは、1989年に刊行された、森さんの約30年にわたる仕事を集大成した大型作品集『Hanae Mori 1960-1989』(朝日新聞社刊)の巻頭も飾っています。

「美しいものを創る人は、美しい言葉を」

1959年、新宿の「ひよしや」での森英恵さん Hearst Owned

日本のファッションをけん引するだけでなく、グローバルに活躍した森英恵さん。今回の会場では、スタンディングオベーションで幕を閉じた2004年7月の最後のパリ・オートクチュール・コレクションのショーの映像も上映。森さんが戦後間もない1951年に新宿で開いた洋服店「ひよしや」の写真や、仕事場で創作に向き合う写真も展示されました。なかでも目を惹くのが、家族と過ごすひとときを捉えた1950年代から60年代のアーカイブ写真です。

世界的な成功を収め、多忙を極めるなかでも、家族との愛情に満ちた時間を大切にし、人としての矜持を失わなかった森さん。その歩みをたどる年譜の下には、こんな言葉が記されています。

「日々新。私の生き方が凝縮されています。いつも自分をリフレッシュしながら走ってきました」

2004-2005年秋冬 パリ・オートクチュール・コレクションのフィナーレに登場した森英恵さんと、ウェディングドレスに身を包んだ孫の森泉さん Getty Images

今回の会に参列した孫の森泉さんは、祖母の生き方をこう振り返ります。

「祖母は本当にたくさんの方々から愛されてきました。そして、どんなに大変なことがあっても、けっして愚痴を言わない人でした。『なぜ愚痴や弱音を吐かないの?』と聞いたら、『私は美しいものを創っているから、汚い言葉を口にしたくないの』と。戦後の大変な時代に仕事をスタートし、亡くなるまでファッションデザイナーとして生き抜いてきた祖母のこの言葉は、今でも忘れられません。愚痴を言いたくなると、この祖母の言葉を思い出します」

菅野恒平

70年のデザイナー人生のなかで、ファッションを通して世界中の人々に夢と可能性を届け続けた森英恵さん。その輝かしい偉業はもちろん、根底に流れる深い愛と、揺るぎない美学もまた、次世代へと静かに受け継がれていきます。

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