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本屋大賞翻訳小説部門・受賞『空、はてしない青』は、200万部売れたフランス小説。若年性アルツハイマーで余命2年、その繊細な心理描写に驚く【翻訳者・山本知子 インタビュー】

  • 2026.4.10

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フランスの小説家、メリッサ・ダ・コスタのデビュー作『空、はてしない青』。若年性アルツハイマーで余命2年を宣告された青年・エミルと、謎めいた女性・ジョアンヌがピレネー山脈を旅する長編だ。世界で200万部超というヒットを記録した同作の日本版がこのたび、2026年の本屋大賞翻訳小説部門を受賞した。翻訳を手がけたフランス語翻訳家の山本知子さんに、『空、はてしない青』日本語訳に関するエピソードや、メリッサ・ダ・コスタの日本第2作『立ち上がる時』の魅力についても話してもらった。

『空、はてしない青』は風景や心情がリアルに浮かぶ映画のような作品

――『空、はてしない青』を初めて読んだ時の印象はいかがでしたか?

山本知子さん(以下、山本):700ページ近くというボリュームのある原書ですが、読み始めると、描写がとても細かく丁寧でわかりやすく、シーンの映像が頭に浮かんできて、まるで映画を観ているかのようにどんどん引き込まれていきました。エミルとジョアンヌのふたりがキャンピングカーでピレネー山脈を旅する話なのですが、大自然の風景はもとより、セリフからふたりの心情が手に取るようにわかって、長い物語ながら、あっという間に読めてしまいました。

私はそんなに涙もろいほうではないのですが、特に最後の数章は結構、泣いてしまって。最初に読んだ時だけではなく、翻訳作業や校正で自分の訳文を読むたびに、ストーリーを全部知っているにもかかわらず、そのシーンでは毎回、どうしても泣いてしまうんです(笑)。それほど感動的な作品でした。

――原書の魅力を伝える翻訳のアプローチとはどういうものなのか気になりますが、翻訳をする時は、原書の文体によって、日本語の文体やアウトプットの方法を変えているのでしょうか?

山本:文体をあえてこうしようという意識は持たず、まずは原文に忠実に訳します。私は硬めのノンフィクションも翻訳しますが、そういう書籍はフランス語でも硬い文章で書いてあるので、硬い文章で訳します。原文が平易な作品は、日本語もそれにあった文章にします。そして原文がどうであれ、最後には日本の読者がストレスなく読める表現に調整していきます。

ただ、フランス語をそのまま日本語に置き換えるのではなくて――たとえば、あるセリフを原文で読んだ時、私が「かっこいい!」と感じたら、日本の読者に同じように「かっこいい!」と思ってもらうには、どんな日本語がいいだろう? と考えます。原書から自分が受け取ったものがそのまま読者に伝わるかどうかを考えながら推敲していくと、自然とその文体ができあがるんです。文章のリズムも含めて、著者の文体と訳者の文体が混ぜ合わさって、ちょうど良い落としどころが見つかるのが理想かなと思いますね。

――『空、はてしない青』を翻訳する時には、どのような点を大切にされたのでしょうか?

山本:私が原書を読んで、映像的に頭に浮かんだシーンや、手に取るようにわかった主人公の心情を、日本の読者に同じように感じてもらえるようにということを意識しました。

この作品は描写がすごく丁寧で、沈黙している間や動作もすごく細かく書かれているんですね。ただ、フランス語には必ず主語がありますが、日本語ですべてに主語を入れるといかにも翻訳調になるので、主語はかなり省きます。原文が過去形だからといって、日本語でもすべて過去形にすると単調になるので、ときには現在形を使うこともあります。またこの物語は三人称で書かれているのですが、たとえば「ジョアンヌは不安そうな顔をしていた。それを見て、エミルは『どうしたのだろう?』と思った。彼は思わず彼女に声をかけた」という原文があったとしたら、一部をエミルの視点にして「一体、どうしたのだろう?」と訳す。そういうった工夫をすることで、文章のリズムをよくしたり、臨場感を出したりすることも意識しました。

多様な人間の心と希望を描くメリッサ・ダ・コスタの魅力

――人物のセリフにも引き込まれました。特にジョアンヌは、中性的だけどかわいらしさもある女性で、その言葉遣いが彼女の魅力を引き立てていたと思います。セリフの翻訳ではどのような工夫をしましたか?

山本:フランス語の意味をベースに、「このシーンで相手からこう言われた時の言い方としては、日本語ではなんて言うのがいいかな?」とイメージしたりして、口調を工夫しました。日本語では、「~だ」や「なの」などのいろいろな語尾がありますし、単語で言い切る表現もありますよね。でもフランス語は、女性的、男性的な表現なども特にないので、そこは調整が必要でした。

たとえば、ジョアンヌは、最初はエミルと距離があるから、ちょっとぶっきらぼうな感じで最低限のことしか言わないけど、親しくなってくるとだんだん柔らかい話し方になってくる。でも、それほど女性っぽい人ではないから、「◯◯なの」くらいはOKかな? とか……結構、悩みました(笑)。私が原書を読んで頭に浮かんでいるジョアンヌなら、こういう言い方はしないだろうなとか、ここはこう言い切ったほうが彼女らしいなというように、セリフを訳していきましたね。

――メリッサ・ダ・コスタさんの人柄も気になるのですが、山本さんは、物語や文体から、メリッサさんはどのような方だと受け取っていますか?

