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【豊臣兄弟!】豊臣兄弟(仲野太賀、池松壮亮)の他にも描かれている「きょうだい」に注目!

  • 2026.4.3

【豊臣兄弟!】豊臣兄弟(仲野太賀、池松壮亮)の他にも描かれている「きょうだい」に注目!

2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。今まであまりスポットライトの当たることのなかった豊臣秀長を主人公に、戦国時代がどう描かれるのか? ここでは、ストーリー展開が楽しみな本ドラマのレビューを隔週でお届けします。今回は、第11回「本圀寺(ほんこくじ)の変」と第12回「小谷(おだに)城の再会」です。

テーマが「きょうだい」だからなのか、このドラマを見ていると、藤吉郎(池松壮亮)、小一郎(仲野太賀)以外にもさまざまな形の「きょうだい」が彼らと対比されるように出てくる。織田信長(小栗旬)についても、弟・信勝(のぶかつ/中沢元紀)の因縁が描かれ、そして妹・市(いち/宮﨑あおい)との絆が描かれる。信長には濃姫という妻もいたはずだが、なぜか今回の作品では姿が全く見えない。信長は大事なことはすべて市に話し、市も兄の役に立ちたいと望む強いつながりが描かれる。

第10回で信長は、足利義昭(よしあき/尾上右近)を奉じて上洛、室町幕府を再興したが、この義昭は、兄である十三代将軍・義輝(よしてる)が殺害されたことにより、一旦は出家した身ながら還俗して十五代将軍になる運命を担う。そこにはまた複雑な感情がありそうだ。

さまざまな「きょうだい」が描かれるなか、藤吉郎と小一郎のあうんの呼吸で助け合っていく様子が印象的だ。実際、武士ではなく百姓出身ということが、生涯を通じて彼らの関係をいいものにしていたのかもしれない。「バディもの」としての面白みも、回を重ねるごとに増してきた。主である信長の出世とともに、彼らの世界も広くなっていく。

第11回「本圀寺の変」

第11回は、松永久秀(ひさひで/竹中直人)の登場で始まる。上洛に至る戦闘で、織田軍が三好三人衆を撃退した摂津・芥川城に久秀がやってきたのだ。かつて義昭の兄、義輝を殺した男として、その悪名は畿内に知れ渡っている。藤吉郎と小一郎が庭で迎え入れた途端に、いきなり続けて二人の男が襲いかかってくる。その一人をあっという間に刺し殺す様に、二人は驚いて声も出ない。

謁見した信長に、「たかだか十間ほどの廊下を歩く間に二度も襲われるとは。さすがは将軍を殺した男よ」と言われてしまう久秀だったが、それは濡れ衣だと反論する。そして、大和を治める許しを得たいと信長に請うた。

信長が京の六条・本圀寺に将軍・義昭を訪ねて、久秀の来訪を報告すると、明智光秀(みつひで/要潤)ら奉公衆たちが、義輝を討った者を許すのかと気色ばむ。信長はそれは濡れ衣であったことを告げるが、奉公衆たちに「我らを愚弄するのか」と反発される。

そこへ妙な音が鳴り響く。なんと藤吉郎が放屁したのだ。そしてそれを小一郎になすりつけて、その場は一気に大騒ぎ、将軍までもが思わず吹き出す始末で緊張が解ける。光秀が「控えよ。屁の話はもうよい」と注意すると「へい」と藤吉郎。さらに大笑いが起きる始末で、その場が和んだ。本当の秀吉がどういう人物だったのかわからないが、ちょっと小狡くて、軽くはあるが、一方でこうして自身を笑いの種なり潤滑油となりして、憎めないキャラクターとして人心をつかんでいったのだろうことが、このドラマを見ていると素直に想像できてくる。

当の義昭は、「3歳で寺に入れられた自身には兄との思い出はまったくない。あるのは、妬みであった。だから兄を殺したかもしれぬ松永久秀に関しても何も思わぬ」と述べて、久秀のことは信長に任せると言い渡す。

