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ジョナサン・アンダーソンがディオールから巻き起こす、モードの革命

  • 2026.2.3

Portraits by Annie Leibovitz. Fashion Photographs by Stef Mitchell.

ある金曜日の午後、陽が傾きかけたころ。薄明かりの静かなパリの通りに佇むオフィスで、ジョナサン・アンダーソンはそう遠くない未来に発表するコレクションのピースを吟味するために、大きなテーブルの前に腰を下ろした。「今日の確認事項は?」と彼は聞く。

まるで手術中の外科医のような真剣さで、デザイン・ディレクターのアルベルト・ダラ・コレッタはひと通り説明する。まず、クチュールに関して決めなければならない点について。それから、ウィメンズのプレタポルテで早急に解決せねばならない点を伝える。「これが、修理したあのスカートです」と、紙の束をぱらぱらとめくりながら彼は言う。「前よりも様になってきていて、面白いと思います」

「背面はいい感じだね」とアンダーソンはきびきびと相槌を打ち、次のアイテムを見せるよう頷いて示す。背が高く、なびく赤褐色の髪と、アイルランド人特有のリズムを感じさせるバリトン声を持つアンダーソンは容赦がなく、41歳にしてディオールDIOR)の新クリエイティブ・ディレクターという、ファッション界で最も影響力のあるポジションのひとつに就いている。昨年、任命が発表された際、業界全体はかすかな興奮を表した。ロエベLOEWE)のクリエイティブ・ディレクターとしての11年間に幕を下ろすことになったアンダーソンは、同メゾンに在籍している間、ファッション史からのインスピレーションや多方面にわたる自身の趣味、異なる思想や様式などを取り入れる創造的なスタイルで業界を活気づけ、市場に新たな魅力をもたらした。それを、今年で設立18年を迎えたロンドン拠点の自身のブランド、JWアンダーソン(JW ANDERSON)を率いながらやってのけたというから驚きだ。

「どんな方向にももっていけるんです。同じようなデザインを打ち出している感じはしないです」とジェニファー・ローレンスは言う。彼女はアンダーソンが手がけたディオールのドレスレッドカーペットでいち早く着用した人のひとりだ。「普通なら、似たような世界観のスケッチを3つくらい提案されるんですけれど、ジョナサンが送ってくるものは、25人の異なるデザイナーが考えた、25の異なるデザインに見えるんです。その振り幅の広さには常に驚かされます」

ダラ・コレッタはどこか申し訳なさそうにしながら、次のお題に移る。「個人的には、色はあまりぱっとしませんでした。ブラウンなんかはちょっと──」

「ブラウンの部分をゴールドにしてみるのはどうだろう? かなり良い感じになる気がするんだけれど」とアンダーソンは怯まずに提案する。

「ほお、なるほど。はい」

「変かもしれないけれど」とアンダーソンは言い、顔を横に向ける。

オフィスの一番奥にある暖炉のマントルピースの上には、アンダーソンが「ブックカバー」コレクションの一環として制作した、「Ulysses by James Joyce」と大きく書かれたバッグがあり、デスクの上には手動のタイプライターと果物の形をしたキャンドルがいくつか置かれている。部屋の中央には、現在進行中の広告キャンペーンの画像が貼られた、8枚のキャスター付き展示パネルがランダムに配置され、印の付けられた綿布の仮縫いを着せられたマネキン1体と、衣類ラック2台がテーブルを囲む。メゾンはアンダーソンに、すべてを賭けた。それもあり、世間は彼の任命に期待を寄せた。アンダーソンはクリスチャン・ディオール本人以来初めて、ウィメンズ、メンズ、そしてバッグやシューズを含むクチュールまで、メゾンのすべてのファッションラインを一手に担うデザイナーとなった。現在、パリでも最大級のクチュール・メゾンのひとつのために、年間10に及ぶコレクションを手がけるそのプレッシャーは凄まじい。会議では複数の議題が同時にあがり、息もつかせぬスピードで展開されていく。

「それで、これはもうひとつのイメージをもとにしたものです」とダラ・コレッタは言う。「こんな風にフリンジを全部カットして、ジャカードを表現してみようと思います」

アンダーソンは髪を乱暴にかきあげ、ページを睨む。彼の仕事ぶりは概して、村の病院の診察室の外で、医師から診断結果を聞かされるのを待つ人の様子に近い。いつも通り、左肘のそばにはバッグの中身を全部テーブルの上に出したかのように、iPhone、コーヒーカップ、エビアンのペットボトル、ケース入りのワイヤレス小型イヤホン、箱に入った小粒のハードキャンディ、タバコ1箱、小さなメジャー、「Dumb as a Dream」と書かれた、画家リチャード・ホーキンズとロエベのコラボによる鮮やかなグリーンのファスナー付きコインケースなど、身の回りの品が散乱している。

「いいね」と彼はようやく言う。そしてページをさらにじっと見つめる。「でも、ここの色味は今ひとつかな」

もう2ページ確認すると、アンダーソンは別のミーティングのために部屋から飛び出して行った。

「ジョナサンとのミーティングは、1時間分のことを10分に収めなければなりません」と、スケッチや書類を片付けながらダラ・コレッタは微笑む。

勢いを増す、大いなるメゾン<br /> アンダーソンによる初のウィメンズショーで発表されたピースは、メゾンの歴史を独自に解釈し、覆しにかかりながらも讃える。そのうちの1着を纏う、モデルのアジュ・サミュエル(登場するサミュエルのルックはすべてディオール。ディオール ブティック提供)。Fashion Editor_ Alex Harrington.
アンダーソンによる初のウィメンズショーで発表されたピースは、メゾンの歴史を独自に解釈し、覆しにかかりながらも讃える。そのうちの1着を纏う、モデルのアジュ・サミュエル(登場するサミュエルのルックはすべてディオール。ディオール ブティック提供)。Fashion Editor: Alex Harrington.
メゾンのコードをものに<br /> アンダーソンによる2026年春夏コレクションで発表されたドレスを纏う、モデルのベッツィ・ガガン。「どうすれば、古いもののなかに新しさを見出せるのか」とアンダーソンは問う。「今起きていることと、対話をすればいいのです」。Fashion Editor_ Alex Harrington.
アンダーソンによる2026年春夏コレクションで発表されたドレスを纏う、モデルのベッツィ・ガガン。「どうすれば、古いもののなかに新しさを見出せるのか」とアンダーソンは問う。「今起きていることと、対話をすればいいのです」。

