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浅井音楽が昨今の“言語化”ブームに抱く疑問は?「誰かに共感してもらえる言葉を発信したいと思ったことは一度もない」【インタビュー】

  • 2026.5.14

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SNSへの投稿で火がつき、一昨年に発売された初の著書『しゅうまつのやわらかな、』も大きな話題を集めた浅井音楽さん。待望の2冊目『ぬいぐるみ投げてたら日曜日が終わった』は、何気ない日々の情景やふとした時に感じる心象などを綴った“言葉集”。思わぬ形で出版されることになったという本作、そして自身が感じる“言葉”の面白さについて、たっぷりとお話をうかがった。

ぬいぐるみ投げてたら日曜日が終わった 浅井音楽 / 産業編集センター
ぬいぐるみ投げてたら日曜日が終わった 浅井音楽 / 産業編集センター

カフカたちが遺した断片集に少しでも近づけられたら

──『ぬいぐるみ投げてたら日曜日が終わった』が上梓されました。前作の『しゅうまつのやわらかな、』から約1年4か月と短いスパンでの刊行ですが、制作はいつ頃から始めていたのでしょう?

浅井音楽さん(以下、浅井):実は前作と並行して作業を進めていました。1冊目を作っていた時、“次に本を出すのなら、こんな内容かな”という感じで、メモのように言葉を書き留めていたノートがあったんです。それを今回の担当編集者さんにお見せしたところ、「これで行きましょう!」と言われまして。最初は何を言っているのか、意味がわからなかったです。“コレデイキマショウ……?”、“え……どういうこと!?”って。

──いわゆるアイデアノートのようなものを、あまり手直しせず本にしていくということですよね。

浅井:そうです。はたしてそんなことができるのかなと疑問に思いましたが、でも編集者さんと話しているうちにどんどんと面白さを感じ、思い切って乗っかることにしました。

──どういった点に面白さを感じられたのでしょう。

浅井:ちょうどその頃、新潮文庫から出た『カフカ断片集―海辺の貝殻のようにうつろで、ひと足でふみつぶされそうだ―』を読んでいて、それがすごく興味深かったんです。カフカが残したメモ書きや日記などをまとめた遺稿集のようなものなのですが、たとえば、〈うまくいかない〉といった言葉ばかりのページもあったりして(※)、それがまるで詩のように感じられて。

引用----

※「うまくいかないこと」

うまくいかないことは、うまくいかないままにしておかなくては。

さもないと、もっとうまくいかなくなる。

(会話メモ)

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それに、もともと私は種田山頭火や尾崎放哉、フェルナンド・ペソア、エミール・シオランといった作家や思想家に影響を受けているんです。彼らの書物を読んでいると、たまに、“まとめることを放棄しているのかな?”と思うぐらい断片的な表現の文章がある。でも、たとえそうしたフラグメントであっても、どれも強い力を放っているんですね。ですから、自分の本がそうなれるかどうかは別として、少しでもその形に近づけるのであればやってみたいなと思ったんです。

──なるほど。本書に収録されている言葉の選定やページ構成などは、どのように行なっていったのでしょう?

浅井:そこは完全にお任せしました。私には編集の仕事への憧れがあり、自分が書いた言葉たちを編集のプロがどのようにまとめていくのか、とても興味があったんです。もちろん、その都度いろんな意見や感想をお伝えしましたが、皆さんが作業していく過程を見ながら、他人事のように“これは面白い本だなぁ”と思うこともありました。それに、今作には自分ですら忘れてしまっていた古いメモ書きの言葉たちも載っていますので、そうやって掘り起こしてもらった文章に新鮮さを感じたりもしましたね。

──また、今回の書籍にはトレーシングペーパーに記された直筆の文字や、片観音のページなどもあり、装丁にもさまざまな工夫が込められています。これは浅井さんのアイデアですか?

浅井:トレペの文字に関しては、いろんな案を出し合う中で決まっていきました。当初はもう少し違う形のものを考えていて、私の原稿に対して編集者さんが校正を入れ、そのアカに沿って私がまた新たに文章を再構築していくといった過程を紙面上で見せていこうと思ったんです。というのも、先ほどカフカの遺稿集のお話をしましたが、私はまだ生きているわけですから、当然ながら今作が遺稿集になることはない。それならば逆に、本に載せる言葉が完成するまでのプロセスを見せられたら面白いのではないかと思ったんです。

──つまり、ライブ感を紙面上で表現しようと?

浅井:まさしくおっしゃるとおりで。そこで、この本を自分で客観的に読み、その時に感じたことを推敲することなくトレペに書き殴っていきました。ですから、たとえ書き損じがあってもそのままですし、字もヘタクソなままなんです。かわいい手書き風のフォントに差し替えることも考えましたが、でも、生きるということ自体、決してきれいなことばかりではありませんからね。あえてそのままにしました。

──片観音ページのギミックも紙の書籍ならではの面白さが詰まっていますね。

浅井:こちらについては編集者さんからのアイデアでした。本って、基本的にリニア(直線的)なんですよね。ゲームブックなどは別ですが、5ページ目からいきなり40ページに飛ぶということがない。ですから、この片観音のページを開くか開かないかで本全体の流れにわざと混乱を起こすことができますし、受け取る側もその都度、違った楽しみ方ができるんです。これは本当に素晴らしいギミックだなと感じました。きっと全ページが片観音の本があったらもっと面白いことができると思いますので、もしご興味のある出版社の方がいらっしゃいましたら、お声掛けください。

10代の頃から抱いていた、まるで根拠のない万能感

──『ぬいぐるみ投げてたら日曜日が終わった』をさっそく拝読しましたが、真っ直ぐ心に突き刺さってくるものもあれば、“これ、なんとなくわかるぞ”といった感覚的なものもあり、多種多様な言葉の波に埋もれていくような浮遊感が心地よかったです。

浅井:ありがとうございます。“わかんないけどわかる”って、言葉としては破綻してますが、多くの人が持っている感覚だと思います。ちなみに、どの言葉が刺さりましたか?