信長は藤吉郎に堺に向かうよう命じ、自身は岐阜に戻る。藤吉郎は、小一郎と竹中半兵衛(菅田将暉)を伴い、久秀の案内のもと、堺を訪れる。世界に開かれた商人の街の賑わいと華やかさに、兄弟は目を見張る。半兵衛は「ここには諸国からの銭と知らせが集まりまする。信長様は松永殿を足がかりにして堺を手に入れるおつもりなのです」と説明する。

久秀から紹介されたのは、地元の豪商で茶人でもある今井宗久(そうきゅう/和田正人)であった。彼らは、堺の自治を担う豪商の集まりである会合衆(えごうしゅう)の会所を訪れる。会合衆の一人である津田宗及(そうぎゅう/マギー)は、軍用金として矢銭二万貫をひと月以内に納めよと書かれた信長からの書状に目を通すと拒絶。しかし、藤吉郎はすかさず「払えぬとなると、この堺は幕府を敵に回すつもりじゃとみなされてしまいましょうなあ」と追い詰める。

「我らを脅すおつもりか」と渋る宗及に、小一郎が口をはさんで、兄弟は下手な小芝居を打ちつつ譲歩と見える強引な提案をする。「その銭で鉄砲三百丁を買わせてもらいましょう。さすればただ矢銭を払うより儲けにもなりましょう。いかがでござる?」はっきりとした答えを出さぬ会合衆にそう命じて彼らは京へ引き揚げた。

一行が引き揚げた後、宗久と宗及は思案する。信長の好き放題なやり方に憤りを感じる二人だったが、宗久はこうも言う。「それが時流ですわ。わしら商人は時流を読んでなんぼ。今は織田信長っちゅう流れに乗るべきやとちゃいますか」

その頃、北近江の小谷城では、京から戻った浅井長政(ながまさ/中島歩)が、信長から預かった市への土産として銅鏡を手渡していた。「わしは忙しさのあまり気が回らなくてすまない」と謝る長政に、「戦で武功を上げることこそが何よりの手土産。一度戦に出たならば、私のことなどお忘れくださいませ」と答える。

しかし、長政はさらにこう言うのだった。「それはできぬ。わしはそなたを思えばこそ戦えるんじゃ。織田殿のような強き武将になれそうもない。すまんな」。そう言って廊下を去っていく長政を見つめていると、その懐から何かを取り出している。それは、今しがた市に手渡した信長の手土産と同じ銅鏡だった。同じものを土産として用意していた長政は、義兄への遠慮から妻に手渡せなかったのだ。市はそんな長政を少し冷めた目で見やる。「まこと、お優しいお方」

藤吉郎は小一郎を京に残して半兵衛と再び堺へ出向くが、買うはずであった鉄砲三百丁が宗及の差配で三好三人衆に流れたことを知らされる。

永禄12(1569)年1月、藤吉郎たちが堺に滞在している最中、義昭がこもる京・六条の本圀寺を三好三人衆が襲撃した、世に言う「本圀寺の変」だ。光秀がわずかな兵を率いて彼らを迎え撃つが、多勢に無勢で形勢は不利になっていく。小一郎は義昭を隠し蔵に移動させようとするが、義昭は自ら兵の前に出ていって彼らを鼓舞する。

いよいよ進退窮まったという状況を見て、義昭は光秀と小一郎にこう言い渡す。「これまでじゃな。わしが出ていく。その間にそちたちは逃げ延びよ。そなたは生き延びて、やつらが将軍殺しであることを世に知らしめよ」

しかし、それを聞いていた小一郎は反論する。「お言葉でございますが、そんなことはみなすぐに忘れてしまいまする。侍はともかく、百姓にとっては誰が将軍様であろうがさして違いはござりませぬ。みなその日その日を生きるので精いっぱいじゃ。潔う死んで満足するのは侍だけでござりまする。百姓はどんなに不作でもどんなにひもじくとも、自分から死のうとするものはおりませぬ。泥水をすすってでも生きようと致しまする。なぜなら、次の年こそ豊作になると信じておるからじゃ。公方(くぼう)様、豊作の世にしてくだされ。無様でも生き延びてくだされ。それに手前の身にもなってくださいませ。ここで公方様を死なせてしまったら、手前は兄からも殿からも大目玉じゃ」

