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「十四代の高木さんに会う」ことをモチベーションに躍進――広島「宝剣」蔵元・土井鉄也さん その1(第19回)

  • 2026.2.13

切れ味のいい辛口の酒として人気の「宝剣」(広島県)。若い頃、やんちゃで鳴らした“土井テツ”こと五代目蔵元で杜氏の土井鉄也さんのキャラクターも相まって、存在感ある“男酒”として熱烈に支持されている。かたや、当代の“女酒”の代表と言えば、華麗な香りと甘美な味わいで飲み手を魅了する「十四代」だろう。十五代目蔵元で杜氏の高木辰五郎さんも、また老舗蔵の当主らしい折り目正しく、誠実な人柄で尊敬を集めている。酒の味わいも、蔵元のキャラも好対照だが、信頼関係で結ばれた両者の物語をお送りする。

「十四代の高木さんに会う」ことをモチベーションに躍進――広島「宝剣」蔵元・土井鉄也さん その1(第19回)

■スタートは手探り。懸命に腕を磨き、利き酒能力を高めた。

辛口ファンに支持される名酒「宝剣」。だが、昔の酒のようなアルコールが立った刺激的な辛さではない。飲み口は軽やかで、ぐーっと旨味が広がり、潔く切れるモダンタイプの辛口だ。後口を辛さでスパッと断ち切る様は、まさに「宝の剣」である。
“土井テツ”こと、五代目蔵元で杜氏の土井鉄也さんは、50歳にして杜氏歴はすでに30年目。独学で技を身に着け、腕利きと言われる存在になった。好きな言葉を問えば「筋道」、好きな歌手は長渕剛と答える。造る酒は、すべてが純米造り。使う米のほとんどが、広島を代表する酒米、八反錦。一本気で、負けん気の強い“男の中の男”である。土井さんの強烈なキャラクターと、一度飲んだら忘れられない唯一無二の味わいで、ファンの心をがっちり捉えて離さない。

土井さんは、1975年8月に、広島県呉市にある宝剣酒造四代目・忠明さんの次男として生まれる。中学2年の夏ごろから、人の道に外れた行動が目立つようになった。
「原付バイクでぶっ飛ばす楽しさを知ったんが、きっかけなんじゃ。集会に出ては騒ぎを起こしたり、喧嘩をする……とエスカレートしていったんじゃが、悪いことをしてるつもりじゃなかったんじゃ」。
無免許運転や喧嘩騒動で何度も警察のお世話になり、地元で“宝剣の次男坊”と言えば、札付きのワルの代名詞になってしまう。16歳のとき、父から勘当を言い渡され、家を出て、土木作業員の職に就く。18歳のときに、中学生のときの陸上部の1学年上で、同じ75年生まれでの真紀さんとの結婚を決意する。当時の法律では、結婚に親権者の同意が必要な年齢だったため、婚姻届に印鑑をもらうために実家を訪れたが、父は会おうともしなかった。2回目に訪ねたときに、母のとりなしによって、家業を手伝うという条件で勘当が解かれ、ようやく婚姻届に判を押してもらえた。

母の雅子さんは「私は結婚に大賛成で、後押ししたんです。男の人は家庭を持つと落ち着く。鉄也は、純粋ないい子なんですよ。真紀さんとなら大丈夫だと思いました」と。18歳の若さで、町で評判のワルとの結婚を決めた真紀さん(ハッとするほどの可憐な麗人!)は「テッちゃんと知り合ったのは12歳か13歳のころ。その頃は悪くなかったんですよ(笑)。意志が強くて、一度決めたらやり通す。絶対に曲げないので、ケンカもするけれど、人がついてくるんです。土曜日になると急に連絡がつかなくなって、おかしいなと思ったら、集会に行ってたんですね」。
周囲からワル呼ばわりされても、母と真紀さんは、土井さんの純粋さを愛おしく思い、信じて支えようとしたのだ。男冥利に尽きるではないか。

