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【ミケーレ・デ・ルッキ×伊東豊雄】機能を超えるデザインの原動力とは?

  • 2026.8.10
YOSHIYUKI NAGATOMO

来日中のミケーレ・デ・ルッキを訪ねたのは、建築家の伊東豊雄。メンフィス誕生の奇跡や、エットレ・ソットサスとのエピソードなど。初対面の2人が、イタリアデザインの歴史と現在を語り合った。誌面では掲載しきれなかった対話を含めた拡大版でお届け。

『エル・デコ』2026年8月号より。

YOSHIYUKI NAGATOMO

建築家の責務は、人々の暮らしをデザインすること

イタリアモダンデザインの大きな流れと共に活躍の場を広げてきたミケーレ・デ・ルッキ。素材やフォルムへの深い洞察に基づいた、自身のコレクション「プロデュツィオーネ・プリバータ」の活動を紹介する展示会が東京で行われた。そこを訪れたのは建築家、伊東豊雄。意外にも初対面であるという。2人はイタリアのデザインをどう見ているのか。

<写真>東京で行われた「プロデュツィオーネ・プリバータ」の展示会を訪れた伊東を一輪のバラと共に迎えるデ・ルッキ。二人をつなぐ建築を軸に話が弾んだ。

YOSHIYUKI NAGATOMO / Hearst Owned

伊東豊雄(以下I) 私はミラノ・トリエンナーレという美術館でアンドレア・ブランジさんの展覧会の空間構成を手掛けたばかりなんです。以前に家具をデザインしたとき同様、イタリアの職人の腕の良さに驚きました。彼らは私の意図を深く察し、さらに工夫を重ねて思いを実現してくれたのです。

ミケーレ・デ・ルッキ(以下D) はい、知っています。もちろん私もその素晴らしい展示会場に足を運びました。 私はメンフィスの活動を通じて、多くの職人と知り合いました。そのつながりを大切にしたいとの思いから、メンフィス後もオブジェや家具のコレクション「プロデュツィオーネ・プリバータ」を始めたのです。

I イタリア人には生活を楽しむ「遊び」がありますね。非常に広い意味を持つ言葉ですが、それは生活を楽しむことと言ってもいいのかもしれません。

D イタリアの建築やデザインは、常に遊び心や楽しさと向き合っています。

I 日本の建築家は、主に建築と家具をデザインするにとどまります。しかしイタリアからは食器、車、ヨットのデザインまでさまざまなオファーが来る。ミケーレさんも早くから家具などについて考えていらしたのでしょうか。

D
私が建築を学んだ1970年代に時代を席巻したのがラディカル・アーキテクチャです。自ずと建築にとどまらず、人々の暮らしまでデザインすることが求められました。エットレ・ソットサスも「建築家は建築だけを考えていればよいのではない。建築の中に置かれるもの、小さなプロダクトに至るまでを考えることが建築家の責務だ」と言っています。そして人々の生活を考えることは歴史、つまり自分が生きる時代、その精神についてまで考えることを意味します。次の時代、そして人々の生活がどう変化していくのかまで予測していくことが求められるのです。

<写真>デ・ルッキ自らが運営するブランド、「プロデュツィオーネ・プリバータ」の折り畳みチェア“セディア2007”(¥627,000)とコートハンガー“タンティサルッティ”(¥704,000)。/共にツナシマ商事

YOSHIYUKI NAGATOMO / Hearst Owned

メンフィス創設時のエピソード

I 日本にメンフィスのデザインが届いた時は驚きました。みなさんがエットレの家に集まり、突然創設が決まったという話は本当ですか。

D はい。その夜、ボブ・ディランの「メンフィス・ブルース・アゲイン」を収録したレコードが流れ続けていたことに由来します。当時は毎晩、エットレの家に集まった若者が彼の話を聞いていたのです。

I モダニズムが持つ冷たさ、人間と距離を取るようなことへの反発から始まったのでしょうか。

D それは起こるべくして起こった奇跡のような出来事と説明するほかありません。みんなにルールを破ってしまおうじゃないかという気持ちが湧き上がり「メンフィスをやろう」と決心したのです。

