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コスパ・タイパを追及した合理的な生活は幸福なのか?「台所」を通じて見えてくる理想の生き方『#台所のあるところ』【原田ひ香 インタビュー】

  • 2026.6.22

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年7月号からの転載です。

あの時、自分は人生のいろいろなことを諦めたのではないだろうか――『#台所のあるところ』で、専業主婦の敦子がふりかえるのは、新居に越してきたときに購入した冷蔵庫のことだ。“欲しい”よりも家族の実用をとった過去から、自分自身をとりもどすため、彼女は台所のリフォームを決める。

「台所の話を書きませんか、と担当編集者さんから声をかけていただいたんです。さまざまな台所を中心に、市井のルポルタージュやエッセイを書かれる大平一枝さんのように、人々の暮らしを掬いあげるような小説を書いてもらえませんか、と。それから数年たったころ、私自身が引っ越しをして、キッチンを一から自分でつくりあげる機会を得たんですね。私はもともと、敦子と同じで自分のためにはあまりお金を使わないタイプで、贅沢らしい贅沢もしてこなかったんですけど、そのときばかりは予算をふくらませて、すべて自分の好きなようにつくりあげた。使い込むのもせいぜい20年くらいなのに、という気持ちがないではなかったんだけど、それだけの年月を毎日、ちょっと明るい気持ちで過ごすことができるのは大事だな、と思いきりました。そんな気持ちも、第1話にはこめています」

それは、自分を幸せにするお金との向き合い方を描いてきた原田さんらしい切り口。と同時に、どうなるかわからない未来への貯蓄より、今、心を満たすことを優先することが大事であると明確に描き出された今作は、作風の風向きが少しだけ変わったともいえる。

「『三千円の使いかた』が売れて以降、私は“お金の人”だと思われることが増えまして(笑)。『一橋桐子(76)の犯罪日記』でも老後の不安を描きましたし、節約することは大事だと思うんですけど、コスパやタイパにとらわれすぎて、すべてを切り詰めた生活を送るのもどうなんだろうという気持ちがあったんですよね。日本ではじめて家計簿をつけた羽仁もと子さんは、今でいうミニマリストのような生活をなさっていたんですけど、それは彼女がキリスト教を重んじる方だったからで、決して、合理性を追求したわけではない。けれど、簡素な暮らしは結果的に節約にもつながるので、お金を少しでも貯めたい方や、若いうちにFIREしたい方に推奨されがち。その結果、人間関係すら削ぎ落していくような生き方は、はたして幸福につながるのだろうかとも思うんです」

未来に備えること以上に今を大事に生きてほしい

2話の語り手である陽愛乃の恋人が、まさにそのタイプ。無駄を嫌い、合理性を優先して、陽愛乃がテレビドラマを観ることもオワコンだと馬鹿にする。その言い分に正しさがあることも理解しながら、心を満たす生活からかけ離れた彼との暮らしに、陽愛乃は息苦しさを感じている。

「合理性ばかりを追求した生活を送って、けっきょく何になるのか、という想いは今、芽生え始めているんじゃないかという気がするんですよね。というのも、ずっと観ていた節約系の配信者の方が、なんだか調子が悪くなってやめてしまったり、子どもが生まれてそれどころではないと方向転換をしたり、脱却しているケースをちらほら見かけるんです。作中で陽愛乃がファイナンシャルプランナーに言われたように、コロナが流行ったりこれほどの円安が起きたり、今の状況を5年前に予想できていた人は皆無に等しい。将来に備えることはもちろん必要だし、無計画でいろとは言いませんし、年金問題をはじめ、若い人たちが未来に焦りと不安を抱いてしまうのもよくわかる。でも、大事なのは、状況が変わったときにそのつど立て直す心持ちでいることだと思うんです。誰かのためにお金を使うことも、ときには必要だろうし、今の自分にできる範囲で、できることを積み上げていく。楽観しないかわりに、過剰な悲観もせず、今を大事に生きてほしいという気持ちもこめています」

人それぞれ異なる“今”を描くため、「台所のあるところ」というドラマの進行と重ねていくのもまた、本作のおもしろいところだ。幼いころ、母親に捨てられた娘と、ある日突然、彼女の養育を押しつけられた女性の二人暮らしを描くそのドラマは、連作短編集である本作の主人公たちの心をそれぞれつかむ。

