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未婚で父違いの3人の母に。モナコ公国ステファニー公女の規格外な恋の遍歴

  • 2026.7.24
Getty Images

伝統や規律を重んじるロイヤルの世界において、常に型破りなプライベートで世界中のメディアの注目を集めてきたモナコ公国のステファニー公女。スター俳優との浮き名を流した日々から、身分違いと騒がれたボディガードとの熱愛、世間を震撼させたサーカス団への同行まで、その歩みは慣例を覆す選択の連続でした。王室のルールではなく、自らのルールで愛を貫いたプリンセスの全貌を解説します。

James Andanson / Getty Images

15歳での名門校脱走の噂と、その後の人生を一変させた“悲劇の事故”

1965年2月1日、モナコ大公のレーニエ3世とグレース公妃の間に、次女であり末っ子として誕生したステファニー公女。幼少期からお転婆で自由奔放に育った彼女の行動力は、少女時代から群を抜いていたそうです。わずか15歳の頃には、厳しい規律で知られる名門寄宿学校を抜け出し、スペインの人気歌手ミゲル・ボセと週末を過ごしたというスキャンダラスな噂が世間を騒がせます。

そんな中、17歳の時に人生を一変させる悲劇が訪れました。母グレース公妃が運転する自動車に同乗中に大事故に遭遇したのです。最愛の母を亡くしただけでなく、自身も頸椎骨折の重傷を負った公女は、病院のベッドで母の葬儀を見送るという過酷な現実に直面しました。しかし、この絶望的な試練こそが、彼女の「今を全力で生きる」という情熱的な人生観を決定づける契機となったそうです。

写真は、姉カロリーヌ公女、父レーニエ大公、ステファニー公女。

frederic meylan / Getty Images

ハリウッドスターに二世俳優…マルチな才能と美男子たちとの華麗なる浮き名

母の事故に関するタブロイド紙の報道が過熱を極める中、悲劇を乗り越えたプリンセスは、従来の王室の枠に収まらない多彩な才能を開花させていきます。ディオールでのインターンを経てモデルデビューを果たし、有名雑誌の表紙を何度も飾ったほか、1986年には歌手としても活動を開始し、シングルやアルバムをリリースし大ヒットを記録。さらには水着ライン「プール・ポジション」の立ち上げや自身の香水発売など、ビジネスでも成功を収めました。

勢いのまま拠点をロサンゼルスへ移すと、ハリウッドのトップアイドルとして一世を風靡していたロブ・ロウと出会い、激しい恋の噂で再びメディアを騒がせることに。その後も、アラン・ドロンの息子アントニーや、ジャン=ポール・ベルモンドの息子ポールといった、ヨーロッパのシネマ界を代表するサラブレッドたちと熱烈な恋を重ね、そのドラマチックな私生活から常に目が離せない存在となっていきます。

Stephane Cardinale - Corbis / Getty Images

王室のタブーを打破! ボディガードとの熱愛と未婚のままでの出産

華やかなセレブリティとの交際を経て、ステファニー公女が次に選んだのは、自身の身辺警護を務めていたボディガードのダニエル・デュクリュエでした。当時彼には別の女性との間に子どもが生まれた直後であり、身分違いも相まって父レーニエ大公らモナコ公室は2人の関係を猛反対しました。しかし公女は自らの選択を曲げることなく、1992年に長男ルイ、1994年に長女ポーリンを未婚のまま出産。カトリックの伝統を重んじるモナコ公室において、現役公女が未婚のまま2児を出産したことは極めて異例の事態でした。

1995年7月、ようやく公室の許可を得て2人は市民婚を挙げ、すでに生まれていた子どもたちには正式な公位継承権が与えられます。しかしその翌1996年、夫がプールサイドでベルギー人モデルと不倫している決定的な写真が国際的なタブロイド紙に掲載される大スキャンダルが勃発。2人の結婚生活はわずか1年強で、スピード離婚という結末を迎えました。

写真は、当時の夫ダニエル・デュクリュエと。

Eric Robert / Getty Images

再びのボディガードとの交際、結婚を選ばず迎えた次女の誕生

最初の結婚が破局を迎えた後も、ステファニー公女の私生活は注目を集め続けます。次に交際へと発展したのは、またしても自身の専属ボディガードを務めていたジャン=レイモン・ゴトリーブでした。彼との間に1998年7月、次女カミーユを出産します。この時も公女は未婚での出産を選択し、当初は出生証明書に父親の名前を空欄にするなど、過熱するメディアに対してその素性を一切公表しませんでした。

前夫ダニエル・デュクリュエの時とは異なり、その後2人が正式な結婚に至らなかったため、カミーユにはモナコの公位継承権は与えられませんでした。後にカミーユ自身が父親がゴトリーブであることを公に認め、公女は父親の異なる3人の子どもたちを分け隔てなく同じ家庭内で育てる独自のファミリースタイルを築くことになります。形式的な婚姻関係や公室の伝統にとらわれないその私生活のあり方は、常に国際的な関心の的でした。

PLS Monaco Pool / Getty Images

サーカス団員との恋、キャンピングカー巡業と再婚を経て

2001年、公女の私生活はさらなる局面を迎えます。スイスの著名なサーカス団の象使いであるフランコ・クニエと交際を開始し、子どもたちを連れてキャンピングカーでの巡業生活に同行。プリンセスがサーカス団と共に各地を旅するという前代未聞のライフスタイルは、世界中でセンセーショナルに報じられました。その後、同じサーカス団のポルトガル人空中ブランコ乗り、アダンス・ロペス・ペレスに心を移し、2003年に再婚したものの、この結婚生活も翌2004年に離婚という結末を迎えます。

波乱に満ちた恋愛遍歴を経て、現在のステファニー公女はモナコ公国内での公務や慈善活動に注力しています。2004年には非営利団体「ファイト・エイズ・モナコ」を創設して代表に就任し、国連合同エイズ計画(UNAIDS)の親善大使としても活動。さらに、父レーニエ大公から引き継いだ「モンテカルロ国際サーカスフェスティバル」の会長を務めるなど、公室内で重要な役割を担っています。

写真は、2026年、3人の子どもたちと。

Photo: Getty Images
Text: Kaori Takeuchi

※この記事は2026年7月24日時点のものです。

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