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30年前、兄妹の息継ぎが揃ったデビュー曲 テレビから流れた糖分ゼロのサウンド

  • 2026.7.3
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※ChatGPTにて作成(イメージ)

テレビをつけると、爽やかなサウンドが流れていた。砂糖を抜いた菓子をなめたときの、舌に物足りないというより、軽くて澄んだ甘さのような爽快さ。CMの十数秒に乗っていた女性の声は、まさにその後味の音だった。

ZERO『ゼロから歩き出そう』(作詞:五島真/作曲:ZERO)ーー1996年5月22日発売

夏の入り口の昼下がり、ロッテのシュガーレス菓子を売り込む映像のかたわらで、軽く跳ねるリズムと、上モノのあいだに空いた小さな間と、一歩前へ踏み出す女性の声がきこえる。励ましの押しつけはない。湿った決意もない。1996年の街の昼に、その軽さは静かに馴染んでいった。

名前より先にメロディが耳に住みついた十数秒

最初に耳に届いたのは曲の全体ではなく、CMで使われた十数秒だった。ロッテ「シュガーレスチョコレートZERO」と「シュガーレスアイスZERO」の映像のうしろで、軽いビートと女性の声が聴こえてきた。CMの短い枠で出会った人の多くは、曲名も歌い手の名前も知らないまま、メロディだけを覚えていく。耳が先に覚えて、名前があとから追いかける、というあの順序が起きていた。

CMという小さな枠は、もともと長く語ることを許さない。15秒の映像はテンポよく場面を切り替え、商品名を残して終わる。その短い時間に置く音楽は、いきなり高音で叫んだり、深刻な物語を背負ったりすると、商品の軽さと食い違ってしまう。「シュガーレス」「ZERO」という名前が意味する身軽さに合うのは、白いポップス、たとえば軽いリズムにすこし跳ねた歌声が乗っている、というくらいの音だ。この曲は、その注文にきれいにはまっている。

しっかりとした足取りで歩く曲ではなく、踏み出した歩幅をすこし弾ませる曲。そのテンポが、糖分を抜いた菓子の口当たりと、画面の中で笑っている人の体温と、自然に揃っていた。

1996年はテレビからの音楽の入りかたが、まだいちばん力を持っていた時期でもある。チャートを賑わせるダンス系のヒットが画面に踊る一方で、こうした軽さの曲がCMの隙間からそっと入ってきて、生活の音量で記憶に残っていく。CMから運ばれてきたのは、ヒットの号外でも、新人発掘の物々しさでもなく、ただ「気持ちのいい白い音」だった。

「歩き出そう」を命じず隣で促す高さに置く

メインボーカルを担う阿久津愛の歌い口は、語尾を強く張らない。ひとことの最後をすっと抜いて、次のフレーズに渡していく。決意宣言にも誓いの台詞にもならず、隣で「行こうか」と促してくれる人の声の高さで届く。聴き手にも一歩を踏ませる言葉なのに、その一歩を「踏め」と命じない。励ましの押し売りを避けたこの距離感が、共感のいちばん柔らかい部分にあたっている。

詞に置かれた「この世界中で愛だけがピュア」という一節も、断定の硬さでなく確かめの温度で歌われる。声が言葉を太らせず、言葉の輪郭をなぞるだけにとどめる。サビでも声を底からこじ開けずに、半歩だけ前へ出して引いていく。聴き終わったときに残るのは、説得された感覚ではなく、隣に並んで歩いた感覚のほうだ。

影として添う一本の声がメインを孤立させない

『ゼロから歩き出そう』は、妹・阿久津愛のメインボーカルが軸にいて、兄・阿久津健太郎の声が重なる。サビでは二つの声が並んで進み、Aメロでも要所で薄い影のように声が添えられる。一人の声だけが立つ歌ではなく、二つの声が同じ方向を向く歌だ。「ゼロから歩き出そう」という言葉が、ひとりで宣言されるのではなく、二人で確かめあう温度で発音される。そのぶん、聴き手の側にも余裕が残る。

二つの声のあいだの距離も、近すぎず遠すぎない。完全に同じ高さで唱和してしまうと、合唱の正面性が出てきて、生活のうしろで流れる音にはむしろ重くなる。逆に距離をとりすぎると、デュエットらしい掛けあいの強さが顔を出して、CMの軽さからはみ出してしまう。

サビでは下のラインに兄の声が薄く貼りつくことで、メインの声に小さな影だけが添えられる。影に支えられた一本の線、と言ってもいい。声の主役は明らかにひとつなのに、そのひとつが孤立していない、というたたずまいがここで生まれている。

編曲を担当した大槻啓之の音作りも、声の周りに物を積みすぎない。リズム隊は前のめりにならず、上モノは隙間を埋めにいかない。鍵盤やギターは必要なところに必要なぶんだけ顔を出し、声二つが進んでいくための道幅をきれいに空けている。「白いポップス」と聞いて思い浮かべる音像が、この曲のうしろにはきちんとある。

強い言葉の歌なのにベタつかず消える後味

聴き終えた瞬間、ベタつきが残らない。説き伏せられた感じも、泣かされた感じも、押されてしまった感じもない。口の中に薄い甘さだけが残って、すぐにすっと消えていく。「ゼロから歩き出そう」という強い言葉の歌なのに、後味は強くない。これが、糖分ゼロの飴のような後味と呼びたくなる感触だ。

CMから入ってきた音だから消費されやすかった、ということではない。むしろ逆で、消費されやすいかたちで届きながら、芯のところで一歩を踏み出す手触りを残しておいたからこそ、十数秒だけの記憶として終わらなかった。テレビをつけて偶然耳に入った夏の昼下がり、その軽さに引かれて顔を上げた人の数は、けっして少なくないはずだ。

いまもう一度、あの十数秒が画面の隅から流れてきたら、おそらく同じ顔で振り向くことになる。重い決意の歌ではない。けれど、ふっと前を向きたくなる歌だ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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