本番の何カ月も前から、チュイルリー庭園で開催されたアンダーソンによる初のディオールのウィメンズショーには、パリで行われるどのショーよりも期待が寄せられていた。コスチュームを着る見物人、来場セレブに向けてメッセージ入りのボードを掲げる人、誰彼構わず黄色い声援をあげる人。開始まで1時間を切ったころには、大勢の人が公園からコンコルド広場へあふれ出ていた。ジェニファー・ローレンス、サブリナ・カーペンターアニャ・テイラー=ジョイジスジミンロバート・パティンソンジョニー・デップを含む数多くのセレブは、そんな群衆の合間を縫うように、セキュリティガードが示すルートを通っていった。

映画監督のルカ・グァダニーノと彼のプロダクション・デザイナーであるステファノ・バイシは、チュイルリー庭園の八角形の噴水を覆うように建てられた巨大な薄茶色の建造物の中を、天井の低いギャラリーに仕立てあげた。まだらなグレーの壁には、イタリアのモダニスム様式の重層的なモールディングが施され、観覧席として箱状のスツールが並べられている。「まるで博物館のような空間にしたかったのです」と言うグァダニーノは、アンダーソンとは15年前からの知り合いだ。近年は、グァダニーノ監督作3本で衣装を通じたコラボレーションを行っている。

照明が落ちると、ドキュメンタリー作家のアダム・カーティスによる短編フィルムが、三角形の鏡板に投影された。「Do You Dare Enter the House of Dior?(ディオールというメゾンに、足を踏み入れる勇気はあるか?」と書かれたタイトルカードがまず映し出され、その後、さまざまなフッテージ映像をつなぎ合わせた、目まぐるしいモンタージュが続いた。それは、ディオールの78年間の歴史をたどるホラー映画のよう。そして再び照明が点灯。不穏な夢から醒めたような感覚の中で、アンダーソンが手がけた初のウィメンズコレクションがランウェイに登場した。

現れたのは、プリーツ加工のねじれた生地、短く仕立てられたツイードのスカートスーツ、奇妙な柄に不規則に編まれたレース。ディオールの名品の「バー」ジャケットを変形させたデザインや、クラシックなシルエットに遊び心を加え、再解釈したドレスも披露された。ビブフロント、折り襟、リボンクラバット、深みのある渋い格子柄などを取り入れたコレクションは、ミッドセンチュリー時代の上品なファッションを彷彿とさせる。だが、風変わりなボリューム感、縦の比率を縮小したプロポーション、ハーブを剪定するのと同じように、完成形に大胆にハサミを入れたような削ぎ落とされたデザインが唐突に登場し、伝統的な要素に極端でどこか奇形なエッジを加えていた。

特に印象的だったのは、アンダーソンが6月に発表した初のメンズコレクションで取り入れた言語をルックに踏襲していたことだ。そのメンズコレクションには、バッスルを思わせるほどボリュームを持たせたカーゴショーツなど、ウィメンズウェアにインスパイアされた要素が含まれていた。メンズとウィメンズのコレクションを単に並行して作っていくのではなく、お互いに呼応するものとしてデザインしていくことで、“ディオール・カップル”という新たな存在を生み出していく。その可能性を追求することこそが、メゾンのクリエイティブのすべてを統括できる、異例なポジションに就いたアンダーソンの提案の核心だったと、クリスチャン・ディオール・クチュールの会長兼CEOのデルフィーヌ・アルノーは語る。

「モダンなビジョンです。メンズのルックをウィメンズで、ウィメンズのルックをメンズで代替できるのがわかります」と彼女は言う。このビジョンはまた、アンダーソンが駆け出しのデザイナーのころから自らのブランドで追求してきたものだ。2013年、彼は裾にラッフルを施した、ミニスカート風のショートパンツをメンズコレクションで発表し、物議を醸した。

俳優、キャバレーアーティスト、そしてトランスジェンダー・アドボケートのジャスティン・ヴィヴィアン・ボンドはアンダーソンを「本当の意味で、いち早くウィメンズとメンズのコレクションの橋渡しをしたデザイナーのひとり」と評する。「ウィメンズコレクションには男性を、メンズコレクションには女性を必ずひとりかふたり起用するところに共感します。そこにわざとらしさはありません。合理的で、ワクワクします」。ボンドがアンダーソンに初めて会ったのは、20年以上も前のことだ。ボンドがロンドンで行ったショーに、ルーファス・ウェインライトがアンダーソンを連れて行ったのがきっかけだった。「羽根を編み込んだニットキャップと、フェイクアーミンのラップドレスと、メッシュにハエがとまっている素敵なヘッドバンドを作ってくれました。全部、とても初期のジョナサンらしかったです」

ほどなくして、アンダーソンはボンドに自身のロンドン・カレッジ・オブ・ファッションの卒業制作ショーへの出演を持ちかけた。以来、ふたりはさまざまなプロジェクトでコラボレーションを行い、直近ではオペラ『Complications in Sue』でタッグを組んだ(衣装はアンダーソンが担当)。「強い緊張感の伴う仕事に真剣に取り組んでいるにもかかわらず、彼が遊び心を失ったことは一度もありません。それもあって、創作への意欲を持ち続け、進化し続けられるんだと思います」とボンドは言う。