──まさかの逆質問(笑)。個人的な感想ですが、〈夜が無料なのヤバすぎる〉。

浅井:嬉しいです。だって、夜が無料なのって本当にヤバいと思います。安っぽい表現で恐縮ですが、あれほどエモい時間が無料って信じられないです。星空だって、そのあとにやって来る朝の光だって全部無料。このありがたみをみんなもっと噛み締めたほうがいいのにって思います。

──本当にそう思います。それとドキッとしたのが、〈予感に追いつかれはじめている〉。少しネガティブさを漂わせた言葉ですが、これはどういった想いで綴られたものなのでしょう?

浅井:確かに悲観的な意味もありますが、最初は、“そのうち自分は誰かに見つけられて、すごいことになるんだろうな”という予感として書いたものでした。そういった根拠のない予感が10代の頃から私にはずっとあったんですね。わかりやすくいうと、“10代の万能感”みたいなもの。その根拠のない万能感を持って好きなことに突き進められるのであれば、それはとても幸せなことですし、仮に想いもよらない道を歩んだとしても、それはそれで構わないと思っていたんです。ただ、すごくおこがましいのですが、昔から自分の言葉の使い方や言葉に対する認識があまりにも周りの人たちと合っていなかったので、きっとこれは将来的に“言葉”でちやほやされる時が来るんだろうなという予感だけは常にありました。

──それがまさにこうして本を出すようになっているわけですから、予感的中ですね。

浅井:非常に矛盾していますが、まさかこんな状況になるとは思わず、すごく驚いています。

言葉は不完全なもの。誤解があって当然なんです

──浅井さんはSNSに投稿される詩文的な言葉の数々でも注目を集めていますが、もともと言葉を残したり、届けたりすることに興味をお持ちだったのでしょうか?

浅井:いえ、関心が生まれたのは、前回初めて本を出させていただいた時からでした。ですから、ものすごく後悔したんです。“もっといろんなことをメモして残しておけばよかったな”って。それに、今でこそ、こうして本を出させてもらえるほど多くの方に興味を持っていただいていますが、誰かに共感してもらえる言葉を発信していきたいと思ったことは一度もなくって。単純に自分が感じた物事を表現しているだけなんですね。

そもそも、私は“共感”という概念自体にかなり疑いを持っているんです。たとえば、痛めつけられている人を目の当たりにして、無条件に自分も苦しくなるのは“共感”でしょうけど、個人的には言語的な部分で“共感”というものは成立しないと考えている。多くの人が“共感”だと思っているものって、実際は音叉を鳴らすと空気を伝って隣の音叉も共振していくような、どちらかというと否応のない“共鳴”に近いものだと思うんです。

──浅井さんは過去に「言葉とはもともと誤解のあるもの」ともおっしゃっています。すべてがしっかりと伝わらない以上、言葉で感情や考えを共有するのは難しいのかもしれませんね。

浅井:そうですね。その発言は、私のもう一つの顔である臨床心理士の仕事がまさしくそういった概念だからというのもあります。言葉というのは、突き詰めていくと、意思疎通のために自分の感情や思考をラベリングしているに過ぎないんです。何かで落ち込んだ時、自分に対して“今すごく悲しい”というラベルを貼り、それを周りの人に伝えていくような。でも、自分でも気づかないだけで、その“悲しい”の中に“寂しさ”や“怒り”の感情も2割ぐらい含まれているかもしれない。言葉には必ず誤解があるというのは、そういう意味なんですよね。

──自分の感情を100%明確に言葉にできなければ、どうしてもそこに齟齬が生まれてしまいますよね。

浅井:ええ。その意味では、最近よく共感を得るための手段として“言語化する”なんて表現が使われていますが、そこに対しても疑いを持っています。言語化なんて、簡単にできるものではありませんし。それに、むしろ言語化しようとした際に取りこぼしてしまうもののほうが大事だと思うんです。つまり、言葉の中にうまく説明できていない部分や、“自分でもよくわからない”といった余地がたくさんあるほうが受け手側も楽しいし、思考が豊かになる。手前味噌ですが、今回のこの『ぬいぐるみ投げてたら日曜日が終わった』は、まさにそうした余地が詰まった一冊になっているように思います。

──お話をうかがっていると、あらためて言葉は難しいものであり、同時に奥深く面白いものだなと感じます。

浅井:言語を扱う運命を持ってしまったと考えると、人類ってとんでもない縛りプレーをしてますよね。その一方で、本来は言葉って情報伝達のためだけに生まれたものなのに、時間をかけて日常のコミュニケーションにまで敷衍して使うようになった結果、そこに人間同士のすれ違いやロマンスなども起きるようになった。この状態はとても面白いなと思います。私はいろんな人を楽しく困らせたいと常々考えているいじわるな人間ですから、そんな自分にとっては最高のツールです。ほんと、言葉ほど不完全なものはないですからね。

取材・文=倉田モトキ、撮影=金澤正平

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