宝剣酒造
宝剣酒造

1871(明治4)年創業の宝剣酒造では、安芸杜氏(広島県安芸津町周辺を拠点とする杜氏集団)と蔵人によって、醸造アルコールや糖類を添加した普通酒をメインに造ってきた。だが、土井さんが生まれた75年をピークに、製造量は下降線をたどる。経営は厳しくなり、土井さんが家業に就いた翌年の95年から、酒造りは父の忠明さんが行なうようになった。人件費削減のため杜氏を雇わず、蔵元が杜氏を兼任することにしたのだ。兄は大学を卒業後、IT関係の仕事に就き、家業には入らなかった。素行の悪さが地元で広まった次男の土井さんには、忠明さんは勘当を言い渡さざるを得なかったが、心の中では家業を手伝って欲しかったのではないだろうか。
土井さんは営業を担当。トラックに酒を積み込み、自ら運転して売りに出かけたが、暴言を吐いたり大喧嘩になったりして、酒蔵に苦情の電話が入ることもしばしばだった。

転機は土井さんが21歳の冬。酒造りが佳境のときに、父が脳梗塞で倒れ、入院してしまったのだ。翌朝からの酒造りは、土井さんとパートタイマーの女性従業員で取り組むしかなかったが、土井さんは酒造りの現場に入ったことはなかったので、勝手がわからない。
「パートのおばちゃんに、米どうやって炊くん? 水ぶちこめばええんじゃろかと聞いても、知らん、知らん言うて逃げよるもんじゃけん、エライことになったと思うた」。
事務所に置いてあった『酒造教本』を見ると、米は炊くのではなく、蒸すと書いてある。酒造りの基本も知らなかったのだ。
「本に書いてあることは難しゅうて意味がわからんが、頼るもんは教本しかなかったんよ」。
これまで学校の教科書もろくに読んだことがなかった土井さんが、一日20時間、教本を読み漁り、本と首っ引きで酒造りに没頭。麹の温度が上がらず、深夜、衝動的にバリカンで頭を刈り上げた。「苦しゅうて、苦しゅうて、神頼みじゃった」。不安で食事は喉を通らず、一週間で7kgも体重を落とし、ふらふらになりながら、その冬は酒を造り終えた。

父は大事には至らなかったが、身体は万全ではない。酒造期が終わると、廃業を案じた土井さんは、新規の販売先を獲得しようとこれまで以上に営業に気合を入れる。まずは見た目で勝負だと、酒に派手なラベルを貼った。土井さんのいでたちは、ピンストライプ柄のダブルスーツに、ベルサーチの鰐(わに)皮ベルト、金のブレスレットをジャラジャラ鳴らし、頭はパンチパーマで、眉を剃り上げた“盛装”。車高を低くしたシャコタンの黒塗りクラウンに乗って、飛び込みで酒販店に乗り付け、「酒、買うてください!」と頭を下げた。だが店主は目を合わそうともしなかった。
自分の見た目に問題があったと考え、頭を短く刈り、シングルスーツに、カローラの営業車で出かけたが、ほとんどの店で相手にされなかった。毎日、通って頭を下げることで、酒を置いてくれる店もあったものの、一日顔を出さないと、棚から酒を下ろされていた。

レリーフ
レリーフ

「どうすれば酒を買ってもらえるのか。真剣に考えた結果、相手が欲しいと思うような酒を造ることだと思った。このときから営業はやめようと決意したんじゃ」。
土井さんが定めた目標は、全国新酒鑑評会で金賞を取ること。“金賞蔵”と認めてもらえば、デパートやスーパーの目立つ場所にも、酒を置いてもらえると考えたのだ。そこで出品用の大吟醸造りだけに気合を入れて、他は適当に流して造った。だが、営業をまったく行わなくなった結果、売り上げはみるみる落ちた。土井さんが生まれた頃には1200石ほどあった出荷量が、100石(一升瓶で1万本)を切ってしまった。売り上げは落ちる一方で、金賞も取れない。それでも自分の造った酒は、日本一だ!という根拠のない自信があったと言う。