ジョナサン・アンダーソンのお気に入りの言葉のひとつが「radical(革新的)」だ。何かを褒めるとき、彼はまずこの言葉を口にする。「革新的だからと言って、主張が強いものである必要はありません。新しいものを模索するプロセスだけでも、ときには革新的なのです」とある日、彼は語った。「そしてディオールにとって新しいものが、ロエベにとって新しいものとは限りません」

ロエベはLVMHが傘下に持つファッションブランドの中でも一番の老舗だが、スペインの皮革製品の工房としてその歴史のほとんどを築いてきた。熟練したバッグ作りの技術で名をあげ、アパレル分野への参入には慎重だったブランドに、アンダーソンは活気をもたらしただけでなく、ロエベのスタイルに対する世間の理解を根本から高めた。「ロエベはファッションの言語を必要としていたんです」と彼は言う。「ディオールはそれを必要としていません!でも、しっかりとした構造のバッグと、ひとつの世界観を作る必要はあります」。異なる要素を今までにない形で組み合わせ、そこに新たな関係を築く。そうすることで、アンダーソンは革命を起こす。

このように、それまでの歴史を踏襲しながら進化していくには、自分なりに過去としっかり向き合う必要がある。ホラー映像で始まるファッションショーはそうない。由緒あるパリのクチュールメゾンの舵を取る多大なプレッシャーを、アンダーソンは遊び心を感じさせる方法で表現しようとしたのだ。戦後に「ニュールック」を生み出したクリスチャン・ディオール本人をはじめ、イヴ・サンローランジョン・ガリアーノなど、数多くのデザイナーがメゾンのクリエイティブ・ディレクターに名を連ねてきた。その顔ぶれには畏怖を感じる。

「これほどまでプレッシャーを感じたことはないです」とアンダーソンは説明する。「そしてそれは、自分が自分にかけているものでもなく、ブランドからくるプレッシャーでもありません。『ファッションを救わなければならない』という、今の世論が生み出しているプレッシャーです。私はそれを、どこか奇妙なユートピアみたいだと思っています。この映像は、観客に私が置かれている立場を理解してもらうための手段のひとつでした」

融合と革新<br /> ディオールを纏うモデルのチャーリー・ジョーンズ。Fashion Editor_ Alex Harrington.
ディオールを纏うモデルのチャーリー・ジョーンズ。

ほとんどの場合、アンダーソンにとって仕事は苦労を伴い、意欲がなければできないものだ。父親のウィリーはかつて、ラグビーのアイルランド代表チームのキャプテンだった。(「ラガーシャツはジョナサンを象徴する要素のひとつです。時が経っても、ブランドが変わっても、打ち出し続けているのは素敵だと思います」とグァダニーノは語る)。

アンダーソンは、父親を意志の強い人物だと思っている。「父の実家は酪農を営んでいて、わりと遅くに、成人してからラグビー選手になりたいと思ったそうです。父はラグビーがまだプロ化されていなかった時代に、選手として活動していました。試合に勝っても、1ポンドしか支払われなかった時代です」と言うアンダーソン。弟のトーマスもラグビー選手だ。「弟と父は、お互いに対抗意識を持っていました。そんなふたりの関係を見て、『ラグビーに興味がなくて良かった』といつも思っていたんです!」。にもかかわらず、マラフェルトという北アイルランドの小さな町で育ち、第一志望のファッション専門学校に落ちたアンダーソンは、ふたりと同じような心の鎧を纏うようになった。

「ずっと、アンダードッグとして生きてきました。不利な状況に置かれていない気がすると、自分の実力を見せつけなければならないような環境を、自分で作り出します」と話すアンダーソンは、記者の質問に答えることで悩みを解消しているため、セラピストにかかる必要はないとジョークを飛ばす。ディオールのクリエイティブ・ディレクターを、アンダードッグが就くようなポジションだと考える人は少ない。だが、アンダーソン自身は、劣勢に立ちながら前任者たちと競っている気持ちだという。「数多くの慕われているデザイナーがディオールの指揮を執ってきました。そして皆、その時代のデザイナーが一番好きなんです。ジョン・ガリアーノなどがディオールで成し遂げたことは、天才的でした。ディオールを根幹から揺るがしたのです。でも、あのころは今とはわけが違いました」

アンダーソンが最初に就いたファッション関連の仕事のひとつがショーウィンドウのスタイリストで、マヌエラ・パヴェージのアシスタントとして、ロンドンのボンドストリートにあるプラダPRADA)のディスプレイを手がけていた。「彼女の人柄に、そして心理学を用いて、人々の購買意欲を刺激するウィンドウを作る姿に、ただただ魅了されていました」とアンダーソンは言う。

「プラダがロボットを取り入れたデザインを出したとき、シンプルなマネキンとバッグをひとつだけ飾ったウィンドウになっていたことがあったんです。私は面白いと思ったんですが、彼女は気に入らなくて。そしたら突然、ハンドバッグやロボットをいくつもいくつも、次から次へとウィンドウに放り込んでいったんです」。外からウィンドウを見たアンダーソンは、それが市場飽和を表現していることに気づいた。あらゆる要素がなぜか不思議と調和する、ひとつの一貫したディスプレイに仕上がっていたのだ。「パジャマにクロコダイルのコートなど、彼女はいつも、相反する服の組み合わせを徹底的に追求していました。彼女を前にすると身がすくみましたが、完全に夢中でした。どうすれば、そんなことが思いつくのかと」

デザイナーとして無事に独立すると、アンダーソンもパヴェージと同じような才能を発揮し始めた。異なる要素を巧みに組み合わせるだけでなく、言葉やスタイリングを通して掲げたビジョンを形にする能力が評価され、それが経営者やセレブ、ファッション市場を形作るその他の人たちに対して、自身が生み出すものの価値を明確にしていった。「彼は、自分をアピールするのがとても上手いです」とアルノーは言う。これも自分の生い立ちのおかげだとアンダーソンは指摘する。「相手がどんな大物でも、どんなに有名でお金持ちの人でも、その人の気持ちになって物事を見ることはできる。そう親から教わりました」と語るアンダーソンは、今も人との関わり方で悩むときは、まず両親にアドバイスを仰ぐ。