<写真>メンフィスから発表した“ファースト・チェア”。シンプルなシートとグラフィカルなアーム、バックレストを取り付けたベストセラー。

YOSHIYUKI NAGATOMO

I 倉俣史朗さんを通じてエットレと出会い、来日時によく食事もご一緒しました。彼は女性の話ばかりしていましたが不思議といやらしさはなく、まるで詩を聞いているような美しさがありました。

D それがある意味でエットレのデザインアプローチを物語ります。常に官能性、感覚、感情、そして色や形といった捉えどころのない側面と深く結びついていました。

I 私も「アレッシ」のためにカップをデザインしましたが、毎朝エスプレッソを飲むのに使うのはエットレがデザインしたカップです。以前に建築も見ていただき、「もっと人のために温かいものをつくらねばならない」と言われました。今の話に通じるものと言えるでしょう。

D デザインは美しさのためではなく、笑顔のため、心地よさのため、そして楽観的な気持ちをもたらすためにあると考えていましたから。80年代にミラノがファッションの全盛期を迎えたことも大きな影響を与えました。エットレは「ファッションこそが時代を最もよく表し、最も早く進化し、最も強いイメージを生み出し、人々のライフスタイルに最も深く関わるもの。なぜ共に歩めないのか」と言いました。常に時代を象徴するファッションに対し、インテリアや建築もそうであるべきだと。過去の写真を見ても、私たちは人々の服装で時代を推測します。そのように常に時代を象徴するファッションに対し、インテリアや建築も時代を反映させなければならないと。そこでファッションと密接につながり、ムーブメントやプロダクトにしていこうと考えたのです。

<写真>木、金属、ガラスなどを素材として扱い、デ・ルッキの創造性が息づく「プロデュツィオーネ・プリバータ」の展示を2人で見て回った。

Photo Andrea Branzi By Toyo Ito.Continuous Present Installation view, Foto/Photo Andrea Rossetti ©Triennale Milano

異色のエットレ・ソットサスと、繊細なアンドレア・ブランジ

I その中でアンドレアはどのような役割を果たしたのでしょう。

D 誰も予想しないような独創的で異色のアイデアで、私たちをいつも驚かせる人でした。みなで同じ方向に進もうとすると、別の可能性を示してくれたのです。エットレは骨太で重厚で色彩豊か。対してアンドレアは軽やかで繊細で透明感がある。まったく異なる個性を持っていました

I 展覧会は回顧するのではなく、生涯を通じた彼の哲学を空間で表現してほしいと依頼を受けました。私は若い頃から彼と親交がありましたし、今回の機会に彼のテキストを読み返しました。後年になって自然への関心が高まっていく思想を展覧会にし、生涯を通じて消費されるデザインを意識しなかった姿勢についても目を向けました

D 私にとってもう一人の偉大な師です。というのも、アンドレアこそが私に教師となることを説得してくれた人物なのです。エットレはたまに講義をする程度でしたが、アンドレアはドムス・アカデミーを設立し、ミラノ工科大学でデザインを教えました。私にも言いました。「人に教えることで自分も学べるのだ」と。彼は非常に冷静な視点で、勇気を持って別の意見を言える人物でした。

<写真>ミラノ・トリエンナーレで開催されているアンドレア・ブランジの展覧会『Continuous Present』(~10月4日)は伊東が会場構成を手掛けた。ブランジが初期に提唱した〈No-Stop City〉のインスタレーション。

Photo Andrea Branzi By Toyo Ito.Continuous Present Installation view, Foto/Photo Andrea Rossetti ©Triennale Milano

I 確かにアンドレアは独自の視点から反対意見を述べることもありました。しかしそれさえも、みなの考えと調和をもって表現される。それにいつも驚かされました。

D 機能主義のデザインに対し、人間はそれだけだと満足ができないのだと彼は言いました。私たちには機能を超えた何かが必要です。

I 以前に日本で展示をされた時には「ロッジア」(イタリアで生まれた建築意匠のこと。建物に沿ってつくられた屋根がある半屋外空間を指す)をテーマにしています。私もロッジアを重要なテーマだと捉えています。内外の中間こそが大切だとおっしゃっていることに共感しました。私たちのあいだに共通点があるとも感じたのです。

