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若女将が切り盛りする街の銭湯に癒される! 介護、子どもの国際結婚――人生の転機を迎えた悩める人たちに起こる小さな奇跡。湯と人情に心を溶かされる人情銭湯小説【書評】

  • 2026.5.15
まねき湯しあわせを呼ぶ番台猫 八木沢里志/ハーパーコリンズ・ジャパン
まねき湯しあわせを呼ぶ番台猫 八木沢里志/ハーパーコリンズ・ジャパン

いい町には、いい銭湯がある。のれんをくぐって、ざぶんと大きな湯船に浸かれば、熱いお湯がじんわりと身体に染み渡ってくる。だが、それだけではない。たまたま居合わせた誰かと語り合い、笑い合えば、自然と心もほどけていく。疲れなんてどこへやら。今日も湯けむりの向こうでは、身も心も癒やされる温かなやりとりが繰り広げられている。

『まねき湯 しあわせを呼ぶ番台猫』(八木沢里志/ハーパーコリンズ・ジャパン)は、そんな地域に愛される銭湯の姿を描き出した人情小説。世界50の言語で翻訳進行中の『森崎書店の日々』(小学館文庫)で知られる注目作家・八木沢里志さんによる本作は、読む人の胸をそっと温めてくれる。

舞台は、豪徳寺の町角に佇む銭湯「まねき湯」。昭和10年から続くこの古びた銭湯を切り盛りしているのは、27歳の女将・えっちゃんだ。最初の頃は、「若い娘に銭湯の女将なんて務まるのかねぇ」なんて声もあったが、女将になって2年近く経った今では、誰もが当たり前のように「えっちゃん」と親しみを込めてその名前を呼ぶ。化粧っ気はなく、口数も多いほうではないが、彼女は、相手のちょっとした変化や気持ちの動きを見逃さない。体調の悪そうな常連にはそっと低めの椅子を差し出したり、牛乳の蓋が開けづらそうな人には何も言わずに手を貸したり。そんな「まねき湯」には今日も、この街のたくさんの人たちがやってくる。そして、番台から客たちを見つめる「まねき猫」の置物には、ある秘密があって……。

この物語の魅力のひとつは、「まねき湯」に集う人たちの、生き生きとした掛け合いにある。芸人を目指しているアルバイトの春人くんが寒いギャグを飛ばせば、20年以上ここで働くみんなの「肝っ玉母ちゃん」道子さんがすかさず「こら春人!」と彼を叱り、湯上がりの常連たちも「頼むよ〜、春人くん。こっちはあったまって出てきたのにさ〜」と笑いながら次々それに乗っかっていく。そんなやりとりは、読んでいるこちらまで楽しい。番台からその様子をじっと見つめ、ときにたしなめるえっちゃんや、裏で薪をくべ、お湯を焚きながら客を迎える白井のじいちゃんも含めて、「まねき湯」にはそれぞれの持ち味を持った人たちが勢ぞろい。このにぎやかで温かな空気そのものが、物語の心地よさをかたちづくっている。

そして、そんな人たちがいる「まねき湯」という場所では、たくさんの人たちが癒やされていく。クマの目立つ疲れ果てた様子の40代の女性。夜遅くに駆け込んできてはほとんど湯船に浸からず慌ただしく去っていく若手ビジネスマン。何か悩みがあるのか、眉間にシワを寄せてずっと考え込んでいる、大工の棟梁。反抗期真っ只中の中学生――銭湯という場所は、人を素直にするものなのだろうか。彼らは「まねき湯」とその場に集う人々によって、自分の気持ちと向き合っていく。

たとえば、「まねき湯」に偶然立ち寄っただけだった疲れた顔立ちの女性は、えっちゃんの「また来てくださいね」という言葉が、驚くほど心に沁みるのを感じた。その言葉に背中を押されるように、もう一度そこを訪れてみれば、湯船で居合わせた常連客から「今日もおつかれさまねぇ」「いいのよ、ここじゃなーんもしなくて」なんて言葉をかけられ、思わずその言葉に涙がこぼれてしまった。そして、自分は誰かに話を聞いてほしかったのかもしれないと気付かされ、ぽつぽつ今の自分のことについて語り始める。――そんな風に、この物語には、大げさな励ましや劇的な出来事があるわけではない。けれども、温かいお湯と、何気ない言葉、さりげない気遣いは、こわばっていた人の心を癒やしていく。その様子を見ているうちに、読んでいるこちらまで、張りつめていたものがそっとほどけていく。

ああ、私の街にも「まねき湯」があったら、どんなにいいだろう。ただ、お湯に浸かっているだけで、誰かが今日も「おつかれさま」と声をかけてくれる。落ち込んでいる日にふらりと立ち寄れば、何も聞かずに受け入れてくれる。この物語を読んでいると、まるでぬるめのお湯にゆっくりと身を沈めているような、癒やしのひとときを味わえる。派手な出来事があるわけではないのに、読み終える頃には、こわばっていた心がふっとやわらいでいる。少し疲れているとき、誰かのやさしさに触れたくなったときに、手に取りたい一冊だ。

文=アサトーミナミ

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