アンダーソンは、周囲から引き合いを受けるよりもむしろ、自ら積極的にチャンスを掴みに行ってきたことで知られる。まだプラダで働いていた20歳のころ、既存のオブジェで作るブローチ作家として「i-D」誌に写真が掲載された。ある日の朝7時ごろに、作品に興味を惹かれたデルフィーヌ・アルノーからいきなり電話がかかってきたときのことを彼は振り返る。「あたかもずっと起きていたかのように振る舞おうとしたのを覚えています。さっきまで寝ていたのに、眠そうな声にならないようにするのは、いつもなかなか難しいです」。アルノーはというと、その1年前にロンドンで開催された展覧会で、アンダーソンに初めて会ったときのことを思い起こす。

2013年、LVMHがJWアンダーソンを買収した年、ロエベはクリエイティブ・ディレクターを早急に必要としていた。誰か良い候補者はいないかと尋ねられたアンダーソンは、自ら手を挙げたことを当時、LVMHのファッション部門のトップを務めていたアルノーは回想する。2010年代初頭のころの彼は、新たなポジションを狙っていた。「これからについて、グループ内のどんな新しいプロジェクトだったら彼に任せられるかについて話し合い始めました」と彼女は振り返る。現在、フェンディFENDI)を率いる前任のマリア・グラツィア・キウリがディオールを去るとき、アンダーソンはメンズウェア、ウィメンズウェア、そしてクチュールの指揮を執ることも自ら提案したのだった。

そのころまでには、アンダーソンが手がけるロエベは社会現象を巻き起こしていた。就任してからの最初の7年間はクラフトに焦点を当て、ロエベという名高いブランドが誇る熟練の技を、モダンでエレガントに、そして立体的なフォルムを中心とした形で再解釈した。その後、パンデミック中にはひと皮むけ、よりワイルドで遊び心のあふれるスタイルへとシフト。コンセプトもさらに多様でオープンなものになっていった。光り輝く胸当て、ピクセルの総柄デジタルプリントの生地、本物の草が生えたコート、ミニーマウスのパンプスやバルーン型のヒール、ウィリアム・サルトリウスの絵画からインスパイアされた巨大な苺などは、このころに打ち出された。(また、現在もコラボレーションが続いているユニクロUNIQLO)のためには、ビアトリックス・ポターから着想を得たコレクションをデザインした)。

「彼がロエベでやったことは画期的でした。ひとつのブランドだけではなく、カルチャーそのものを一新したのです」とローレンスは振り返る。「とても独特で、ニュアンスに富んだ視点でカルチャーを捉える、非常に影響力のあるアーティストでした」

約束されたデザイナー<br /> 「これほどまでプレッシャーを感じたことはないです」とメゾンでの初のランウェイショーについてアンダーソンは言う。 Fashion Editor_ Alex Harrington.
「これほどまでプレッシャーを感じたことはないです」とメゾンでの初のランウェイショーについてアンダーソンは言う。

ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館の評議員の一員でもあるアンダーソンは、フランドルの巨匠からアンセア・ハミルトンまで、幅広いジャンルのアートを研究し、収集する。しばらくの間は建築に興味を寄せていた彼は、根っからの陶芸好きだ。そしてパンデミック後に打ち出したコレクションで培い始めたスタイルは、以前よりも明るく、削ぎ落とされており、もともと好きだった建築や陶芸を新たな方法で、直接的に取り入れるきっかけを与えた。

「アートとファッションを取り混ぜるのは、ジョナサンにとって必要不可欠なことなんです」と、2017年よりロエベのブランドアンバサダーを務めていたジョシュ・オコナーは言う。「こういった素晴らしいショーを作り上げ、人々の称賛を浴びることで、より一層自信がついたんだと思います」

アンダーソンの好奇心は、人から人へと伝染する。祖母が陶芸家だったというオコナーも、アンダーソンの影響で陶芸により興味を持つようになった。「ジョナサンの家にディナーを食べに行ったときに、彼の見事な陶芸コレクションを目にしたんです。私も大好きなアイルランド人の陶芸家のサラ・フリンやルーシー・リーの作品に、イアン・ゴッドフリーの作品もたくさんありました」。アンダーソンは、北アイルランドの都市アントリムにあるテキスタイルメーカーのサミュエル・ラモントで働いていた、母方の祖父の影響で陶芸を好きになったと言う。「私たち家族の中で、一番クリエイティブな人でした。(彼のおかげで)子どもころは、とても斬新な陶磁器に囲まれていましたね」

アンダーソンの現在の友情や交友関係の多くは、アートを中心に成り立っている。そんな彼はここ最近、JWアンダーソンでコラボレーションをした、スペイン・カタラン地方出身のアーティストのポル・アングラダと交際している。「こういった仕事をしていると、プライベートの時間を確保するのは難しいです」と彼は言う。「父がワールドカップの仕事をしていたときに、目の当たりにしました。長い時間離れていると、帰ってきてから、お互いを新鮮な気持ちでまた知らなければならなりません。年を重ねると、大切にしたいと思う時間ほど、自分でちゃんと確保しなければならないことを学ぶのです。諦めるのは簡単です。そうならないためにも、自分で何かしらのメカニズムを作らなければなりません」

それ以外のときは、どれくらい仕事に追われているかによって興味の矛先は変わる。「今は毎週ルックブックをリリースし、毎週キャンペーンを発表するような日々です。1日の大半を、アイデアを捻出することに費やしています」。その説明だけでは、この仕事の高揚感が十分に伝わらないと思ったのか、アンダーソンはこう付け加えた。「でも、夢中にもなるんです。ひとりのアーティストや人物、あるいはひとつのヴィンテージピースが、コレクション全体の着想源になることもあります」