山本:メリッサさんのインタビューも拝読しているので、そこから受けた印象も含めてですが、30代半ばでお若いですし、とてもエネルギッシュな方だと思います。そして作品からは、冷静に人間をとらえる観察眼と豊かな想像力を持っていることが伝わります。登場人物ひとりひとりの描写がこれほど細かく奥行きがあるのは、著者の中で彼らの立場や心情がはっきりとらえられているからだと思います。この『空、はてしない青』でも、若年性アルツハイマーで余命2年という極限に置かれたエミルと、心に大きな傷を持つジョアンヌについて、おそらくご本人がそういう経験をしたわけではないのに、彼らの心情や人との出会いによる心の変化、そして希望を、ここまで想像して書けるのは本当にすごいです。

でも、鋭く人間をとらえつつも、最終的にはネガティブにならずに希望に至る、そういう世界観を持っている気がします。私は、『空、はてしない青』の突き抜けた開放感がとても好きなのですが、そうした広がりも彼女の魅力ですね。

メリッサの日本第2作は「誰かと一緒に生きること」のリアルを描き切る小説

――『空、はてしない青』が本屋大賞の翻訳小説部門を受賞したことを、どう受け止めていますか?

山本:日々、読者に接している書店員の方に支持していただけたことがとても嬉しいです。幅広い読者に受け入れられる作品だと思っていたので、多くの読者に届く作品と評価いただけて光栄です。

――メリッサ・ダ・コスタさんの日本第2作『立ち上がる時』も発売されます。今回も山本さんが翻訳されましたが、この作品の魅力は何ですか?

山本:42歳でキャリアの絶頂を迎えている舞台役者の男性・フランソワと、演劇の世界に憧れを持つ24歳の女性・エレオノールというカップルのお話です。ふたりは恋に落ち、フランソワが演出家の妻と別れて彼女と生きていこうとアパルトマンを借りた矢先、バスにはねられて下半身不随になってしまいます。

メリッサ・ダ・コスタは常に「再生」をテーマにしていますが、この『立ち上がる時』も、ふたりが人生のどん底からどう生きていくかを描いています。フランソワの事故の後、関係が悪化したり良くなったり、裏切りがあったり、ジェットコースターのようにいろいろな出来事が起きますが、読んでいると読者が、「ここまで極端ではないけれど、私も夫と似たようなことがあったな」というように、他人事とは思えなくなる気がします。

精神的な苦痛だけではなく、性的な問題などの厳しい現実もこれでもかというほど書いています。「ふたりで生きていくことは砂時計のようなもの」というエレオノールのセリフがありますが、カップルは、どちらかがうまくいっている時、もう一方はそうではなく、同時にふたりが幸せになることはないんだと。そういう、誰かと生きていくことの難しさや、口幅ったく言えば、愛することの本質がリアルに描かれた物語です。

――この『立ち上がる時』は、どんな人に読んでもらいたいですか?

山本:今、パートナーがいる人や、これからパートナーを持とうとしてる人、それに、ひとりで生きていきたい人にも読んでほしいです。交互に登場する男女のモノローグで構成されているので、同じ出来事が必ず、ふたりの視点で描かれているんですね。だからこそ、男性側の気持ちに共感できたり、女性が読んでも「この女の子、勝手だな」と男性側に同情したり、いろいろな発見ができるので、男女ともに読んでいただきたいです。人生の壁に当たっている人も、共感できて、勇気を与えられると思いますね。主人公が舞台俳優だったり、書くことで救われたりしますので、演劇やものを書くことが好きな人にも刺さる小説です。

――翻訳小説を手に取る時の選び方や、楽しみ方のコツを教えてください。

山本:『空、はてしない青』の読者のレビューで何より嬉しかったのは、「フランスの小説はとっつきにくいと思っていたけど、人に勧められて読んだらその先入観が払拭された」とか「この小説をきっかけに、翻訳ものをもっと読んでいきたいと思った」という声が多かったことです。翻訳小説と一口に言ってもいろいろな作品がありますので、先入観は持たずに、日本の作家の本と同じように、タイトルが気に入った作品や小耳に挟んだ作品を、最初の数ページだけでも読んでほしいですね。それで頭に入ってこないのなら無理せずにやめて、「これ面白いかも」と思ったら読むというふうに選ぶと良いと思います。

訳者あとがきを読むのもおすすめです。完全なネタバレはしないように書いてありますし、どういう本なのかわかるので、帯とあとがきに目を通せば、自分が楽しめるかどうか判断できると思います。海外の小説は、日本の作品からは得られないものが必ずあります。文化や価値観の違いの面白さなど、翻訳小説ならではの発見が絶対にあるので、ぜひ手に取っていただきたいですね。

取材・文=川辺美希、撮影=後藤利江

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