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画家・下條ユリさんが描く、自分と誰かを幸せにする絵|描くことは、祈ること

  • 2026.4.1
撮影=下村康典

描くことは、祈ること。下條ユリさんのまなざし

自身の心の奥深くを丁寧に見つめ、そこで見つけた感動や祈りをさまざまな形に変えて表現してきた下條ユリさん。40年以上の画業を経て培われた、幸せと平和を希求する視点は、世界で多くの人々の共感を呼んでいます。

Memento Mori|2013~

東日本大震災追悼の意を込めてユリさんが描いた水彩画は、「死を思い、生を思う」連作となり「メメント・モリ」シリーズとして京都、東京、米国で公開され、大反響を呼んだ。

《Memento Mori/Sakura メメント・モリ/桜》

2013年 940×1320mm インドの手漉き紙に顔彩と不透明水彩と鉛筆 ※《Universal Stain しみの宇宙》《Vine 蔦》《Hana 花》《Algae 藻》とともに5点の連作のひとつ。 Hearst Owned

大震災発生後の春、瓦礫の中で咲く桜に心を動かされ、一心に花びらを描き始めた。数珠玉を数えるように一枚一枚描くことは、命と向き合うことだったという。

描くことで生と死に向き合えた

「絵があれば私は大丈夫」夢中で描き、癒やされた日々

一枚一枚、思いを託すかのように描かれた花びら。絵と向き合った人々は、その思いを受け取り、自らの心に重ね合わせます。下條ユリさんの作品「桜」は、2011年、東日本大震災が発生した年に、ユリさんが被災地で咲く桜の便りを耳にして描き始めたもの。終わりと再生を繰り返す自然の力は、NYから日本を思い、胸が押しつぶされそうになっていたユリさんを救い、創作へと向かわせました。

「ただただ描くうちに、花びらが愛する人を残して肉体を離れた魂に見えてきて、一枚一枚ハグするように描くことが供養のように思えたのです」

ユリさんは、東京で生まれ、個性の強い両親の下で育ち感受性豊かな少女となり、90年代は松任谷由実さんのCDジャケットを手掛けるほか、クリエイターとして東京のカルチャーの中心で活躍していました。ところが、20代の若さで家族すべてを亡くし天涯孤独に。自分で道を開く場所を求めて1997年に渡米、NYのブルックリンで創作活動を行ってきました。

NYでは同時多発テロを目の当たりにし、震災直前には恋人との夢が潰え、大地震発生に絶望する気持ちを抱えていましたが、このとき突き動かされるままに描くことで、生と死に向き合い、ひとつの壁を乗り越えることができたとユリさんは話します。

死を思い、生を思う作品は「Memento Mori」という連作となり、縁に導かれるように2013年から京都・法然院、翌年に浅草の古い蔵、2021年にはボストンでも発表されてメディアに大々的に取り上げられ、その感動はいまも多くの人々に語られています。

「絵を描いてさえいれば、私は大丈夫」。そんな境地に達したころ、ユリさんは乳がんに罹患。試練が訪れますが、震災のときの桜のように、小さな命、愛犬のルーディが、生と死に向き合うユリさんに力を与えました。描くことで自分と向き合い、生と死のあわいにもつながってゆける。そんなユリさんの創作のありようは、「Memento Mori」以外のシリーズにも色濃く表れています。

Sumi and Shu|2000~

能や日本舞踊など和の文化に囲まれて育ったユリさんが、墨と朱の美を再発見して生まれたシリーズ。人の脳に語りかける懐古的な現象と世界各地の土着的な精神性の関係にユリさんは興味を抱く。

《Vein》

2000年 812×514mm 手漉き和紙に墨と朱 Hearst Owned

ブルックリンの展覧会のために描いた「墨と朱」シリーズ最初の作品。一時帰国中、日本の色や画材を新鮮に感じたことから生まれた。

《Life》

2022年 1498.6×685.8mm 高知麻紙に墨と朱と木炭 Hearst Owned

抗がん剤治療中、ウクライナ侵攻下に静かな抵抗を示した老婦人の勇姿に心打たれ描いた。赤は治療当時着けていた帽子の色でもある。

《Family かぞく》

2011年 572×768mm 水彩紙に墨と朱と木炭 Hearst Owned

ハワイの秘境でユートピアを計画していたユリさん。夢を断念し、NYに戻ったあとに描いた絵には、そのときの思いも内包されている。

Love Letters|2018~

あなたを支えたいという気持ちを、言葉では伝えられず、絵に託したのが始まり。日々贈り続けた誰かへのメッセージは、自身に宛てたラブレターともなった。

《Triangle 三角》

2018年 775×584mm 水彩紙に顔彩 Hearst Owned

思いを伝えようと描いた作品はいわば心の絵日記。禅僧・仙厓義梵の「◯△□」を思い出し「私の宇宙」として題に。Squareもある。

《Circle まる》

2018年 775×584mm 水彩紙に顔彩 Hearst Owned

元気づけたいという思いを絵に託し、ある人に贈っていたユリさん。その絵がいつしか自分へのラブレターに変わってきたころの作品。

Mirrors|2018~

自分自身の心と向き合って現在や過去、未来を投影する鏡。何かを包み込むものとして描かれた楕円形の見方は自由。見る人のストーリーを映し出す。

《Untitled, Kingston (Mirror) 無題、キングストン (ミラー)》

2018年 1194×813mm 高知麻紙に顔彩、木炭 Hearst Owned

自由に想像し自身を投影できる「Mirrors」シリーズ。コレクターの一人である料理家ウー・ウェンさんの仕事場に飾られている。

《Mirror 1 (Guns and Petals 銃と桜 )》

2024年 1001×489mm(総丈 2038.7×715mm) 黒谷和紙(楮)に特殊な手作りインク(拳銃、雲母、その他)、鉛筆、木炭、墨、顔彩 ※ダートマス大学フード美術館収蔵 Hearst Owned