ある12月の朝、私はオルセー美術館でアンダーソンと会う約束をした。自身が所有する《Daphne》(1988)という作品を手がけたイギリス出身の画家、ブリジット・ライリーの大規模展が目当てだ。彼は遅れてやって来た。「本当に有意義な時間になるのか」と勘繰ってしまうのを恐れて、1日のスケジュールを前もって確認することも、次から次へと行われるミーティングの事前準備をすることもないという。案の定、彼はいつも予定より遅れて動いている。この日も疲れを滲ませていた。

クリスマスをこんなに楽しみにしたのは、人生で初めてです。決してクリスマスが好きなタイプではないので、相当なことです」と彼は言い、現在進行中のプロジェクトを自身のためにも、私の確認のためにも列挙する。「クチュールのフィッティングがあと1回、メンズのフィッティングがあと1回、ウィメンズのフィッティングもあと1回あります。それからクルーズのローンチがあって、それが終わればあとはプレフォールとリヴィエラのコレクションを市場に送り出すだけです。このシーズンはとても短いので、いつも一番つらいです」としかめっ面のような笑顔を浮かべる。「でも、楽しいですよ!」と美術館のアーチ型の中央ホールをどんどん進んで行く。

不要な部分を削り、作品の本質だけを残すライリーに憧れるとアンダーソンは言う。「完成を恐れていない、ということですかね。素晴らしいインド絵画からも、レンブラントの作品からさえも、作品を“完成させる”ことに対する自信を感じて、なぜ、自分が今この作品の前にいるのかを考えさせられます」

展覧会を企画し、私たちに付き添っていたキュレーターのニコラ・ゴスランが、壁の色を指摘する。そこにはジョルジュ・スーラの作品が飾られており、壁の色は白い。現在90代半ばのライリーは、美術館の方針に反して、白壁がジョルジュ・スーラの作品を引き立ててくれると譲らなかった。

「白がより白く見えます」とアンダーソンは頷く。「とても革新的です」。そして展示室をもう一周し、足早に出口に向かった。「脳を目覚めさせるためには、駆け足で観なければなりません」と美術館を後にしながら説明する。「あまり長く居座ると、つながりが見えてこないんです。昔からずっと祖父の影響で、『どうすれば、古いもののなかに新しさを見出せるのか』と考えてきました。今起きていることと、対話をすればいいのです」

私たちはランチをするために、川沿いに佇む、古い木版張りのレストラン「Le Voltaire」に入り、ブース席に落ち着いた。当初の計画とは違うが、時間が押しているので予定を変更した。臨機応変にスケジュールを組み直すアンダーソンにとってはよくあることだ。ウェイターがカブ、サラミ、パン、そしてバターが盛られた皿を運んでくる。アンダーソンは牛のフィレステーキをミディアムウェルで注文した。

「ミディアムウェルですと、30分かかります」とウェイターは、控えめな反発を滲ませながら言った。

「じゃあ、ミディアムでいいかな。あと、フライドポテトも。盛るだけ盛ってください」

「かしこまりました」とウェイターは無表情で頷きながら呟く。

アイデアの在処<br /> ディオールのアトリエでのアンダーソン。「1日の大半を、アイデアを捻出することに費やしています」と言う。「でも、夢中にもなるんです。ひとりのアーティストや人物、あるいはひとつのヴィンテージピースが、コレクション全体の着想源になることもあります」Sittings Editor_ Jack Borkett.
ディオールのアトリエでのアンダーソン。「1日の大半を、アイデアを捻出することに費やしています」と言う。「でも、夢中にもなるんです。ひとりのアーティストや人物、あるいはひとつのヴィンテージピースが、コレクション全体の着想源になることもあります」

アンダーソンはロンドンにも拠点を置いてる。そこではJWアンダーソンの家具やアート、コレクターズアイテムの分野への参入を進めている最中だ。パリとロンドンを行き来していると、ときに“むち打ち”のようなカルチャーショックを受けると言う。「外食や外出の文化が、全く異なるふたつの街です。なぜかはなわからないんですけれど、フランスの氷はイマイチです。それが一番面白い、最大の違いですかね。氷があまり美味しくないので、ジントニックが美味しかったためしがないです」

食事をとりながら、アンダーソンは、デジタル時代におけるラグジュアリーブランドの存在意義を探ることこそが、今自分が取り組むべき文化的プロジェクトだと語った。

「ファッションに惹きつけられた理由は、未来のために何かをデザインすることができるからです。何かをデザインして、発表して、半年後にはそれが店頭に並んでいる。それはつまり、消費者に作品を理解する時間を与えるということなんです。私たちは現在、『今この瞬間』に刺激的だと感じる服を作る時代を生きています。店頭に並ぶころには、もう勢いがないんです。糖分を過剰に摂取したときに陥る、一時的な興奮状態に似た状況ですね」。このような環境では、一定のクオリティを保つ姿勢を広く根付かせるのは不可能に近い。それが最大の問題点だとアンダーソンは言う。

「人々の理解力に影響を及ぼしています。私たちは、1日に何百万枚もの画像を消費することに慣れていますが、読み物はそれほど多く消費していません。メッセージには絵文字で返す。より効率的だからと言って、音声メモを送る。若いころは夢のようなシナリオだと思っていたでしょうね」と語るアンダーソンは、ディスレクシアを抱えている。「でも、服作りも文字を書くことも、頭で考えたことを手で表現する、とても変わった行為です」。このように、意識的に取り組まなければならないからこそ、ファッションは長年、目下の刺激を追い求めることなく、常に先を行き、未来を形作ることができたのだとアンダーソンは考える。新しいアイデアを根付かせるためには、一度立ち止まらなければないのだ。