小一郎の言葉にハッとさせられる二人だったが、しかしどうやって切り抜けるのか。

寺の外では三好三人衆が今や火矢を放たんと待ち構えていたところだったが、そこへ僧侶が現れる。なんとそれは僧侶に扮した小一郎だった。小一郎は、三好家が代々信仰してきたこの寺を焼けば、三好家は七代まで祟られるであろうと脅した。祟りを避けたいのであれば、義昭がこの寺を出て別の場所へ移動するので、その間は手を出さないようにと要求したのだ。祟りの話に動揺した三好勢は、一旦、攻撃を止めた。

その頃、小谷城で長政と市が庭を歩いていると、何者かが、信長から市への土産であった銅鏡を燃やしているところに遭遇した。長政の父、久政(ひさまさ/榎木孝明)が家臣に命じて燃やさせたのだった。長政は、思わず炎に手を入れて銅鏡をつかみ取って市に差し出す。「わしは、そなたを人質とは思っておらぬ。そなたは織田と浅井を結ぶ懸け橋じゃ」。長政の優しさが真実のものだと初めて信じられた市は、涙してその胸に顔をうずめた。

また舞台は、膠着状態の本圀寺である。時間稼ぎをしつつ味方の援軍を待つ小一郎だったが、織田勢はなかなかやってこない。「もう待てぬ」と三好勢がしびれを切らしたそのときに、堺の浪人たちを引き連れた藤吉郎と半兵衛一行が到着する。すんでのところで命拾いをして、心底ホッとする小一郎。三好勢は撤退を余儀なくされるのだった。手を握り合って喜び合う兄弟の姿を見て、義昭はこう呟く。「光秀、あの二人、わしのものにできるか」

第12回「小谷城の再会」

本圀寺の変により三好三人衆は京を退いて、堺の会合衆も織田信長に服従することになった。信長は義昭のため、わずか3カ月で二条御所を造り上げた。庭には、天下人の象徴ともされる勝利をもたらす石・藤戸石(ふじといし)が置かれた。

「これで私も天下人となれるか」と問う義昭に、信長はこう答える。「肝要なのは、諸国より多くの武将が集まり、およそ3000人が公方様のためこれを運んだということ。そして1万人以上の人夫が昼夜を問わず働き続け、わずか三月でこの二条御所を完成させたということ。公方様のご威光を世に知らしめたことにございます」

「ようやってくれた。これからもこの義昭を守ってくれ」と言う義昭だったが、光秀と二人になると、苦々しく信長への不満を不満、不信を漏らすことをためらわなかった。「信長め、世に知らしめたのはわしの威光ではなく、己の威光であろう」

光秀が二条城の造りを調べさせると、御所には義昭らを密かに見張るための隠し部屋や抜け道があることがわかった。どう対処するかと問う光秀に、義昭は当面は動かぬように命じる。いつか三好三人衆のように、織田のやり方に従えない者たちがもっと現れるだろう。そのときこそ自分は将軍として安寧の道を示すのだと力強く宣言するのだった。

藤吉郎は京都奉行に任命された。しかしその役割がつかめず、連歌(れんが)の会や蹴鞠(けまり)に参加しても一向に慣れず、公家たちからは嘲笑の的になっていた。なんでもそつなくこなす光秀を羨ましく思う藤吉郎だったが、ある日、光秀と二人になる機会に彼の苦難に満ちたこれまでの道のりや義昭への忠誠心などを聞いて胸を打たれた。

