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新木宏典、すべてを捧げるストイックな生き方に共感 『てらこや青義堂 師匠、走る』主人公の姿を通して伝えたい想い

  • 2026.7.26
新木宏典 クランクイン! 写真:岡田晃奈 width=
新木宏典 クランクイン! 写真:岡田晃奈

直木賞作家・今村翔吾の青春時代小説『てらこや青義堂 師匠、走る』を、青木豪の作・演出で舞台化、8月に東京・池袋サンシャイン劇場にて上演される。物語の舞台は、江戸・日本橋。元忍びの身ながら寺子屋の師匠として生きる男・十蔵を中心に、各々事情を抱えた筆子たちとの日々や、かつての縁から陰謀に巻き込まれていくさまが描かれる。主演を務めるのは、2.5次元作品を中心に、舞台、映画、ドラマなど多彩な活躍をみせる新木宏典。「今の生き方に重なる部分が多い」と語る今回の役どころに、彼はどのように挑むのか。話を聞いた。

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◆「十蔵は、僕のイメージそのもの」――ストイックな生き方に共感

――今回、直木賞作家である今村翔吾さんの小説が原作となっています。台本をお読みになった時の第一印象はいかがでしたか?

新木:とても分かりやすいストーリーだな、というのが第一印象です。誰が見ても理解しやすい、起承転結のはっきりした物語の制作には、東映さんはとても相性が良くてピッタリじゃないかと思ったんですよね。より多くの方に届くような、楽しんでいただける作品になるんじゃないかと感じました。

――どのような経緯で、主演の十蔵役を演じられることになったのでしょうか。

新木:4年ほど前、僕のチーフマネージャーがこの原作を読み、「これを新木で舞台化したい」と密かに温めていたと聞いています。その後、東映さんに企画を持ち込んだことで、実際にこのプロジェクトが動き始めたそうです。そういった流れがあっての舞台化なので、十蔵という役は、おそらく外から見えている僕のイメージ通りなんだと思います。

――十蔵は寺子屋の師匠であり、元隠密という人物です。ご自身にも重なる部分が多いそうですね。

新木:僕も極端な生活をしている人間なので、そこはすごく重なりますね。「これが僕の定めだ」というセリフがあるくらい、忍びとしての十蔵は、仕事をするためにプライベートの時間も忍んでいることが大前提。普段からの行いを、すべて忍びとしての仕事につながるよう、常に探しながら生きています。

僕は舞台の仕事が多く、さらに2.5次元作品と呼ばれるジャンルによく出させていただいています。漫画やゲーム、アニメなどが原作にある作品ですから、ある種“見た目の部分”で答えがすでに表に出ているんですね。だからこそ、その役を生身の人間が舞台で表現するとなった時には、違和感をなるべく減らしたいと考えます。

そして、キャラクターを演じる上で気をつけるべきことは、作品が決まってからやればいい、というものでもないんです。そういう役で呼んでいただくことが多いからこそ、日頃から気をつけていかなければならないことが多くあります。結果として、僕もプライベートの時間というのはほとんどない生き方をしているので、そういったところでは重なる部分がすごく多いように思いますね。そんな極端な選択をしている男というのは、端から見たら僕のイメージそのものに見えるのではないでしょうか。

――劇中では十蔵が筆子たちにいろいろなことを教えていく姿も描かれますね。後進に伝えていく、という部分でも今の新木さんのお気持ちに近いように思います。

新木:まず、僕がプレイヤーでいられる期限というのは限られています。そのことは、20代後半の時には、もうすでに容易に想像していました。30代に入って、いろいろな現場で実際にそれを痛感することも多々ありました。舞台の場合、概ね1ヵ月稽古をして1ヵ月本番をやります。1作あたり2ヵ月と考えたら、最大でも年6本しかできません。そう計算した時、自分が予想していた年齢に達するまでに残された本数は自然と見えてきます。そうなると、もう目の前の1つ1つの現場を丁寧にやっていくしかないわけです。