アンダーソンは、豪快にステーキを切る。「私の弱点は、ものすごく些細ないことに精神的に参ってしまうことです。キャスティングしたいモデルのスケジュールが合わなかったり、どうってことないような小さな会場が押さえられなかったり、そういったことにやられます。ミーティングがなんだか思うように行かないときも、参ってしまいます。否が応でも怒りを覚えてしまうんです。結局は、自分に対する怒りなんですけれどね」と彼は明かした。「でも、世間の忍耐力のなさに、今一番腹を立てています。私も忍耐強くないので、私にも責任はありますが。私たちはただ、ものを消費して、気に入らなければ切り捨て、すぐに次のものに興味を移します。これは、クリエイティビティを損なう行為で、皆、革新的であることを恐れているから、良い映画や音楽が生まれにくくなっているのだと思います」

アンダーソンにとって新たな領域であるクチュールは、斬新さを追い求め、物事をじっくりと鑑賞する風潮を改めて作る魅力的な手段だ。彼は、ディオールのクチュールをより多くの人に届けることを夢見ており、ヴィクトリア&アルバート博物館のような、入場無料で自由に訪れられる博物館をモデルとしたクチュールのあり方を目指している。そうすれば、クチュールのドレスを買う金銭的な余裕がない人でも、服を間近で楽しむことができると言う。「人々にファッションを好きになってもらいたいんです。クチュールは全員が全員、買うものではありませんが、ブランドのレガシーや手仕事、培われてきた知識を支える、木の幹のようなものなのです」

ディオール 2026年春夏オートクチュールコレクションより。
ディオール 2026年春夏オートクチュールコレクションより。
2026年春夏オートクチュールショーに駆けつけたジョン・ガリアーノ。
2026年春夏オートクチュールショーに駆けつけたジョン・ガリアーノ。

クチュールの経験が浅いアンダーソンにとって、これはディオールで挑戦することの中でも特に思い入れがある領域だ。クチュールのデビューコレクションは自身が若いころ、「神様のような存在」だったと言うジョン・ガリアーノから着想された。アンダーソンがウィメンズウェアのコレクションをメゾンの関係者以外に初めて披露したのも、ガリアーノに対してだった。

「テスコで買った袋いっぱいの食べ物と、原種シクラメンの見事な花束をふたつ携えて来てくれたんです」。大好きだと言うシクラメンの花は、ガリアーノの庭で咲いてものだ。いたく感動したアンダーソンは、ガリアーノへのトリビュートとして、シクラメンをクチュールコレクションのモチーフのひとつにした。まだ存命だということを考えると、極めて思い切りが良い行為だ。18世紀のテキスタイルやアンティークの細密肖像画を参考にしたため、アンダーソンはシクラメンを刺繍や会場の装飾として展開。ウィメンズショーのオープニングを飾ったランタン型の白いプリーツドレスをアレンジしたルックで、ショーを幕開けることにした。

「プリーツの技術が好きなので、どうすればプレタポルテとクチュールでそれぞれ違った形で表現できるだろう、と考えました」とアンダーソンは言う。「チェルシー磁器工房の陶器を集めているんですが、1期の作品も、2期の作品も、ぱっと見は同じなんです。でも、製造方法が全く違います。どちらかの方が優れているという話ではなくて、単に漂うエネルギーが違うのです」

ショーは天井にシクラメンが生い茂る、鏡張りの空間で行われた。柔らかな光の中、春や宵らしい色合いの煌めく63のルックが登場。そのすべてがクチュールの言語で語られていた。プリーツドレスからは物憂げな優雅さが漂い、ビーズ装飾は一粒一粒に躍動感がある。一部のドレスの層を成していた花びら風のフォルムは、まるで実際に花開いているかのよう。風変わりな形のニットウェアからは有機的な広がりが感じられ、アンティークからインスパイアされた生地は室内のライトのもとで、輝かしいモダンな空気感を放つ。繊細な貝殻風の形のドレス、雅やかな刺繍、卓越したテーラリングとドレーピング技術が静かに光る黒のオーバーコート、生き生きと咲き誇るポンポン状の見事なフローラルイヤリングも、アンダーソンはランウェイに送り出した。

会場にいたアンダーソンも、ガリアーノも涙ぐむくらいに、私を含む多くの観覧者の心を強く揺さぶるショーだった。同時にそれは、精密な手仕事の美しさと、時間の中で積み重なっていく変化、ひと続きの歴史の確かな証しでもあった。

アンダーソンの創造力と野心は、壮大なアイデアと細部に宿る特徴が調和したときに現れることが多い。「頭が爆発しそうな日もありますが、結局思い描いているものを実現するためなら、自分のできる限りのことをやるんです。それは自分のためだけでなく、このプロジェクトに協力してもらっているすべての人たちのためです。かれらのためにも、成功させなければならないのです」

ディオールでのポジションに就いてからというもの、アンダーソンはほとんどずっと飛び回っている。11月と12月には、通常通りヨーロッパ中を移動するに加えて、仕事の用事でニューヨーク、ドーハ、北京へと赴いた。その間、ずっと6つの異なるコレクションの制作を進めていた。

ある爽やかな朝、ロサンゼルスにいたアンダーソンは、新たにオープンするディオールのビバリーヒルズ店に関する一連のミーティングに参加するため、宿泊していたシャトー・マーモントのロビーへと駆け降りた。「昔からロスを訪れるのは好きでした。ここに住むことはないですが、ロスで過ごす時間は好きです」と言い、スプーンをひしゃくのように握りながら、大皿に盛られたヨーグルトとグラノーラを貪るように食べ始めた。部屋に反対側に座っていた女性ふたりが、こっそりとアンダーソンの写真を撮る。ディオールの世界的な知名度の高まりを受けて、アンダーソン自身の知名度も上がった。セレブの都であるこの街でも気づかれるくらいの著名人に、彼はなったのだと再確認した瞬間だった。

初めてロサンゼルスを訪れたとき、アンダーソンはタクシーに乗り込み、運転手に「10086サンセット大通りまで」と告げた。映画『サンセット大通り』(1950)の主人公ノーマ・デズモンドの住所だ。「ガレージかなんかが建っています」と彼は言う。「でも、往年のハリウッドのキャラクターほど良いものはありません」。昨今のセレブはあまりに身近な存在となり、そのせいで、かつて放っていたアイコン的な存在感と威光が損なわれたと、彼は少しだけ嘆く。

