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押井守が分析する、黒沢清監督作における“恐怖の本質”「得体のしれない深淵がのぞいている」【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第7回『散歩する侵略者』前編】

  • 2026.3.31

独自の世界観と作家性で世界中のファンを魅了し続ける映画監督・押井守が、Aだと思っていたら実はBやMやZだったという“映画の裏切り”を紐解いていく連載「裏切り映画の愉しみ方」。第7回は、黒沢清監督の『散歩する侵略者』(17)をテーマに、黒沢監督作品に通じる“日常を侵食していく”恐怖の本質について解説する。

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「ホラー映画はそれこそ山のようにあるけれど、黒沢さんのホラーはちょっと観ただけでわかる」

――今回、押井さんが取り上げたのは黒沢清監督が2017年に撮った『散歩する侵略者』です。人気舞台を映画化したSFホラーですね。

「麻紀さんはどうだった?」

――私は黒沢作品、得意じゃないんです。本作もそうでしたが、あのノロノロしたテンポがどうも合わなくて。本作のネタって、いわば「盗まれた町」なわけだから、SF好きとしては楽しめるはずなんですが…。

「『ボディ・スナッチャー』というタイトルで何度も映画化されているジャック・フィニイの侵略SF小説。それと重なるところは確かにある。ある日、身近な人がエイリアンに憑依され、姿かたちはそのままなのに別人になっていたというわけだからね。

で、問題はやっぱりそのテンポなんですよ。あれは黒沢さん独特のテンポで、麻紀さんが観慣れているハリウッド映画とはまるで違う。なぜだと思う?」

――黒沢さん、ヌーヴェルヴァーグが大好きだからですか?

「『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(85)は(ジャン=リュック・)ゴダールまんま。彼はゴダールの心酔者だったから。私はそのころから黒沢さんの映画、観ているけど、ホラー映画に転じてメジャー監督になった。ホラーの短編や『スウィートホーム』(89)なんて作品も撮っていたけど、『CURE』(97)を発表して以来、ホラー映画のマスターになった。もう1人、清水崇というホラー監督がいるけど、2人はまったく違う。同じホラージャンルでありながらまるで違うんです。黒沢さんの場合、あのテンポをどう解釈するかで、私のように好きな人がいれば、麻紀さんのようにダメな人もいる。彼の映画、とても怖いんだけど、麻紀さんは恐くないんだよね?」

――はい、まったく。『CURE』も公開当時観ましたが、まるで怖くなかった。それだけ強烈に憶えています。

「それは恐さの本質が違うからなんです。それが彼の映画のキモ」

世界に黒沢清監督の名が知られるきっかけとなった『CURE』 『CURE』4Kデジタル修復版Blu-ray ¥5,280(税込)発売・販売:KADOKAWA [c]KADOKAWA 1997
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――ということは、あの独特のテンポだからこそ表現できる怖さということですか?押井さんは常々、優れた監督の多くは独自の時間をもっているとおっしゃっていますが、黒沢さんも“独自の時間”をもっている?

「そうです。その典型と言ってもいい。ホラー映画はそれこそ山のようにあるけれど、彼のホラーはちょっと観ただけでわかる、途中から観てもわかる。テンポと役者たちの演技でわかるんです。淡々としていて喜怒哀楽があまり出てないでしょ?なぜだと思う?その答えが黒沢さんの恐怖感を支えている」

――宇宙人だからじゃなさそうですね(笑)

「ちがいます(笑)。彼のホラーが独特なのは、すべてそこに立脚しているから。そういうホラーはまずありません」

――ジワジワと忍び寄るような怖さですか?

「だから、そのジワジワの根拠はどこにあるんだということ。もう答えを言っちゃうと、“日常性”なんだよ。彼は日常性を恐怖の根拠としている。そういう監督は、私が知る限りでは唯一無二。ホラー映画というのは脅かすか怖がらせるかのどちらかでしょ?ケレンで攻めて、座席から飛び上がるような怖さを演出するのがホラー。清水(崇)さんはこの手法だよ。でも、黒沢さんのホラーにはそういうのはほぼほぼなく、普通の日常からだんだんと恐怖が露出してくるという演出。もっと本質的なことをいうと、日常こそが恐怖ということ。これが黒沢さんをユニークな監督たらしめている大きな理由なんです。

確かに彼はヌーヴェルヴァーグから出発した。でも、そのあと、『CURE』で見事に転身したんです。私は“転身”だと思っているから。『CURE』で日常のなかに潜む恐怖を見出したの。日常こそが恐怖そのものというのはとても映画的な視点。文章で表現するより映画のほうがその怖さは際立つんです。役者たちが喜怒哀楽をあまり表現しないのは日常を生きているからですよ。自分の日常を振り返るとそうでしょ?」

――そ、そうですか?

