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「ネタバレOKで映画を見る?」若者の傾向に、ヤマザキマリさんはどう返した?/『テルマエ・ロマエ』続編の秘話も

  • 2026.3.16

「ネタバレOKで映画を見る?」若者の傾向に、ヤマザキマリさんはどう返した?/『テルマエ・ロマエ』続編の秘話も

『最後の講義 完全版 漫画家・文筆家・画家 ヤマザキマリ』(主婦の友社刊)で、「表現」と「自由」の深い関係について語ったヤマザキマリさん。「表現とは? 自由、自信、普通とは?」新刊から一部抜粋してご紹介します。「ネタバレを先に聞いてから映画を見る」という聴講生の質問に、ヤマザキマリさんはどう答えたのでしょうか。

こうあるべきという予定調和をくずすには、多様な価値観にふれること

沖田(聴講生) 今の子はネタバレを先に聞いてから映画を見るという話がありましたが、まさに自分がそのタイプで、あらすじを調べてからでないと気がすまないんです。

自分なりになぜかと因数分解してみた結果、演出や照明、演技に集中したいからなんです。ストーリーの途中で突然びっくりさせられることってありますよね。それを不快に感じてしまうんです。

ヤマザキさんのお話の中で、コンテンツというか、そういうのを見るときに、作品は自分の鏡みたいなお話がありましたが、私はすごく理性が強いのかなと思いました。映画を見ているときに理性を保ちながら見たいのに、乱されるのが怖くなってしまう。

映画に限らず、キリコの絵もそうですが、芸術を見るときにそういうことは往々にしてあるじゃないですか。そういう恐怖心や不安を改めたいと思っているのですが、ヤマザキさんはどう思われますか?

ヤマザキ 先ほども言ったことかもしれませんが、私は子どものころから予定調和とは無縁の生き方をしてきました。

たとえば、テレビの車や食品などのCMでは、もう絵に描いたような幸せな一家が出てきたりします。気の良さそうなお父さんがいて、美人で笑顔の素敵なママがいて、しっかり者のお姉ちゃんと、わんぱくな弟。ときどきそこにプラスで犬が1匹。そんなステレオタイプな家族を、子どもの分際でありながら、違和感を持って見ているところがありました。

だってうちが、まったくそれとは当てはまるものがなかったから。破天荒な母親を見ていても、そもそもこうあるべき、こうじゃなきゃいけない、というしばりはまったく効力がありませんでした。

予定調和というのはものすごくがんばって無理やりつくるもの、と思っているところがある。だから映画や小説は自分の求めているような展開にならないほうが楽しめるんです。「こうあってほしい」という理想や妄想がないから、楽ですよ。

世の中はこうじゃなきゃいけない、という思い込みにしばられてしまうその原因は、日本の教育にあるように思います。こうあるべきだということに慣れすぎていて、そうじゃない展開が起きたときに対処できなくてパニックを起こす。

それは映画などを見ているときに限らず、人とのつきあいでも何でもそうだと思います。「え? こうなるべきことなのに、何でこうならないの?」という限定的な見方のみを強いることで、どんどん自分の首を絞めてしまう。

そうならないためには、多様な人の価値観、世界の価値観がみんな違っているということを知るしか方法はないんです。

自分の理性を揺るがすものだと受け入れにくいから、あらかじめどんなふうに転んでも大丈夫なように、心の準備をしつつ向き合いたい。

おそらく多くの人が同じ理由であらすじを最初に知りたいんだと思いますけれど、意表を突く事象への驚きに慣れておかないと、長い人生何かあったときに対応できません。教科書に載っていることが、人生を生きていく上で知っておくべきすべての事柄ではないのです。

私はイタリアに行って、何一つ予定調和どおりに生きていない人たちといたせいで、激しく失望したり、動揺したりといったことがなくなりました。人とはしょせんそんなもの、社会とはそもそもそんなもの、と構えられるとかなり生きやすくなります。

映画をできるだけたくさん見ておくべきなのは、一辺倒じゃない人間の生き様を見せてくれる手っ取り早いツールだから。自分の思いどおりに話が展開せず、あと味が悪いように思えても、何がしかの栄養素にはなっているはずなんです。映画はあと味のために見るものではありませんからね。

『テルマエ・ロマエ』続編——「入浴を擬似体験できるような気がするのです」

沖田(聴講生) ちなみにですが、『続テルマエ・ロマエ』のお話で、それこそ『水戸黄門』的なものに回帰していったというのは、何か理由があるんでしょうか?

ヤマザキ ありますね。続編を描く前は、『プリニウス』という古代ローマ時代の博物学者の話を12巻にわたって描いていました。

『テルマエ』を連載しているときに、お風呂やコメディという条件にしばられない、ガチなローマものを描きたいなあ、と思っていたからなんですが、かなりシビアな内容である『プリニウス』が終盤になってきたときに、そろそろお笑いものが描きたいなあ、という気持ちになりました(笑)。

別に何か新しい斬新なものをやるのではなく、話の筋がある程度見えてきてもいいから、しっかり笑えるもの。予定調和に慣れてはいけない、という話をしたあとになんですが(笑)、わかり切っていても笑える、という癒やしが人間には必要なんじゃないかと思ったんです。私が実際そうだから。

それから温泉も描きたい。温泉を描いていると、入浴を擬似体験できるような気がするのです。それで『テルマエ・ロマエ』の続編を始めたわけです。

たとえば大人になっても『ドラえもん』や『サザエさん』みたいな漫画を読みたくなる、そんなふうな漫画として『テルマエ』も読み続けてもらえたらいいなと。結局、私の代表作ですしね。

※この記事は『最後の講義 完全版 漫画家・文筆家・画家 ヤマザキマリ』ヤマザキマリ著(主婦の友社刊)の内容を、ウェブ記事用に再編集したものです。

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