「ディオールが映画スタジオに所属する俳優のためにルックを制作していたころは、ブランドがシルエット、アイデア、イメージのすべてを決めていました。ファッションにはそういった映画が教えてくれたロマンが必要です」。彼は目を逸らし、物思いにふけながらバーの近くにある燭台の方を見る。「将来、ディオールが少し“キャンプ”に、派手に、ほんの少しパフォーマンス的になってもいいと思います。ジョンがその扉を開け、ディオール自身がその扉を作ったのです」

新しいディオールのブティックは、ロデオ通りの一等地にある4階建ての見事な建物で、宙に浮いたような螺旋階段が目を引く。この店舗は、メゾンのイメージを再び一貫したものにする試みのようなもののひとつだ。「ディオールにとっての新たな章です」とアルノーは言う。建築家のピーター・マリーノが手がけたブティックには、屋上テラス、VIPクライアントのためのプライベートラウンジ、自身がオーナーシェフを務めるサンフランシスコのレストランが評価され、アメリカでミシュランの3つ星を獲得した初の女性シェフとなったドミニク・クレンが考案したメニューが楽しめるレストランがある。昨夏から、こういったパリのモンテーニュ通り30番地に建つ、巨大なディオール本店をモデルにした店舗が増えており、北京、ミラノ、ニューヨーク、そして大阪にオープンした。一部は今後オープンする予定だ。

「ディオールの存在感を大いにアピールする、とても大規模な投資です」とアルノー。デジタル時代においても、実店舗がディオールの売り上げを後押しし続けている。そして、すべてのコレクションを指揮するアンダーソンの包括的なアプローチは、ひとつの一貫した、普遍的なディオールの世界を作る取り組みにそぐう。

午後7時25分に、アンダーソンはビバリーヒルズ店の屋上テラスとラウンジに姿を現した。ファッションブランド主催のディナーにしては、ゲストリストはひと味変わっており、興味深い顔ぶれが集まっている。「ジョナサンが本当に心から共感し、惹かれる人たちが揃ったような集まりでした」とグレタ・リーは言う。彼女はディオールのシンプルでエレガントなグレーのブラウスとデニムという装いだ。「彼の思いつくアイデアや選ぶもの、興味の対象は本当に幅広くて、面白いです」と続けた。ローレンスは夫と参加。そして、長年ディオールのアンバサダーを務めているシャリーズ・セロンがようやく到着した。ほかにもジア・コッポラ、モード・アパトー、『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』(2025)で一躍スターとなったEJAE(イジェ)の姿がある。ローレン・サンチェス・ベソスはほかのゲストたちとセルフィーを撮り、ハグを交わす。「ホワイト・ロータス/諸事情だらけのリゾートホテル」の脚本家兼監督であるマイク・ホワイトは、自分が招待されたことに驚いているかのようだ。ディオールのセーターを身につけた彼は、目を輝かせながら、目に入るものすべてを心に留めるようにあたりを歩き回っている。

アンダーソンがディオールに引き連れてきたセレブアンバサダーの多くは、彼の長年のコラボレーターだ。リーもそのひとりで、かれらは皆、古くから“由緒正しきフランスのメゾン”として知られるディオールにより独特でウィットに富んだエネルギーをもたらしている。

創造の架け橋<br /> 「本当の意味で、いち早くウィメンズとメンズのコレクションの橋渡しをしたデザイナーのひとり」とアンダーソンを評するジャスティン・ヴィヴィアン・ボンド。 Fashion Editor_ Alex Harrington.
「本当の意味で、いち早くウィメンズとメンズのコレクションの橋渡しをしたデザイナーのひとり」とアンダーソンを評するジャスティン・ヴィヴィアン・ボンド。
新時代の「ニュールック」<br /> 「こういった変遷の時期こそが、どんなアーティストにとってもとりわけ面白いのです」とグレタ・リー。 Fashion Editor_ Alex Harrington.
「こういった変遷の時期こそが、どんなアーティストにとってもとりわけ面白いのです」とグレタ・リー。

この日のためにロサンゼルスに駆けつけたアルノーと挨拶と握手を交わすと、アンダーソンはリーのもとへ走って行き、勢い良く抱きついた。(「私にとって、彼女はミューズではなく友人です。ミューズは、ただ服を着られればいいってわけではないんです。一緒にお酒を1杯嗜み、コース料理を楽しめるような人でなければなりません」とアンダーソンは言う)。彼は淡いブルーのシャツとデニムを身につけており、足元はブラウンのモカシンだ。

キャビア入りの海苔巻き、折り鶴のような形をした、小さな玉ねぎのタルトがウェイターによって振る舞われ、テラスにはマルボロのタバコが入った小さなコップが並べられている。(「あまりロスっぽくない」と誰かがアルノーに言うのが聞こえた。それに対して彼女は「80年代のロスはまさにこんな感じだった」とジョーク混じりに返す)。午後8時10分にはゲストたちが着席しており、ディナーは続いた。やがて、誰もが楽しげに、程よく羽目を外し始める。午後9時15分には、アンダーソンが何人かのセレブを引き連れてテラスに一服しに行った。その30分後には、全員にテキーラのショットが振る舞われ、再びタバコを吸いに人が集まっていた。

「こういった変遷の時期こそが、どんなアーティストにとってもとりわけ面白いのです」とリーは後に語った。彼女はアンダーソンが新たな領域に進んでいることを大いに喜んでいる。「このディナーも、本当の意味でいろいろ芽吹き始めているような、そんなひとときでした」