「麻紀さんは日常を生きてないからピンとこないんです。家でも配信でドラマや映画を観て本を読んで音楽を聴く。なぜそんなことをやるかと言えば、日常に耐えられないから。そうやって非日常に逃げ込んでいるんです。そういう人は日常が抱えている恐怖は見えにくい。実はそういう恐怖、ぽっかりと穴が空いていて、そこから得体のしれない深淵がのぞいているんだよ。彼はそういう日常の恐怖を様々なかたちで表現している。『CURE』なんてまさにそうだから。カメラワークが独特で、絶えず動いているフレームのなかに人間が出たり入ったりしている。普通の映画は人間を追いかけるのに黒沢さんは違う。カメラもフィックスじゃなくて絶えず動いていて、めちゃくちゃ凝っているんです。そういうカメラワークはケレンじゃないの。人間の視線そのまんま。私たちはそうやって世界を見ているということを表現している。だから、自分の視界のなかに誰かが入ったり出たりしているんです。そうするなかでなにかが進行している…それが彼の映画の視点ですよ」

「映画監督というのは現実も映画のように見ている人間」

――ちょっと観直したくなりました。

「カメラから人間が出たり入ったりするのは黒沢さんの発明だと思う。ほかの監督の作品では見たことがないから。たとえあったとしても、そこには明らかに違う意図を感じる場合が多く、人間の視線を意識したものではないと思うね。

カメラワークは監督の本質がもっともよく出るパートでもあるんだよ。フィックスでしか撮らない小津安二郎のような監督もいるでしょ。しかもローアングルで、カメラを切り返すと、喋っていたはずの2人がとても離れているのがわかる。普通の映画は、お客さんがもっとも見やすいアングルで撮っていて、ごくごく自然に物語に誘導してくれる。それは監督、ないしはカメラマンの仕事なんです」

押井監督が語る黒沢清流の恐怖とは?
押井監督が語る黒沢清流の恐怖とは?

――小津安二郎はなぜそんな撮り方をしたんですか?

「そうしたかったからです。彼は自然主義でもなければリアリズムでもない。映画監督なんです。映画監督というのは現実も映画のように見ている人間のことを言うんです。『現実を再現するのは映画の使命ではない。自分が見ている現実を再現するのが映画』。だから小津は、自分にとって必要な絵を撮っているだけ。彼にとって人間とはああやってローアングルから煽って撮るものなんです。小津が役者に延々とリハーサルさせるのは有名な話でしょ?役者が疲れてどうでもよくなるのを待っているんです。その絵が欲しいから。そういう意味では全部、様式なんですよ、小津の場合は。

話が飛んじゃったけど、黒沢さんの恐怖は突然、日常のなかに現れるものであり、なおかつ日常そのもの。なぜかというと、一番恐ろしいのは人間であり、人間の存在そのものが恐怖の根源だということ。人間は不気味なものであるという(デイヴィッド・)リンチに一脈通じるところある。リンチがやっていたのは、人間ほど不気味な存在はないということだったでしょ」

――ということは押井さん、人間を不気味がって撮る監督と、人間をおもしろがって撮る監督がいるということですね?

「そうです。ちなみに私はおもしろがるほう。不謹慎な人間なので」

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――押井さん、今回の裏切りはやはり、黒沢監督の恐怖は、私たちの考えているそれとは違うという点ですか?

「そう、恐怖を描く時に、ルーティンとしての恐怖映画の要素をことごとく外したところです。簡単に言っちゃえば『びっくりさせる演出を止めた』。ホラー映画のつもりで黒沢さんの映画を観に行くと、最初は戸惑っちゃうんだよね。『なにこれ?いつになったら怖くなるの」。あるいは、『怖くなったものの、よくわからないまま終わってしまった』って、麻紀さんと同じようなものですよ。ホラーと言えば清水さんの映画のような脅かされる演出を連想しているから、そんな感想になる。でも、黒沢さんのホラーは、気づかないうちに鳥肌が立っていた。気が付いたらとんでもない日常に入っていたという映画で、みんなが期待しているホラーとは違う。だから、黒沢さんの映画にはもう一つ、ホラーを観に行ったはずなのに違う映画を観せられたという裏切りもある」

――それはよくわかります。

「そして、実はもう一つあるんです。最大の裏切りが」

――ということは3つもあるんですね?「最大の裏切り」については後編でお願いします!

取材・文/渡辺麻紀

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