そんな土井さんの慢心を打ち砕く事件が起きる。
23歳のとき、栃木県の酒販店が主催する酒の会に誘われ、大吟醸酒と純米吟醸酒、純米酒の3本を出品した。「鮮やかな色のラベルを貼って、キンキラキンに光る箱に詰めて、どうじゃ!俺の酒は!という気持ち」だった。
会が始まったとたん、自分の勘違いに気が付く。出展されている酒は、土井さんにとっては聞いたことがない銘柄ばかり。ラベルは地味なものが多く、値段の安い純米酒も多かった。だが、試飲してみると、どの酒も明らかに自分の酒よりもレベルが高い。鑑評会に出品するために造った大吟醸酒ではないが、最高の品質をめざして、丁寧に造っていることが伝わってきたのだ。会に来ている人々も真剣に酒を試飲し、蔵元に熱心に質問して、好みの酒を買い求めていく。その様子を見た土井さんは、慌てて自分のブースに引き返し、純米酒1本だけ残して、他の2本はテーブルの下に隠した。純米酒が良かったわけではない。全部の酒を隠すことはできず、仕方がなく残したのだ。
「僕の酒は味がうすっぺらで、管理も悪い。ほかのお酒と比べて、とてつもなくまずかったんじゃ。恥ずかしゅうて、消えてしまいたかった。会の時間は地獄じゃった……」。
しかし、レベルの低さを自分で気が付いたことは、あとから考えれば救いになった。

その1年前から、広島県内の蔵元や杜氏を対象とした広島県酒造組合主催の唎酒選手権大会に、腕試しで出場していたが、結果は惨憺たるものだった。負けず嫌いの土井さんは、利き酒の訓練をするとともに、舌を敏感にしようと、妻に頼んで料理を薄味に変えてもらい、熱いものを食べないようにして1年間過ごす。それでも結果は思わしくなかった。そこで煙草をやめて臨んだところ、3年目に優勝。25歳の優勝は最年少記録だった。まぐれと言われるのが悔しくてその後も毎年参加して4回優勝。2004年には、「全国きき酒選手権大会」でも広島県チームとして出場し、優勝に寄与している。負けん気が、天賦の才を開花させたのだ。
「人間、強い思いがあればなんでもできる。苦しくなるぐらいに悩まんと、見えてこんもんがあることが、ようわかった」。

土井さん
土井さん
土井さん
土井さん

酒販店が主催した栃木県の酒の会で、自分の酒のレベルの低さに気が付き、ショックを受けた土井さんだったが、質の高い酒には、熱心なファンがついてくることがわかった。小売りの酒販店とファンで形成される地酒特有の流通があることを知ったのだ。地酒について何も知らなかったことを自覚した土井さんは、雑誌や本で、手あたり次第チェックした。
「そこでビビッときたのが、『十四代』と『飛露喜』じゃった。造っているお二人のことが気になって仕方がなかったんじゃ。なぜこの二人か? 理由は自分でもわからんのです」。
その頃、メディアで取り上げられる酒は、季節雇用のベテラン杜氏が造る酒が主だったが、十四代と飛露喜は、当時は珍しかった蔵の跡取りが杜氏を兼任。しかも十四代の高木さんは土井さんの7歳上、飛露喜の廣木さんは8歳上と、土井さんと年齢が近い。共鳴するものを感じて、ビビッときたのではないだろうか。

「十四代」の名前を知ってすぐ、広島市の居酒屋で「十四代 本丸」(当時は本醸造酒)を見つけたので、飲んでみた。すると安価な本醸造酒にも関わらず、鑑評会に出品する大吟醸酒にも匹敵する品質とフレッシュな味わいに、「なんじゃ、こりゃー!」と叫びたくなったと言う。「酒は搾った瞬間、空気に触れてどんどん酸化していく。店で飲むときには、鮮度が落ちていても当たり前だと思っていたのに、搾りたてのように生き生きとしていたんじゃ」。
その店には、雑誌で紹介されていた名酒がいろいろ置いてあったが、「十四代」の品質の高さは別格だと感じた。造っている高木さんのことが、ますます気になり、いつしか憧れの存在になっていく。

地酒の世界で生きると決めた土井さんは、独りよがりの日本一ではなく、「“ホンモノの日本一”の酒を造ることと。地酒のトップスター、十四代の高木さんに会うこと」。この2つを生きる目標に定めたのだった。

山中酒の店
山中酒の店

※次回も引き続き、「宝剣」の物語をお送りします。

宝剣酒造
広島県呉市仁方本町1‐11‐2
【電話】0823‐79‐5080

※文中の高木さんのお名前の漢字「高」は、正しくは“はしごだか”です。ブラウザ上で正しく表示されない可能性があるために「高」と表示しています。会社名は「高木酒造」です。

文・撮影:山同敦子

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