クリスマス休暇が間近に迫ったパリでは、観光客がディオールの旗艦店の前に群がり、煌めくライトをカメラに収めている。半ブロック離れた場所(それもロエベのブティックの真向かい)には、メゾンの衣服、アクセサリー、香水、デザインメモ、スケッチ、パターン、書状、新聞などの切り抜きが丁寧に保管されたアーカイブ、ディオール ヘリテージが建つ。創設当時まで遡る品々は、すべてディオール特有のグレーの箱に整然と収められている。昔から文書類はメゾンの手元に残されてきたが、初期のころのクチュールドレスは違う。アーカイブはそんなドレスの行方を掴み、入手するのに、長きにわたり努めてきた。アーカイブのディレクターであるペリーヌ・シェレルが、早期に制作された1着を見せてくれる。彼女が出してきたのは、クリスチャン・ディオールの最高傑作と往々に言われている「ジュノン」ドレスだ。それも損傷のない、完璧な状態のもの。

ディオールに移籍したとき、アンダーソンはこのアーカイブをひと通り掘り下げた。「これまでディオールにいたすべてのデザイナーのルックを、チームに6つずつ選んで持ってきてもらったんです」と話す彼のお気に入りは、クリスチャン・ディオールが1952年に手がけたアイボリー色の「シガール」ガウンだ。「空気の抵抗をほとんど感じさせないデザインで、構造が素晴らしいんです」と評する。

翌日、彼はパリ本店からアーカイブとは逆方向に進んだ、これもまた半ブロック離れた場所にあるラ・ギャラリー・ディオールで新たに始まった展覧会に足を運んだ。13室にわたってメゾンの歴史をたどり、誰もが自由に訪れることができるこの自社ギャラリーは、2022年にクチュールアトリエのひとつの下階に開館された。以来、1日1,500人、年間50万人もが来場しており、チケットは1カ月前から完売する。現在開催されている展覧会では、アズディン・アライアの個人コレクションからのディオールのピースが展示されている。どういうわけかアライアは生前、自身が極めて熱心なディオールのコレクターであることを隠しており、集めた服が日の目を浴びることはなかった。「アズディン・アライア財団はディオールのピースを600着所有しています。そのうちの100着が、今回展示されています」とギャラリーを統括するオリヴィエ・フラビアーノは言う。

クリスチャン・ディオールは1947年に初コレクションを発表し、その10年後に死去した。そのころには、自身が立ち上げたメゾンは何百もの人を雇い、5大陸で事業を展開するまでになっていた。跡を継いだのは、弱冠21歳のイヴ・サンローラン。「もし今、21歳の若者があの規模のメゾンを取り仕切っていたら、皆が震え上がっていたことでしょう」とアンダーソンは言う。「過去を振り返らないと、昔がいかに革新的だったかを忘れてしまいますよね」

フラビアーノは展示をひと通り解説する。一躍成功を収めたディオールの初期ラインの数々、細部まで精密に再現された元のフィティングルーム、今でもVIPクライアントが出迎えられるメゾン内の展示ホール、過去数十年分の雑誌の表紙、そしてクリスチャン・ディオールの専属占い師と彼が携えていたチャームたちの展示。「ムッシュ・ディオールは非常に迷信深い人でした」とフラビアーノは説明する。

「そこは共通していますね」とアンダーソンは言い、電話を受けにふらっとどこかへと消えた。

翌晩、アンダーソンはスタジオで、次回の広告キャンペーンの写真などが貼られたボードを見つめていた。

「いろいろなキャラクターに分けました。ディオールの最大のポイントは、あらゆる男性像や女性像、人物像が描けることだと個人的には思っています。ひとつのタイプの人にしかハマらない規模のブランドではありません」と話す彼は、コレクションをデザインしている最中はキャンペーンについては考えない。しかし、自分の作品に対する解像度を上げ、世の中における役割を理解するのに、キャンペーンは必要不可欠だ。デヴィッド・シムズによって撮影された初キャンペーンを企画しているとき、アンダーソンはハイファッションの当初の客層であった貴族について考えた。貴族階級が衰退した今、「貴族」にあたるのは誰になるのかと。

「とても満足しています」とアンダーソンはボードを眺めながら、柄にもなく率直に言う。ローラ・カイザー、ザール・マンスヴェルト・ベックとサンデー・ローズ・キッドマンが2人掛けのコンパクトなソファに密着するように座っている、一連の写真を指差す。「これとかすごく好きです。ある種の幸福感が漂っています。パーティーに行くと、その場を純粋に楽しんでいる人、楽しもうとしている人、色目を使っている人が必ずいます。この写真は、そんなパーティーというものの雰囲気を上手く捉えています」

アンダーソンはサッカー選手のキリアン・エムバペの写真が主に貼られたボードに視線を向ける。写真に写るエムバペは、デニム、グレーのセーター、エルドリッジ・ノットに結ばれたネクタイという出立ちだ。「そしてここでは、リーダーシップというものが表されています。サッカー選手をいつもとは違う世界に置いて、捉えています。それからグレタ」と言い、今度はリーの写真がまとめられたボードに視線を移す。「ここでのグレタは、女性がいかなる年齢でも、少女のときのようなエネルギーを持ち続けられることを表現しているんです」

アンダーソンは腕を組む。「これで寝かせます。ほかの人もいろいろ意見はあると思いますが、私はこれで納得です」と彼は宣言し、笑みをこぼす。「期待に応えることと、周りに気に入ってもらえるかばかりを考えていました。でも、こうして仕上がったものを見ると、チームのことをとても誇りに思いますし、方向性は合っていたと思います。ブランドの新たな言語が誕生しとはまだ言えませんが、前職のときよりも一歩前進できていますかね?」。アンダーソンは静かに喜びの表情を浮かべながら、私の方を見る。「前進の兆しは、見えていると思います」

For Annie Leibovitz portraits: grooming, Jillian Halouska. Produced by AL Studio. Set Design: Mary Howard.

For Stef Mitchel fashion photographs: hair, Ryan Mitchell; makeup, Aurore Gibrien; manicurist, Magda S; tailor, Lauryn Trojan. Produced by NILM. Set Design: Giovanna Martial. Photo artwork by Martin Depalle.

Text: Nathan Heller Adaptation: Anzu Kawano

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