そういうマインドでやっていても、誰かに「引き継いでいきたい」と思ってもらえない限り、演劇界の歴史のなかで僕の取り組みはゼロになります。ただ、僕の考え方を一方的に伝えたい、というよりは、僕が持っているものを「引き継ぎたい」と思ってくれる人に出会いたいです。1つ1つの現場の時間はそのための時間なんじゃないかと、30代からはずっと思っていますね。

だから、出会いはすごく大切にしていきたい。一緒にやっている人たちの誰がそうなるのかも分からないですし、全員に伝えることは不可能だと思います。伝えたところで、それを「美学」だと考えられる人に伝えない限り、良いものとしては残っていきません。そうなると、僕が伝えられる確率的にはかなり低いものであることは想像できてしまいます。たくさんの方々と共演するなかで、そこに淡い期待を持ちながら、目の前のことに一生懸命、変わらずに取り組んでいくということを続けるしかない。結局は、そんな答えに行き着きました。

◆青春時代は人の顔色を窺わず「周りと違っていた自覚がある(笑)」

――比較的若い世代との共演も多い作品ですが、一緒に作品を作っていく中で、何か伝わればいいなと考えている部分はありますか?

新木:恐らく、年齢ではないんですよね。若さとかではなくみんな人として違っていて、十人十色の価値観がありますから、年齢だけで一括りにすることが正しくはないと思うんです。その上で、割合的に若い世代に多いのかな、と感じることで言うとすれば、「ムキになれない子」が増えていっているような気はします。

効率を求める生き方をしてきたからか、心が動きづらくはなっているのかな。それは逆を取れば「冷静さを持っている」ということでもあるし、全体を俯瞰して物事を捉えられる人に育ったという意味でもあります。ただ、目の前のことにムキになれる、没頭できるという熱量が持ちづらい子が多いのかな、というのは現場にいて感じます。

――新木さん自身が“筆子”のような学びの世代だったころを振り返ってみると、どのような青年だったのでしょうか。

新木:自分は周りと違っていた自覚があります(笑)。世代とか時代とは関係ないと思いますね。興味を持ったものに没頭しやすいタイプで、人の顔色を窺わない人間ではありました。周りに合わせるということに、魅力を感じられなかったんですね。

あと、衝突を恐れない人間でもあったと思います。例えばガキ大将が2人いて、どっちの派閥に入るか、みたいな状況があったとしても、僕はどっちにも入らずに1人になるタイプ(笑)。でも、どちらにも入らずに1人でいることに対して、苦痛は一切ありません。なぜなら、そんな奴らと遊んでいても楽しくないから。1人でいる方が断然、楽ですしね。興味がないものに連れ回されて、自分の時間を無駄にすることの方がもったいないと思ってしまうので……本当に自由に生きていたな、と思います。

――今のようなストイックさを、当時からお持ちだったのですね。

新木:そうですね、スタンス的にはたぶん昔から変わっていません。生き方的にも社交性が低い人間ではあります(笑)。

僕らが20代の頃にも社交性を学ぶ、むしろ強要されていた時代でもあったわけで。「飲みニケーション」なんて言葉もあって、お酒の場で腹を割り、酔いつぶれて本性をさらけ出さないと分かり合えない、なんて言っていた時代を通ってきているはずなんです。

でも僕は、酔っ払って「無礼講」と呼ばれる空気感にならない限り、本心が話せないってどういうこと?と思ってしまう人間だったので、「素面のこの場でも、全然本心話せますけど」って思っていました。そういう文化が響かなかったというのもあります。

――普段からストレートに本音を話してきているからこそ、響かなかったのかもしれないですね。年齢幅の広いカンパニーになりますが、稽古で楽しみにしていることは?

