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【豊臣兄弟!】最後の力を振り絞り、戦場へと向かう竹中半兵衛(菅田将暉)。荒木村重(トータス松本)のクズ男ぶりも見もの!

  • 2026.6.26

【豊臣兄弟!】最後の力を振り絞り、戦場へと向かう竹中半兵衛(菅田将暉)。荒木村重(トータス松本)のクズ男ぶりも見もの!

2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。今まであまりスポットライトの当たることのなかった豊臣秀長を主人公に、戦国時代がどう描かれるのか? ここでは、ストーリー展開が楽しみな本ドラマのレビューを隔週でお届けします。今回は、第23回「さらば半兵衛」と第24回「軍師官兵衛!」です。

第23回「さらば半兵衛」

このところ数回にわたって羽柴筑前守秀吉(ちくぜんのかみひでよし/池松壮亮)の播磨攻めの様子が描かれているが、織田信長(小栗旬)の命を受けた天正5(1577)年秋から始まって、最後、三木城が落ちたのが天正8(1580)年1月のことなので、実に3年もかかった長期戦であったことがわかる。地元・播磨の有力大名である別所長治(ながはる/下川恭平)が毛利方に寝返ったのが天正6(1578)年ということなので、三木城の戦いだけでも2年も要したのだ。

その中で、秀吉軍にとって戦略の支えともなる竹中半兵衛(はんべえ/菅田将暉)が病に倒れるという事態に遭遇している。第22回で、その命の行く末を自ら見通したような発言のあった半兵衛だが、果たしてその運命はどうなっていくのだろう、というのが第23回である。

天正6(1578)年、安芸吉田郡山(あきよしだこおりやま)城では、毛利輝元(てるもと/濱正悟)が、荒木村重(むらしげ/トータス松本)を調略した安国寺恵瓊(あんこくじえけい/立川談春)、小早川隆景(たかかげ/山本浩司)、吉川元春(きっかわもとはる/こばやし元樹)らと軍議を開いていた。

備前岡山城主・宇喜多直家(うきたなおいえ/緋田康人)は、積極的に天下取りに向けて動くことを輝元に進言するが、輝元自身は、この戦いに大義があるのかどうか懐疑的だ。「こたびの戦は播磨の国衆たちを救うためのものじゃ。欲に駆られて天下を望めば天から罰を受ける」と言うのだ。かつてあれほど多くの者に裏切られた男を知らないという恵瓊の信長評に対し、「わしから言わせれば、家臣に裏切られるなど愚の骨頂。力に任せ、まことの信を得ておらぬからそうなる。裏切られる者が間抜けなのじゃ」と輝元は言い放つ。

すると場面が変わって現れたのは、摂津・有岡城に村重の説得のため単身訪れていた明智光秀(みつひで/要潤)の姿である。のちに信長に降りかかる運命を知っている私たちからすると、輝元の言葉が重く響いてくる展開だ。

「上様のわしへの信頼など、薄氷じゃ」と言う村重に、それでも光秀は食い下がる。「上様は、いま弁明に参ればなかったことにすると仰せである。考え直すのじゃ」。しかし村重は「一度割れてしもうた氷はもう元へは戻らん。そなたも足を踏み外さんよう、せいぜい気ぃつけるこっちゃな」と突っぱねる。そう言われたときの光秀の虚を突かれたような表情が、不穏な何かを予見させる。

これを聞いた羽柴小一郎長秀(こいちろうながひで/仲野太賀)たちは、頭を抱える。すると、「私が説き伏せて参ります」と、これまで村重とのつき合いのあった小寺官兵衛(かんべえ/倉悠貴)が説得に名乗りを上げる。しかし、竹中半兵衛はこれに反対。「荒木村重はこのまま裏切り者として討ち取りましょう。さすればよい見せしめとなりまする」。二人の意見は平行線をたどるが、官兵衛は半兵衛の強い制止を振り切って有岡城へと向かった。半兵衛は説得の途中で倒れてしまう。