D 私も伊東さんがキュレーションされた展覧会を訪れ、現代におけるインスタレーションについて深く考えさせられました。鏡に覆われた展示空間では、展示されているのが物体ではなくまさに一つの空間であると。遠く、遥か彼方へと続く無限の空間が展示されており、あちこちに物や照明が配置されています。つまり、それはまさにインスタレーションであり、感情を呼び起こす空間そのものなのです。単に物を展示するのではなく、すべてのものが繋がっていて、その遥か先まで訪れた人々が目にし、想像することができるという、全体がインスタレーションになっているのです。ただ彼にまつわる思い出の品がぽつぽつと置かれているだけではない、このインスタレーションの空間全体が、まさに学びの場であり、素晴らしい展示空間なのです。

<写真>同会場。流動的な空間の中にブランジの多様な作品を
展示。

KAI NAKAMURA

自然と建築と未来

I そうおっしゃっていただくと元気をいただきます。

D 私は、伊東さんが伝統的な構造を排除して建築に取り組む姿勢に強い感銘を受けます。柱は常に存在し、柱としての役割を果たし続けています。しかし伊東さんは柱という枠を超えていくことに成功した唯一の人物です。建築家は通常、まず柱を考え、床と屋根を重ねていくものですが、それを取り除いてしまった。柱ではなく、全体が建物なのだという感覚を私たちに与えてくれます。それはまるで建築が自然の風景となる。建築自体が一つの風景を作っているような感覚をもたらします。建築は自然の中で威圧的な存在であってはならず、その延長でなければならない。それを私に教えてくれたのは伊東建築です。

I 非常にありがたい言葉です。自然とは常に川の流れのようなものです。渦を巻いているような場所も人が立ち止まる場所もある。それを建築で実現したいのです。今回のインスタレーションも空間全体が一つの想像力へと変わっていくことを意図したつもりです。ただ、現代の建築はどうしても人工環境に頼らざるを得ない。すると内外は分断されてしまいます。そのなかで、先ほどお話ししたロッジアのような内外をつなぐ概念は非常に重要です。日本もかつては縁側を通じて内外がつながっていたのですが、現在はそのつながりが遮られてしまった。そこでいつもどうにか中間領域を作りたいと考えているのです。しかし、近代建築はこれを捨ててしまいました。

D私たちがやるべきことは山積みですね。今も神戸で建築のプロジェクトを進めています。国立公園内に学校とホテルを建設するもので、起工式を終えたばかりです。

I楽しみですね。

Dたくさんの小さな建物で構成することで、国立公園内の森に溶け込むような校舎としています。学校からは六甲山を眺め、神戸港を見渡すことができます。

I 私が今考えるのは、ほとんど建築のことばかり。ただ、それが実現するときに生きているかどうかを考えねばならない年齢となりました。建築が完成するたび、次はさらに良くなると考えてしまいます。その繰り返しでここまでやってきたので、おそらく最後まで同じでしょう。かつてエットレから言われた「もっと人間のために優しくなりなさい」という言葉が、今はよくわかります。

D メンフィスの後にもさまざまな出来事が起こりました。コンピューター、テクノロジー、今は人工知能が登場したところ。常に驚くべきことが起こる。だからこそ私たちは、今を生きることを喜ぶべきです。新しい技術が暮らしをどう変えるか。好奇心や興味こそが、私の情熱であり、未来への原動力となるのです。

<写真>2016年に台湾台中市で完工した「富邦天空樹」。伊東が「プロデュツィオーネ・プリバータ」の椅子のフォルムに、この建物の姿を重ねた。

YOSHIYUKI NAGATOMO

Michele de Lucchi(ミケーレ・デ・ルッキ)

1951年、イタリア、フェラーラ生まれ。デザインスタジオ、アルキミアに参加後、デザイン集団メンフィスのメンバーとして活動。家具などのデザインに関わるほか、世界各国の建築プロジェクトに携わる。また「AMDLサークル」の創設者として多様な領域の表現や開発にも携わっている

YOSHIYUKI NAGATOMO

伊東豊雄(いとうとよお)

1941年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、菊竹清訓建築設計事務所を経て71年独立。2011年にはこれからのまちや建築を考える建築教育の場である私塾「伊東建築塾」を設立。後進の育成にも力を入れる。主な作品に「せんだいメディアテーク」「みんなの森 ぎふメディアコスモス」など。

Photo : YOSHIYUKI NAGATOMO
Text : YOSHINAO YAMADA

JUNPEI KATO

『エル・デコ』2026年8月号

Hearst Owned

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