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「ありのままが美しい」という呪文の両面性|解放のはずが、なぜその言葉に"疲れる"のか

  • 2026.5.30

近年、ボディポジティブなど「多様な美しさを認めよう」というムーブメントが盛んになるにしたがい、美容業界・ファッション業界を中心に「ありのままのあなたが美しい」というキャンペーンが盛んに行われています。

「整形した方がいい」「努力して見た目を磨いた方がいい」と変わることを強いられたり、「美しさ=痩せていること・若いこと」と画一的な美の基準を押し付けられたりするよりは、遥にいい時代になった、と言えるでしょう。

しかし、社会学者・藤嶋陽子の著書『「ありのまま」の身体――メディアが描く私の見た目』(青土社)では、「ありのままのあなたが美しい」というメッセージは、解放にもなり得ると同時に、新たな呪縛にもなり得ることを指摘しています。

欧米と日本のボディポジティブ・ムーブメントの違い

ボディポジティブのムーブメントは、元々、欧米で痩せた白人女性の身体のみを理想とする美容業界、ファッション業界、広告業界への反抗として生まれました。このムーブメントにより、これまで認められなかった黒人やアジア人の美しさも認められるようになったのです。つまりボディポジティブ・ムーブメントは、白人至上主義を打ち破り、マイノリティとして苦しんできた人々を救う、政治的なムーブメントでもあったのです。

一方、日本のボディポジティブ・ムーブメントの始まりは欧米とは異なる、と藤嶋は指摘しています。曰く、「日本での展開の大きな特徴は、プラスサイズファッションの製品や情報を提供する企業やメディアの側が、ボディポジティブの広まりを先導したところにある」と言います。

つまり、日本のボディポジティブ・ムーブメントは、企業の市場拡大と、それに伴う「誰しもがファッションを楽しめる機会の提供」にあり、本来あった政治的な色合いは薄められているのです。

それゆえ、日本でのボディポジティブ・ムーブメントは、何らかの消費(プラスサイズの洋服を買うなど)に帰着しがちだ、と言えるでしょう。

解放のメッセージが、なぜ人を縛るのか

マーケット主導だとしても、ボディポジティブという言葉が多くの人を勇気づけ、いい影響を与えたことは否定できません。

日本は、他の国に比べて「痩せ信仰」が強い国です。日本の20代の女性の2割程度は低体重であり、摂食障害を発症している人も少なくありません。こういった状況の中、「痩せなければならない」というプレッシャーを減じる効果のあるボディポジティブのメッセージは、女性の健康やひいては命を救う効果もあるでしょう。

ただし、ボディポジティブという言葉に励まされる人もいる一方、新たな呪縛として捉える人もいます。

なぜなら、「太っていても美しい・かわいい」という肯定は、結局のところ「美しくあること・かわいくあること」のプレッシャーに他ならないからです。美の基準が多少拡張されても、「美しくあれ」という命題そのものは揺らいでいないため、「自分を美しいと思わなければ!」→「そのために、服やコスメを買わなくちゃ」という呪縛からは自由になれないのです。

「整形やばっちりメイク」より「素で美しい」方がいい、というプレッシャー

また、本書では、「素で美しくあることへの憧れ」の根深さも取り上げられています。

「ありのままの美しさ」が褒め称えられる時、ノーメイクで美しくいることが推奨され、ナチュラルな素肌が賞賛されます。しかしその「素」を作り上げるためには、スキンケアルーティン、食事管理、睡眠の最適化など、あらゆる努力が必要なのです。

「がんばっていない風にがんばる」という二重拘束は、以前の「がんばって美しくなれ」という命令より、ある意味でずっと難しい要求なのかもしれません。

整形やばっちりメイクなどの「人工的な努力の痕跡」を見せることが「ダサい」とされる文化の中では、身体のコントロールはより水面下で、巧妙に行われることになるのです。

「ありのままが美しい」という呪縛から逃れるには

「ありのままのあなたが美しい」というメッセージは、結局のところ、美しくあること、そして「整形などの人工的な施術よりも、ナチュラルであることを美しさの上位に置くこと」によって、人々に新たなプレッシャーをかけていると言えるでしょう。これにより、「(ありのままの自分を美しいと思うべきなのに)美しいと思えない」という新たな葛藤も生み出しているのです。

近年は、こういった葛藤に対抗するため、ボディニュートラルという言葉も表れています。ボディニュートラルとは、身体は美しくなくていい、ありのままの身体を愛さなくていい、というムーブメントです。例えば、足が長いか、太いか、美しいか、醜いか、など、美醜の規範を持ち込まず、歩ける、それだけでいい、という概念です。

もしかしたら、ボディニュートラルの価値観を内面化できれば、美しくあれというプレッシャーからは少しは自由になれるかもしれません。しかし、ボディニュートラルでありたいと思いつつ、同時に美しくなりたいという気持ちから逃れられない人も少なくないでしょう。

大切なのは、私たちが何らかのコンプレックスを抱き、美容業界やファッション業界にお金を落とすのは、マーケットが仕向けているからという側面もあると認識することです。ファッションや美容業界が購買欲を高めるためにどのようなメッセージを発しているか、に意識的になれば、「美しくあるために消費しろ」という誘惑に飲み込まれず、一度立ち止まって、冷静になることができるでしょう。

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。harajyukunatuki@gmail.com

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