有岡城に乗り込み村重と対面した官兵衛は、「謀反などおやめくだされ。毛利の罠にはめられたのなら仕方のないこと。上様に話せばお許しくださる」と説得を試みるが、村重は「わしはそうは思わん」と一蹴。逆に官兵衛にこう迫るのだった。「で、おぬしはいつ、織田に掌を返すのじゃ。顔を見ればわかる。わしはそうやってこれまで生き延びてきたからのう」

身の危険を感じた官兵衛が出ていこうとすると、高山右近(うこん/市川知宏)が現れ、官兵衛はたちまち、刀を抜いた村重の家臣たちに取り囲まれる。すると村重はこう重ねて言うのだった。「生かしておけ。いざというとき人質として役に立つやもしれぬ。そうじゃ、小寺官兵衛は我らに寝返ったと広めよ。やつらを惑わし、足並みを乱すのじゃ」

その頃、秀吉らは、帰らぬ官兵衛が本当に裏切ったどうかを判断しかねていた。そこへ、小一郎が信長からの書状を手に駆け込んでくる。それは、裏切りの嫌疑がかかった官兵衛の嫡男・松寿丸(しょうじゅまる/森優理斗)を処刑せよとの命が記されたものだった。すると半兵衛がやってきて、「私が引き受けまする」と言い出す。病で亡くなった同じ年恰好の子を見つけて、その首を松寿丸として上様に見せるというのだ。「万が一露見しても、すべては私の一存でやったこと。責めは私が負いまする。どうせ消えゆく身、これほど都合のよいことはござらぬ」

半兵衛は病を押して長浜城へ向かった。小一郎は、半兵衛が松寿丸を殺す気かもしれないと気づき、秀吉にもその考えを吐露する。だが、秀吉は驚いたふうもない。気づいていたと答えたのだった。

長浜城では、留守を守る寧々(ねね/浜辺美波)らが先にその情報を得て、下手な芝居を打って松寿丸を必死になって匿おうとしていた。城の構造を熟知している半兵衛が、小一郎・秀吉兄弟の母・なか(坂井真紀)のところだろうと当たりをつけて探そうとするも、ちょっとここはコメディタッチの演出だが、ありとあらゆる妨害の仕掛けがかけられていて、半兵衛の行く手を阻む。

そこへ急ぎ追ってきた小一郎も現れる。そして「万に一つ、そなたの命が残りわずかだとしても、そなたにだけ責めを押し付けることはせぬ。だから、ともに松寿丸をお助けくだされ」と懇願する。だがそこへ、半兵衛の家臣がついに松寿丸を見つけ出して、半兵衛の元に連れてきた。そのとき、小一郎との子をみごもっていた慶(ちか/吉岡里帆)が産気づく。「しばし休戦を」と小一郎に乞われ、半兵衛は小一郎とともに部屋の外に追い出され、時を過ごすことに。

慶は元気な女の子を出産した。涙を流して我が子を抱き、その誕生を喜ぶ小一郎と慶。その姿を半兵衛は見つめた。すると慶が半兵衛に「抱いてくだされ」と頼む。「子は多くの者に抱かれると幸せになると申します。この子に幸を分けてやってくださいませ」。おずおずと進み出てぎこちなく赤子を抱く半兵衛。その頬には、とめどなく涙が流れてきた。「いかがした」と問う小一郎に、半兵衛は「さぁ、わかりませぬ」と言いながら、その涙は止まらない。万感こみ上げ、ただひたすら涙する半兵衛の姿に、小一郎も涙を禁じ得なかった。

「わたしの負けでござります。あの子を抱いた手で、子を殺めることなどできぬ。松寿丸殿は、菩提山城にて密かに匿いまする。いずれそのときが来たら、あとのことは頼みまする」と言う半兵衛に、「しかと承知した」と答える小一郎だった。