慣れない重責から逃げるように、藤吉郎は京で女遊びにうつつを抜かすが、その噂は、前田利家(としいえ/大東駿介)の妻・まつ(菅井友香)を通じて、藤吉郎の妻・寧々(ねね/浜辺美波)のもとにも入っていた。そうこうしているうちに、藤吉郎も小一郎も京での仕事に追われるようになり、さらに信長からの出陣命令によって、伊勢や但馬(たじま)の戦に赴き、息つく暇もないほどの怒涛の日々を送ることになった。

そんなある日、小一郎と藤吉郎は信長にともに来るようにと命じられ、小谷城に信長の妹・市を訪ねた。嫁いで以降、なしのつぶてだった兄に、市は不機嫌だ。夫・長政のとりなしにも耳を貸さない市に、信長は兄弟を引き合わせる。すると、途端に頬を緩ませて微笑む市。

機嫌を直した市は、皆のもとへ先日産んだばかりの長女・茶々(ちゃちゃ)を連れてくる。子どもは苦手だと抱こうとしない信長を差し置いて、藤吉郎がその胸に茶々を抱く。のちの夫婦となる二人、ナレーションも「これがのちに豊臣家を作ったものと終わらせた者の出会いでございました」と入るが、これから藤吉郎と茶々の上に、信長の上に、また小一郎や浅井夫妻、皆の上に降りかかる運命を思うと感慨深い場面だ。

市は久しぶりに藤吉郎、小一郎と穏やかな時間を過ごす。駆け寄ってきた義理の息子・万福丸(まんぷくまる)をわが子同然に慈しむ姿に、小一郎は「お市様はお変わりになられました。お美しくなられた」と心からの気持ちを告げる。「そうかもしれぬな。殿や子どもらといると温かい気持ちになる。ずっと兄上のために生きていくことしか考えていなかった自分が嘘のようじゃ。人とのめぐりあわせにはそういった力があるのかもしれぬな」。市も穏やかな表情でそう答えるのだった。

同じ頃、小谷城の別の部屋では、朝倉義景(かげあき/鶴見慎吾)の家臣、朝倉景鏡(かげあきら/池内万作)が、万福丸を人質として朝倉家に差し出すよう迫っていた。「長政殿が信長の妹を娶られたからには、それ以上の揺るぎないつながりを作らねばなりません」

長政が困惑しているところへ、信長が入ってくる。そして相手が朝倉の人間であると知るや、ひれ伏してこう述べる。「朝倉義景殿にお伝えくだされ。公方殿は朝倉義景殿が上洛されるのを首を長うして待ちわびておると」。そして部屋を出ると、小一郎と藤吉郎に命じた。「引き揚げじゃ! 朝倉に討たれたくなければ急げ」

久しぶりの岐阜に戻って家族に会う藤吉郎と小一郎だったが、寧々は藤吉郎の女遊びにおカンムリだ。しかし、一方で心の底にしまい込んでいたつらい思いも吐露する。「遊びではなく、本当によきおなごが現れたら、そのときは、致し方ありませぬ。私には、子はできぬやもしれませんから」。そんないじらしい寧々を藤吉郎は抱きしめた。「わしはそなたがおればええのじゃ」

きょうだいそれぞれに家族がいて幸せな様子を見て、ひとり寂しさが募る小一郎。そんな息子を案じる母・なか(坂井真紀)だったが、ある日、その小一郎を信長が呼び出す。岐阜城に上がると、突然こう命じられた。「小一郎、お主、嫁を取れ。これは主命(しゅめい)である。入ってまいれ」。そこに入ってきたのは、安藤守就(もりなり/田中哲司)の娘・慶(ちか/吉岡里帆)だった。

信長が天下一統に歩を進めるに伴い、藤吉郎、小一郎兄弟の社会的な地位も私生活も変わっていく。いよいよ小一郎も妻を娶ることになりそうだが、この慶という女、ものすごい美女ながら冷たい印象で、まだまだその腹は読めない。またこの人物をめぐって一波乱あるのかないのか。いよいよ人間ドラマも面白くなってきた。来週も楽しみに待ちたい。

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