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看護師「退院おめでとうございます」→直後、患者の母の顔が引き攣ったワケ…

  • 2026.3.13
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出典:photoAC(※画像はイメージです)

こんにちは。現役看護師ライターのこてゆきです。

精神科病棟で働いていると、「良い出来事のはずなのに、空気が重くなる瞬間」に出会うことがあります。

退院、回復、社会復帰。どれも医療者にとっては喜ばしい節目です。

けれど、その喜ばしい出来事が、患者さんや家族にとっては必ずしも同じ意味を持つとは限りません。

今回は、退院支援の場面で私が経験した、「祝福の言葉」が思いがけない空気を生んだ出来事について紹介します。

祝福のはずだった「退院おめでとうございます」

精神科病棟に長期入院していた男性患者Aさん。

精神疾患の急性期症状により、当時のAさんの場合は被害妄想が強く、周囲への警戒心も高い状態でした。夜間に大声を出したり、家族に対して怒りをぶつけたりすることもあり、家庭内でのトラブルがきっかけとなり入院に至っています。

面会に来る家族との間にも、どこか緊張した空気が流れていました。

しかし、入院生活が続く中で少しずつ状態は落ち着いていきました。服薬が整い、興奮する場面も減り、表情も柔らかくなっていきます。

スタッフの間でも「だいぶ安定してきましたね」「退院も見えてきましたね」といった声が聞かれるようになりました。

そしてある日、退院支援カンファレンスが行われました。

退院後は、高齢のお母さんと二人暮らしの家へ戻る予定。

訪問看護や外来フォローの体制も整い、医療者側としては「準備はできている」という感覚がありました。カンファレンスが終わる頃、病室にはどこか安堵した空気が流れていました。

「やっとお家ですね」と家族へ言った瞬間

説明が一通り終わり、私たちは書類を片付けながら、Aさんとお母さんに声をかけました。

私は、自然な気持ちでこう言いました。

「退院、おめでとうございます。やっとお家ですね」

その瞬間でした。お母さんの表情が、ほんの一瞬ですが固まったのです。笑顔だった口元がわずかに引きつり、視線が下に落ちました。部屋の空気が、すっと変わるのを感じました。

お母さんはしばらく黙っていました。

そして、ゆっくりと顔を上げて、小さな声で言いました。

「…本当に、大丈夫なんでしょうか」

その声は、祝福の場で聞くにはあまりにも不安そうでした。

「また怒鳴ったりしませんよね」

お母さんは続けて言いました。

「また夜中に怒鳴ったりしませんよね」「物を投げたり…しませんよね」

言葉の端々に、長い時間抱えてきた疲れと恐怖のようなものが滲んでいました。

入院前、Aさんは自宅で興奮することがあり、夜中に大声を出したり、怒りをぶつけたりすることもあったと聞いていました。

医療者にとっては、「症状が強かった時期の出来事」「治療で改善した状態」という整理ができています。

しかし、家族にとってはそう簡単ではありません。その出来事は、過去の症状ではなく、実際に体験した怖い記憶なのです。お母さんは、Aさんの方をちらりと見てから、もう一度言いました。

「私、また同じことが起きたら…どうしたらいいのか分からなくて」

その言葉を聞いたとき、私は初めて気づきました。

医療者側の「退院は喜び」という前提

私たち医療者は、どこかで「退院は喜ばしいこと」という前提で物事を考えてしまいます。

長い入院生活を経て、症状が落ち着き、家に帰れる。それは確かに一つの回復の形です。だからこそ、私は何の迷いもなく言いました。

「退院おめでとうございます」

けれど、その言葉は家族の不安を置き去りにした祝福だったのかもしれません。

Aさんにとっての退院は「回復」。しかしお母さんにとっては、再び始まる生活への緊張でもありました。夜中に起きるかもしれない不安。また衝突が起きるかもしれない恐怖。自分一人で支えられるのかという迷い。

そのすべてを抱えたまま、「おめでとうございます」と言われたとき、お母さんの中にあった感情が、ふっと表に出てきたのだと思います。

祝福の言葉が、家族の本音を引き出すこともある

あのとき、私は少し言葉を選び直しました。

「心配なこと、ありますよね」

そう言うと、お母さんは小さくうなずきました。

それまで抑えていたものがほどけたように、退院後の不安や心配事をゆっくり話し始めました。

夜中に具合が悪くなったらどうするのか。怒りが強くなったら誰に相談すればいいのか。自分が体調を崩したらどうなるのか。

それは、退院を迎える家族なら誰でも抱えうる現実的な不安でした。

退院はゴールではありません。むしろ、家族にとっては新しい生活のスタートです。

医療者が「回復」を見ているとき、家族は「これからの生活」を見ています。その視点の違いに、私はあのとき初めてはっきり気づきました。

祝福の言葉の前にあるもの

「退院おめでとうございます」

医療現場では、ごく自然に使われる言葉です。しかしその言葉が届く先には、さまざまな感情があります。

安心している家族もいれば、まだ不安を抱えている家族もいます。喜びと同時に、「本当にやっていけるのだろうか」と心の中で揺れている人もいます。

あの日、私の何気ない祝福の言葉は、お母さんの不安をあぶり出しました。

けれど、それは決して悪いことではなかったのかもしれません。

本音が出たからこそ、私たちは退院後の支援について、もう一度一緒に考えることができました。医療者が選ぶ言葉は、ときに思いがけない感情を引き出します。

だからこそ私は、「良い出来事のはずの場面」ほど、目の前の家族の表情をよく見ていたいと思うのです。



ライター:こてゆき

精神科病院で6年勤務。現在は訪問看護師として高齢の方から小児の医療に従事。精神科で身につけたコミュニケーション力で、患者さんとその家族への説明や指導が得意。看護師としてのモットーは「その人に寄り添ったケアを」。


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