信長のもとに首を届ける半兵衛。「小寺官兵衛が子、松寿丸の首にござりまする」。それを見届ける信長。このとき、ほんの一瞬首を見たあとに、チラッと半兵衛に目をやる。その表情に、あ、もしかしたら信長はすべて知ったのかもしれないと思わせる何かがある。この小栗旬の表情が何とも言えず印象的だ。

しかし信長は何を問うわけでもなく、ただ静かに「丁重に葬り、供養させよ」と言うだけでなく、「損な役目をよう引き受けてくれた」とその労をねぎらった。半兵衛もそれにこう答える。「いえ、むしろ得した心持ちでござりまする。これまで戦った中で、最も手強き相手でござった。そして最も面白き戦でございました」。信長もすべてを飲み込んだように「そうか、何よりである」と一言答えただけであった。

それからしばらくして、半兵衛は三木城を攻める秀吉の陣に戻っていた。横になり息も絶え絶えになりながらも、戦況を気にする半兵衛。「私も戦場に出とうござる。私が風向きを変えてみせまする。頼みます。行かせてくだされ」

皆に担がれて戦場に出てきた半兵衛。はるか前方を見渡すと、味方は押され気味だ。しかし「風が変わりまする」と半兵衛が言う。そのとき、藤堂高虎(たかとら/佳久創)が駆け込んできて、「今、味方より知らせが。宇喜多直家殿が我らに寝返りました!」との報告をする。すると、見る見る目の前の形勢が秀吉勢に有利に動いていく。喜び合う彼らの後ろで半兵衛が最後の力を振り絞るようにつぶやく。「死にとうないのう。まだ死にとうない。お前らのせいじゃぞ」

「やはり大した男じゃのう、半兵衛」秀吉がそう言って振り返ると、すでに半兵衛は旅立った後だった。仲間たちがそれぞれに嘆き悲しむ中、小一郎もその亡骸を抱き、声をかけた。「半兵衛、この戦はわしらの勝ちにござる! 見事な策でござった」。秀吉も絞り出すように言った。「そなたの吹かせた風は、決して無駄にはせぬ」

涙なくしては見られない半兵衛の最期だったが、何より驚いたのが、演じる菅田将暉の痩せ方である。頬がこけ落ちて鼻も尖り、本当に病の底にある人のような顔つきであったところに、より一層リアリティを感じて、観る者の胸に迫ってきた。役者というのは、それぞれに役作りをするのだろうが、数回前からだんだんに弱っていく様など、今回の菅田将暉の半兵衛は心に残るものだった。

第24回「軍師官兵衛!」

信長は、籠城を続ける三木城の別所長治、そして有岡城の荒木村重と同時に敵対することとなり、戦いは膠着したまま1年半に及んでいた。小一郎は、信長の嫡男で織田家当主・織田信忠(のぶただ/小関裕太)の指揮のもと、有岡城に籠城した村重との戦いに臨んでいた。

信忠らとの軍議の席で、小一郎は、相手が10カ月近くも籠城していながら兵の士気に乱れがないこと、疲弊の色も見えないことなどに違和感を覚えると唱える。「どこからか兵糧(ひょうろう)が運び込まれているのではないかと」

その真実を探ろうと小一郎たちが夜、張っていると、夜陰に紛れて荷車を押し、兵糧を運び込もうとする織田方の兵に遭遇した。彼らは「有岡城に手を貸せば、たんまり銭がもらえるのじゃ」と告白した。小一郎は彼らを成敗しようとはせず、穏やかに説得。「いくらじゃ。いくらで雇われた。わしはその倍出す。その代わり、二度とこのような真似をいたすな。これまで通りこの砦を守り、織田のために力を尽くすのじゃ」。うろたえる兵に小一郎はさらにこう重ねる。「わしは仲間と殺し合いなどまっぴらじゃ」

策に窮した村重が相談した相手は、城内の牢に幽閉している官兵衛だった。足枷をつけられ、髪も下ろし、魂が抜けたようにボロボロになった官兵衛は鬼気迫る表情で「もう何も考えたくないのじゃ。お互い無様じゃのう」と吐き捨てる。