拳銃を溶かして作られた特殊インクを使用。ボストンでの展覧会に合わせ、表装や文化財修復を手掛ける「清華堂」が軸装。

Unbroken Line|2022~

永遠はないけれど途切れないものはある。ご縁に導かれてきたこれまでを思い、コロナ禍や苦しい闘病の最中も呼吸と意識を集中させ、ただ線を描いた。

《Rudy Unbroken Line 途切れない一本の線 Rudy》

2022年 685.8×1498.6mm 高知麻紙に特殊な手作りインク(犬の血清と精製水) Hearst Owned

「トロント・インクカンパニー」のジェイソン・ローガン氏がユリさんの愛犬ルーディの血清からインクを制作。このインクで今作品を描いたユリさんは、ローガン氏主演のドキュメンタリー映画『The Colour of Ink』に登場する。

見る人が自由に自分を重ねそしてつながってゆく

「Sumi and Shu」はNYのアートストアにある画材と比べ、墨と朱墨が新鮮に思えて2000年に始まった代表的シリーズ。日本的でありながら、描けば描くほど、日本とは離れた土地の人々が自分たちの背景と重なり合わせて見える不思議さ。ユリさんは、人間が土着的な感覚でつながっていることを感じ、“人間はひとつなんだ”という希望をもって描き続けます。

「Love Letters」は、言葉では伝えられない思いをある人に伝えるために、日記のように絵を描いたことから始まり、それはあるとき、自分へのラブレターになっていました。一つ一つにストーリーがあり、描いた絵を通して誰かと自分が双方向に向かえるようになり、ひとつの作品群となっていきます。

そして、「絵は描いた人にとっても見る人にとっても鏡のようなものだから、そこにある不安やもやもやも包んであげたい」という思いで描いたのが、楕円をいろいろな色や姿で表した「Mirrors」。この鏡は、のぞいた人を映し出す単なる鏡ではなく、自分を投影し客観視できる作品。

「どう受け取るかは自由。作品をその方の物語にしていただくことが、私にとっていちばんのリアリティですから」とユリさん。喜びや悲しみを抱きながら描くうち、描くことが祈りとなり、見る人に届くユリさんの作品。人それぞれに物語は異なっても、普遍的な心理につながってゆくのが、何よりの魅力です。

コロナ禍に加え、自身と愛犬ルーディの闘病という苦難が重なるなかで描いたのが「Unbroken Line」。それまでの人生を思い、縁という一本の赤い糸で結ばれてきたことを感じて、ユリさんは途切れない一本の線を描き始めます。「永遠はないけれど、永遠はある」。別れの多い人生を歩んできたユリさんにとって永遠は憧れ。呼吸と意識を集中させて細い線を描いてゆく創作は、構成や意図ではなく、ただ存在がそこにあると感じられるものです。

このシリーズのなかで、心にしみる青色の線は、人生の相棒であり大往生を遂げたルーディの血清から作ったインクを使いました。まさに永遠への憧れと祈りが込められ、大切な誰かを送り、いまもともにあると感じる人々の心と結ばれてゆくような作品です。

「メメント・モリ」の展覧会を京都・法然院で開いたことがきっかけとなり、東山三十六峰の一峰の麓に造った「お山のアトリエ」にて。古民家を下條さん自ら改装した。 撮影=下村康典

そんなユリさんが、今年60歳に。依頼され、誰かのために描いていた若き日があり、描くことで自身が生かされた日々があり、また十数年前からは京都にアトリエを構えてNYと日本を行き来しています。

縁に導かれる日々のなかで、渡米から約30年、ユリさんは「リボーン」ともいえる新たな境地で前に進もうとしています。いまあらためて、純粋に誰かの喜びのためにと描いた「空想動物」シリーズは、見る人の人生と日々の暮らしに寄り添ってくれるようです。

Hearst Owned

波乱に富んだ生い立ちを綴った『ちいさならくがき』(1997年刊・2007年復刊)。あとがきはユリさんが10代のころから交流のある松任谷由実さん。2026年3月末よりKindleにて購入可(1,650円)。

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しもじょうゆり○画家。東京都三鷹市生まれ。20代までイラストレーターとして活動後、1997年米国へ移住。NYとハワイを拠点に世界を旅し、自然の普遍性と精神性に基づく抽象画を発表。現在NY在住、京都「お山のアトリエ」にたまに“里帰り”。

下條ユリさんオフィシャルサイト
下條ユリさんインスタグラム

下條ユリさんが手掛けた新作シリーズ、「空想動物」を「婦人画報のお取り寄せ」にて販売しています。絵とともに作られた、ユリさん自作の詩とともにご紹介。詳しくは以下の記事をご覧ください。

撮影=下村康典 取材・文=大喜多明子 編集=平田剛三(婦人画報編集部)

『婦人画報』2026年5月号より

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