新木:初めましての方が多いので、新しい価値観に触れられることが楽しみです。「素敵な人に出会えた」という言葉を耳にすることはありますよね。でも僕は、一般的には素敵な出会いじゃなくても、反面教師として自分に新しい価値観や考え方を意識できる機会になると思うと、どんな出会いでも“出会うこと”自体が財産。今回は初めての方が多いぶん、その財産がすごく増える素敵な現場になると分かっています。あとはちゃんと人を見て、相手を理解することが必要ですね。

◆心身ともに疲れる作品は達成感がある――殺陣やアクションにも期待

――初めてご一緒する方とのコミュニケーションで、工夫されたり、意識されたりすることはどんなことでしょうか。

新木:「否定しないこと」です。否定って、自分の価値観の押し付けだと僕は考えていて、相手を理解することにはならないと思うんです。「そういう考え方をする人なんだ」と知り、受け入れることが必要ですよね。

でも「嫌だ」というのは、自分の好み、自分の物差しで測った判断なので、そう思うこと自体はいいんです。それを知れたこと、好みじゃない選択をしている人なんだということを、受け入れることが大切です。否定するのではなく、見て、考える。

もし僕が否定や拒絶をすることがあるとするなら、それは自分に害をなすような出来事があった場合だけですね。「俺を巻き込むな」と。相手が僕と違う価値観で勝手にやってくれている分にはいいけれど、そこに僕を巻き込んで、自分が好きではないことをやらなきゃいけない環境に置かれるような瞬間があれば、僕は拒絶と否定をするんだろうなと思います。

それに、今回僕は十蔵という役をいただいて出演するので、演出家ではありません。作品の舵取りは、あくまで演出家の役割。現場で僕が誰かを否定するという時点で、自分が舵を取っているような、極端に言えば「君のその芝居やりづらいからもっとこうしてよ」なんて言ってしまうことになる。

それは現場における自分の役職、自分が今入っている役目とは違うことに手を出していることになるので、そうならないよう強く意識していますし、絶対にやりません。

――あくまで自分に与えられた役目だけを全うする、と。

新木:はい。たくさんの人が関わって物を作っている、たくさんの価値観が共存する中でひとつの物語を作っているので、そうあるべきだと僕は思っています。

――作・演出は青木豪さんが手掛けられます。青木さんの印象についてもお聞かせください。

新木:青木さんの演出を受けたことはないのですが、豪さんが演出された作品のアフタートークのゲストとして参加したことはありました。当時、ワタナベエンターテインメントの俳優集団「D-BOYS」で、D-BOYS STAGEの演出などもされていた方なので、その時に楽屋で少しご挨拶をしたくらいで、今回ご一緒することが決まってからは、まだお会いできていないんです。

ただ、青木さんはとても観客にとって分かりやすいエンタメを作られる方だな、というイメージがあります。色のグラデーションを楽しむというよりは、色の差別化をはっきりと作る方なので、とても鮮やか。この作品との相性もすごくいいんじゃないかな、と感じています。

――演出を受けるうえで、期待していることや心構えなどはありますか?

新木:先ほどもお話しした通り、台本を読んだ時の十蔵のイメージって、客観的に見た僕のイメージに近いんだろうなとは感じましたし、読んでいても十蔵の考え方は理解できると思いました。ただ、豪さんが思い描く十蔵の価値観と、僕がリンクすると思った十蔵の価値観というのは、絶対に違うはず。自分のイメージを強く持ちすぎると衝突が起きてしまうと思うので、あくまでこの十蔵を演じる上で必要なのは、豪さんが持っている十蔵像を早く汲み取り、そのキャラクターを作り上げなきゃな、ということはすごく意識しています。変に自分の価値観だけで十蔵像を固めるのではなく、いただいたヒントをもとにしっかり十蔵という人間を構築したいので、なるべく言われたことをすべて柔軟にできるようにしたいなと考えています。

――今回の作品は、殺陣などのアクションにも期待が高まります。アクションについてはどのような印象ですか?

新木:やっぱり、アクションがあってしっかり疲れる作品の方が「やった感」があります(笑)。それは心の疲弊だけでなく、心身ともに疲れるものをやる方が、やりがいもより感じられますね。

例えばマチソワ(昼夜2回公演)がある日でも、昼公演が終わった後に「夜公演をやる自信がない」と思えるくらい疲れたときには、命を削りながら精一杯やっている!と、達成感があるんですよ。そういう意味では、体力的にも追い込まれるようなものになっているというのは、作品と向き合う上で、とても救いになっている部分です。それくらいやった、と分かりやすく自分を納得させられますからね。

――“救い”という言葉は、どれだけ真摯に臨まれているかが伝わる表現ですね。ちなみに、事前に殺陣の準備やトレーニングなどは何かされていますか?