数日後、村重からの打診を受けた小一郎は有岡城を訪れた。村重は「これまでのこと、どうかご容赦くだされ」と頭を下げる。小一郎は、村重を説き伏せるにあたって、村重の妻・だし(山谷花純)を調略していたのだった。そして、だしとしても不本意ながら、皆を救うにはこれ以外に道はないと思い、受け入れたのだと明かす。「必ずや殿のお命もお助けくださいませ」と懇願するだしに、小一郎は「むろん、そのつもりです」と答える。そして、「松寿丸は生きておる」という官兵衛への伝言を、だしに託すのだった。

しかし、翌朝、事態は思わぬ方向へ向かってしまう。信長の対応を想像して怖気づいた村重が、妻子も家臣も見捨てて、ただ一人毛利方へ逃走したのだった。有岡城は織田方に落ち、信長は裏切り行為の見せしめとして、家来たちを皆殺しに、だしをはじめとする近親者についても京の六条河原で斬首に処せよと命じた。結局、救うことが叶わなかっただしの最期を、小一郎は悔しさを堪えて見届けた。

有岡城の落城を受けて、最後の標的は別所の籠城する三木城だけとなった。落ち込んで涙にくれる小一郎のもとを案じた秀吉が訪れ、「お前がやらねば、追い詰められた荒木勢との激しい戦になって、より多くの血が流れたであろう。助けられなかった命と同じく、救えた命があることを忘れてはならぬ。自分を責めるな」と慰めの言葉をかける。

信忠は、三木城について「降伏では手ぬるい」と言い放ち、播磨の者が二度と刃向かわないよう「討ち取れ」と命じた。そこへ姿を現したのは、幽閉より解放された官兵衛だった。そしてこう進言するのだった。「私は播磨に生まれ育ち、別所がいかに播磨の国衆から慕われているかを知っておりまする。総攻めすれば、もはやたやすく別所の城も領土も手に入りましょう。しかし播磨の民の心は手に入りませぬ。逆に血を流すことなく三木城の者たちを助けてやれば、ほかの国衆たちも我らに心を開き、織田家に忠誠を誓いまする。それこそが、まことの播磨平定にござりまする。何卒寛大な御下知を」

信忠は官兵衛の熱意と説明を前に「もとより播磨の総大将は筑前じゃ。好きに致せ」と観念し、理解を示した。改めて、秀吉、小一郎のもとを訪れ詫びを入れた官兵衛は、これよりは「黒田官兵衛」と生まれ変わり、二人に仕えることを誓った。二人も「とっくの昔からおぬしはわしらの仲間じゃ」と快く受け入れる。

秀吉らは三木城に赴き降伏を促すと、別所長治はこれを受け入れた。天正8(1580)年1月、長治は家臣の命と引き換えに切腹。ここに織田の播磨攻めは終結した。官兵衛も長浜城に戻り無事、松寿丸と再会が叶った。

慶と再会した小一郎は「わしは変わってはおらぬか」と恐る恐る尋ねる。「何があってもあなたはあなたです。私たちの大事な旦那様でございます」と慶は優しく微笑み返し、小一郎にとっても長かった播磨攻めがやっと終わったのだった。

といった穏やかな場面から、最後は、信長と光秀、二人の姿である。そして、「本能寺の変まで、あと2年──」という字幕が映し出される。

それにしても、荒木村重である。天下一の卑怯者とも言われた人物だが、「死にとうない、死にとうない」と何かに憑かれたようにつぶやく姿は、ある意味人間臭くもある。同じ脚本家による2020年の朝ドラ「おちょやん」で最低のダメ父を演じたトータス松本が、またこんなクズ男を演じたとあって、ネットでは「またか!」と、その反響も大きかった。これ以後の登場はまだあるのか。こうなったら、その先も見届けたい気がしてきた。

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