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SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第58回「勤勉こそ美徳ですか」

  • 2026.4.27

好きだと思う事物に勤勉でいることに美徳を感じている。これはアルバイトに費やす時間が音楽に割ける時間を遥かに凌駕していた貧乏暇なし時代を経てきた私にしてみれば、至極当然の結果だと言えよう。闇雲にではなく、時間を割きたいと思っていたことに思い切り従事する、それは生きていく上で最も重要であることのように思う。それこそが人間でいることの醍醐味、心血を注ぐ先を見つけた人間のあるべき姿だとすら思っている。だから美徳なんて言っちゃっても恥ずかしくない。

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で、現在。それが、「思っていた」になりつつある。はい、これ今回のテーマです。

ただ、何もこれは考え方が180度変わってしまったということではなく、35度くらい変わったという意。勤勉でいることに美徳は感じているが、勤勉こそが美徳という極端な考え方ではなくなってきたという意味である。

三十歳手前まで心の底から渇望していたのは、音楽家稼業と胸を張って言えるような毎日を送ること。すなわち、音楽で忙しくなること、音楽に追われるような日々だった。音楽をやっているということと、ご飯を食べることが分断せずに直結し、それこそが生活と呼べるようになること。音楽でてんやわんやになることは、至極贅沢なことだと考えていた。

だから現在の生活なんて、贅沢を突き詰めたような形。常にツアー、毎週末ライブ、春夏年末はフェス、その間に隙を見つけてレコーディング、リリース、それに伴う、インタビュー、テレビ、ラジオ、撮影。年間100本近いライブはしっかり継続。まさしく音楽家稼業と恥ずかしげもなく胸を張れる日々だ、私はこんなバンドマンになりたかった、本当にありがたい。人に恵まれたことが一番の誉れである我々にとって、「おかげさまです」と言える現状は何よりも嬉しい。

渇望していた日々を過ごせるようになってから、気が付けばもう何年も経つ。一昨年よりも、昨年よりも、年を重ねるに比例して目まぐるしくなる日々を過ごしてみて、やっとの思いで近づいた理想の日々を過ごしてみて今思うことが一つ。

待って、しんど!

これまさしく素直なところ。

もちろんライブに関してのスケジュール諸々は自分たちで大体全部決めてるし、リリースに伴うメディア露出に関しても、やるやらないは自分たちで決めている。インディーズから再度メジャーという場に移り、メジャーに行ってから彼らはああだこうだ、みたいな声もたまに聞こえるが、我々はどの場面に関してもイニシアチブを誰かに譲ったことはないので勘違いして欲しくない。やるやらない、出る出ない、必要不必要、全部自分たちで決めている。それならば何でこのようなスケジュールになって、あまつさえ「待って、しんど!」なんていう事態になってるんだ、と思う人がいるかもしれない。

原因は他でもない、悲しいかな、ただ裁量がなかったということに尽きる。はアん。

一年かけてこれが出来たなら次の年はもっと出来る、を歯止めなく繰り返した結果、周囲から心配されるようになってきた。そんな声に対して、何言ってんだこの人たちは、と余裕ぶっこいてたらいつの間にか切羽詰まってた、というのが「待って、しんど!」に至る顛末。我ながらおめでたい。

したがって、勤勉でいることに美徳は感じているが、勤勉こそが美徳という極端な考え方ではなくなってきた、という訳だ。

誰しもが飢えるし乾く。羨んで、妬んで、渇望するが、その段階では、望んだ形に存在する障壁を想像することはかなり難しい。そして、いざ自分が望んだ形に近づいていくと、今がこんなに贅沢で恵まれているんだから、という思いが一歩ずつ強くなる。歓んでくれる人がいてくれるうちは、その期待や想いに満額で応えたい、今楽しいと思ってくれているのなら、この先もっと楽しくなって欲しい。だからもっと、もっとになる。これが多分、現状に対して盲目になり得る大きな要因の一つなのだ。

飢えて乾いている時間が長ければ長いほど、歩み続けなければ失うかもしれない、という思いが強くなる。動いてないと不安だし、進んでないとめちゃ怖い。そうやって真綿で首を絞めるように、勝手に追い込まれていく。壊れてから直す方が、メンテナンスをするより余程時間が掛かるし、直らないかもしれない、というリスクもあるというのに進む以外の選択肢を選べないのは、ある意味、ちょっとした病気なんじゃないだろうか。

なので、飢えたり乾いたりしてる当事者諸君、そしてそんな生き方に従事しなくちゃいけない方々、本当に気をつけてね。私はぶっ壊れてないけど、これ以上やったら危ないかも、の前兆はあった。身を粉にするのは間違いなくかっこいいんだが、破滅的でいるのは自己満足の範疇を越えないというパターンもある。誰かを想えば想うほど、やっていることを第一に考えれば考えるほど、自分は大切にしなきゃいけないよ。だから俺はたまには休む、ということをこれからの選択肢の一つとして取り入れることを決めた。人のために存在する自分も、自分のために存在する自分も、どちらも大事にするにために必要なことなのだと思う。やらなきゃ始まらん、でもやりゃいいってもんじゃないよね。気合い根性なのよ、何事もやっぱり。でも気合いと根性の二つだけ、ってわけではないんですよね。

入りっぱなしになっていたスイッチを一旦オフるというのは、しばらくの間オンを継続していた人間にとって一抹の恐ろしさを感じることなのかもしれないが、どこかのタイミングで、わざわざ計画してでも、その機会を設けるべきだと、私は思う。

ただ! ただね。すごく難しいのが、だから「頑張りすぎるな」という極端な結論に至るのも、違う気がしている。頑張らにゃいけないタイミングは人それぞれ違うから、オフにしてる場合じゃない時は間違いなく誰しもあるよ、そんな時は必死こいて立ち向かおうぜ。もう駄目かも、までやってみてもバチは当たらん。

頑張り過ぎたり、休んだり。忙しいけど出来るだけ上手にやろう。

それぞれ抱えてるものも多かろう、抱えたくても抱えられなくて苦しんでいる人がいるのも知っている。やりたいことがあってもなくても、一生懸命でもそうじゃなくても、多分共通して言えるのは、自らの「楽しい」を犠牲にすることなく、「生きる」に取り組むことが出来たら、それは豊かな暮らし、なのではないか、ということ。

いつもお疲れ様。楽しく生きてくれ、って願ってるよ。

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