「『一橋桐子(76)の犯罪日記』と『三千円の使いかた』が続けてドラマ化されたことで、小説を読まれる方とはまた違う層に物語が届いた実感があったんですよ。放送局や時間帯が異なれば、そこでもまた届く層が変わる。多様な環境にある人たちが同じドラマを観て、SNSを通じてリアルタイムで感想や豆知識を共有しあう姿が、非常に興味深かったんですね。私自身、藤野千夜さんの『団地のふたり』がドラマ化したときは、その一員になって楽しんだりして……。陽愛乃の彼氏はバカにするけど、私は、今の時代だからこそ再発見されたテレビドラマの味わい方がある、と感じたことも、本作にはこめてみたいと思ったんです」

台所は、多少ごたついているくらいがちょうどいい

良くも悪くも、日常で関わることのない人たちと出会えるのがSNS。同じドラマの感想を投稿している以外、本作の主人公たちに共通項はほとんどない。それでも、彼女たちは同じ地表を生きているのだと本作を読むと気づかされる。章ごとに展開するドラマの先行きを、気づけば一緒にわくわくしながら追いかけてしまう、読者である私たちもまた。

「3話で描いた、とある島に根づいた覆しようのない習俗の話は、正直、共感する人のほうが少ないと思うんです。実際、私もあるテレビ番組で『たった二軒しかない集落で、苗字も同じだからおそらく親戚筋ではあるのに、何十年も口をきいていない二家族』を観て、驚いたのがきっかけで書いたエピソードですからね。でも、何百年も前に起きた、今の私たちには一切関係ないような理屈で、コミュニティに上下関係が生まれていたり、不条理に耐えなくてはいけなかったりすることは、きっと多かれ少なかれどこにでもある。日々の生活とは不可分の、そうした人間関係の機微を、いじめとも差別ともいわずに描くことができたらいいな、と思いました。その番組では、出演者の采配で二家族は一緒に食事はしていたけれど、きっと翌日からはまた口をきかないんだろうなという空気だった。それでも理屈ではわりきれないことを飲み込んでいくのが暮らしというもの。だとしたら、台所というのは多少ごたついているくらいがちょうどいいのかもしれないな、と書きながら思いました」

島の暮らしには欠かせないたくさんの冷蔵庫と冷凍庫。4人の子どもを一人で育てるため、導入せざるを得なかった揚げ鍋(4話)。犬との田舎暮らしで見直された食生活(5話)。年齢はもちろん、生活の基盤によっても異なる台所をもつ彼女たちが、それぞれに不安や焦りを飲み込みながら、前へ進む姿に励まされもする。

「どんな暮らしも、中心にはやっぱり食がある。この人はどんな台所で過ごしているんだろう、どんなものを食べているんだろう、と想像の起点とすることで、バリエーションのある主人公たちを描けた気がします。3話の島ほどではないけれど、どんな小さなコミュニティにも、曲げられない絶対的なルールが存在していて、どう折り合いをつけながら自分の満足を見つけていくかということも、台所を中心にしたからこそ描けたかもしれないな、と」

完璧な人生がないように、完璧な台所もない。それでも追い求める理想のありかたを、模索する力を本作は与えてくれるのだ。

取材・文:立花もも 写真:TOWA

はらだ・ひか●1970年、神奈川県生まれ。2005年「リトルプリンセス2号」でNHK公募ラジオドラマ最優秀賞受賞。07年「はじまらないティータイム」ですばる文学賞を受賞しデビュー。100万部を突破した『三千円の使いかた』が注目を浴びる。著作に「ランチ酒」シリーズ、『図書館のお夜食』『喫茶おじさん』『月収』など多数。

『#台所のあるところ』

(原田ひ香/文藝春秋) 1980円(税込)

専業主婦として、家族の都合を優先させてきた。大好きな夫と暮らすため、島のしきたりには理不尽でもなじむしかなかった。子ども4人を母親ひとりで育てるため、今日を生き延びるのに必死だった……。思いのまま生きられることばかりじゃないから、ドラマを観る時間だけは心の逃げ場所として守り続ける。そんな女性たちの営みを台所を軸に描き出す、連作短編集。

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