新木:この業界に20年以上いて、いろいろな作品でアクションをやらせていただきましたが、準備はしないですね。稽古の中でやっていきます。現場によってそれぞれ、アクション監督や殺陣師の方がいらっしゃいますが、人によってアクションの付け方も違えば見せ方も全然違うんです。だから、事前にやり込みすぎると、逆にそっちに偏ってしまう。

なので、事前準備としてはとにかく怪我のないように、柔軟な体にしておくということです。それは常日頃から意識していることかもしれないですね。これはアクションに限らず、ダンスがある時もそうですし、体を動かすという意味ではすごく意識している部分です。コンディションは常日頃から作っておかなきゃいけないですし、作品が決まってからの事前準備でどうこうできるレベルのものではないので。日常から気をつけておかなきゃいけないなと思っている部分です。

◆初めて演劇に触れるきっかけにぴったりな作品

――今回の公演は、アフタートークの機会も設けられていますね。

新木:演劇人としては、実はちょっと情けない話だなと思ってしまうところもあって…。役としてではなく、生身で出ていくことで「作品で伝えきれなかったのか」と思ってしまって、「なんか俺、情けないな」とは考えてしまいますね。

ただ、昨今の演劇のあり方として、昔みたいに「ただ作品だけを伝えていればいい」というものでもなくなっています。トークイベントの中で、作品を通してだけでは伝えられない部分をお伝えする場として、有意義な時間を提供したいですね。

その“有意義な時間”というのが、キャラクターをまとっていない俳優たちの素の一面なのか、「原作を読んでいなかったけれど、原作に興味を持ちたくなるような内容」を提供するのか――など、その回ごとの狙いをしっかりと意識した上で、アフタートークを充実した時間にできればなと考えています。原作者の今村翔吾先生がゲストに来られる回もあるので、そういう時は原作のお話をちゃんとできればいいなと思います。

逆に役者だけで話す時は、作品から逸脱した「こんな人がこのキャラクターをこんな風に演じていたのか」「演じている時と普段の姿にこんなにもギャップがあるんだ」というタレント性を楽しんでもらえる回があってもいいのかな。場合によっては、キャラクターのままやりきった方が面白い回もあるのかもしれないですね。

――夏休みの後半に上演されるということで、いろいろな世代の方が劇場に足を運びやすい時期だと思います。公演を楽しみにしているみなさんに、メッセージをお願いします。

新木:教え子がいて、先生がいて、悪者を退治するという非常にシンプルで分かりやすい流れの物語です。ですから、教育番組や子ども向けの番組が好きな方々が観ていただいても絶対に楽しいと思います。

そして、この原作が好きな方には、物語を可視化してお届けすることができます。初めて小説を読んだ時の感覚とはまた違った答えやヒント、新しいスパイスを提供できるはずです。

お子さんには、夏休みの読書感想文としてまず原作を読んでいただいて、その答え合わせとしてこの演劇を楽しんでもらえたらいいですね。自由研究として初めて演劇に触れるきっかけにしていただくのも、いいかもしれません。「演劇にちょっと興味があるな」とか「贅沢なエンタメの楽しみ方を一回味わってみたいな」という方にはすごく相性のいい作品だと思いますので、興味を持っていただけたらぜひ劇場に観に来ていただきたいです。

(取材・文:宮崎新之 撮影:岡田晃奈)

舞台『てらこや青義堂 師匠、走る』は、8月14日~30日、東京・池袋サンシャイン劇場にて上演。

◆PROFILE
新木宏典/あらきひろふみ:数多くの舞台作品に出演。近作は舞台『モノノ怪 前日譚~二首女~』、舞台『ブラック・コーヒー』など。

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