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32年前、日本中を震え上がらせた“最凶の父親”。国民的刑事の座→“死神”役へ…ベテラン俳優の新境地とは

  • 2026.7.3
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2021年9月、映画『科捜研の女―劇場版―』公開記念舞台挨拶に出席した内藤剛志(C)SANKEI

俳優のキャリアは、得意な側に寄っていくのがふつうだ。悪役で名を上げれば悪役の依頼が続き、温和な父親役で覚えられれば、その手の役で居場所ができる。どちらか片方の引き出しで長く食べていける人がほとんどである。

内藤剛志は、その輪郭にうまく収まらない。同じ時期に憎まれる側にも、寄り添われる側にも立ち、画面の温度を両極に振ってきた。長いキャリアを通して見ると、悪役と善人を「片方ずつ」ではなく「同じ厚みで」運んできた人だとわかる。その振り幅は、いまも形を変えて続いている。

憎まれる側と寄り添う側を同時に通した

内藤の俳優としての厚みは、1994年から1995年にかけてが象徴的だ。日本テレビ系『家なき子』で内藤が任されたのは、安達祐実演じる主人公の少女に手をあげる父・相沢徹だった。酒に逃げ、家族から憎まれる、視聴者がいちばん見たくない側に立つ役である。社会現象になった連続ドラマの、嫌悪を一身に引き受ける位置取りだ。

その翌年、是枝裕和監督のデビュー作となる映画『幻の光』が公開される。宮本輝の同名小説を原作にした、ヴェネチア国際映画祭で金オゼッラ賞(撮影)を受賞した静かな文芸映画だ。内藤が演じたのは、ヒロインの再婚相手・民雄。死を抱えた女性のかたわらに、声を荒げることなく立ち続ける男である。この役で第10回高崎映画祭最優秀助演男優賞を受けている

地上波で憎まれる父を演じている俳優が、同じ時期に映画の側で、静けさを背負う善人として賞をとる。この一年で内藤の身体には、悪と善の両方が同時に通った。片側の評価が固まる前に反対側の評価が並んで立ったことで、以後の起用者にとって内藤は「どちらにも振れる俳優」として登録された。振り幅の出発点というより、振り幅そのものを外側に証明した一対だった。

両極へ撓む背骨で連ドラを支える

両極を引き受けられる俳優は、本来は重宝される。だが内藤の1990年代後半以降の進み方は、派手な代表作で名を売る方向ではなく、地上波の連続ドラマを背骨で支え続ける方向だった。

テレビ朝日系『科捜研の女』で京都府警の捜査一課刑事・土門薫を任されたのが2005年。同じくテレビ朝日系『警視庁・捜査一課長』では主演をつとめ、シーズンを重ねて担い続けてきた。視聴者が毎週、定刻に画面の前に集まる枠を、芯から崩さず運ぶ役者という任され方である。

この時期の内藤は、画面の中心にいるが、自分の演技で物語を引っ張るタイプの主演ではない。事件のたびに変わる客演やゲストの俳優を受け止め、その熱を逃さず最後まで運ぶ受け手の役を、十数年単位で続けてきた。

両極の引き受け方が、別の形でここに効いている。憎まれる側にも寄り添う側にも振れる俳優だからこそ、刑事ドラマで誰が来ても受けられる位置に座っていられる。背骨で支えるとは、しなやかに両側へ撓む力のことだ。

肩書きを下ろしても現場に残る

そのうえで2023年から始まったのが、BS日テレのドラマ『旅人検視官 道場修作』シリーズである。内藤が演じるのは、元警視庁警察官で、警察大学で法医学の研修を受け検視官になり定年退職後に事件にまきこまれていく主人公・道場修作だ。シリーズはその後も続き、新作と劇場版が組まれている。

地上波の現役の刑事を長く主演してきた俳優が、衛星の枠で「定年退職した側」を主演で引き受ける。普通なら、主役を張ってきた人が定年後の人物を中心に据えるのは、キャリアが一段下りた印象になりかねない。

ところが内藤の場合、そうは見えない。長く現役の刑事を運んできた身体が、そのまま「定年したあとの現役感」を背負っているからだ。退いた人ではなく、いったん肩書きを下ろしたうえで、なお現場に出ていく人。年齢を隠さず、年齢を役の現役性に翻訳する仕事に内藤は移行している。徹と民雄の頃に両極を同時に通せたのと同じで、現役と退役、別々の温度を一つの身体で並走させる仕事だ。

両極が一つの白衣に編まれる

そして2026年6月から放送のNHK BSドラマ『勿忘草の咲く町で〜安曇野診療記〜』で、内藤は谷崎譲治役を任される。夏川草介の同名小説を原作にした医療ドラマで、信濃山病院の循環器内科の指導医、現場で「死神」の異名を持つ役どころだ。

異名のうしろにあるのは、看取りに立ち会い続けた医者の重さである。終末期の患者と日常的に向き合う立場で、冷たく見える側面と、寄り添う側面を同時に背負わなければ成立しない役だ。片寄せの造形では届かない。悪役の身体で抑えるだけでも、善人の身体で抱えるだけでも、この異名は嘘になる。

30年前、地上波で憎まれる父を演じながら、映画の側で死を抱える女性のとなりに静かに立った俳優が、今度はその両方を一つの白衣に集約させる位置に立つ。研修医や若い看護師たちが回す現場で、内藤が演じるのは怒鳴る指導医でも、ただ優しいだけの先輩でもない。死を間近で見続けた人間にしか出せない、低い体温の指導者だろう。

長く主役を運んできた俳優が、年齢を重ねて到達したのは、画面から退く方向ではなかった。若い頃に同時期に引き受けた両極の重みを、一つの役にまとめて差し出していく方向だ。悪役と善人から始まった振り幅は、死神の異名を持つ医者の白衣の下で、一本に編まれようとしている。


※記事は執筆時点の情報です

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