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45年前、天才たちが仕掛けた“ヨコハマの歌” 優等生アイドルを壊した一曲

  • 2026.2.26

1981年。テレビの向こう側では、新しい時代の幕開けを告げるような、眩いばかりの光が溢れていた。昭和という激動の時代が成熟を迎え、若者たちの文化が爆発的なエネルギーを持ち始めた頃。何かが始まる予感に満ちた空気の中で、ある一曲がスピーカーから解き放たれる。

近藤真彦『ヨコハマ・チーク』(作詞:松本隆・作曲:筒美京平)――1981年3月12日発売

デビューから間もない彼が放ったこの楽曲は、単なるアイドルの歌という枠を超え、聴く者の心に「自由」と「憧れ」を突き刺すような衝撃を持っていた。それまでの歌謡曲が持っていた湿度を脱ぎ捨て、乾いたギターの音色とともに駆け抜けていったあの瞬間の高揚感。それは、今もなお私たちの記憶の片隅で、熱を帯びたまま静かに眠っている。

港町を舞台に描かれた“少年から大人へ”の境界線

この曲を語る上で欠かせないのは、その鮮烈なキャラクター像である。前作『スニーカーぶる〜す』(1980年)で衝撃的な歌手デビューを飾った彼が、次に選んだ舞台は横浜だった。当時の若者にとって、横浜という街は特別な意味を持っていた。東京から少し離れた海辺の街、どこか異国の香りが漂う石畳、そして夜の帳が降りる頃に灯るネオン。そこには、背伸びをしたい少年たちが夢見る、少しだけ危険で、それでいて最高にクールな大人たちの世界が広がっていたのだ。

歌詞を手がけた松本隆は、そんな街の情景を、まるで映画のワンシーンのように切り取ってみせた。それをマッチが瑞々しくも力強い歌声に乗ることで、聴き手は瞬時に異国情緒あふれる港町へと誘われる。

マッチの歌声は、決して完成された技巧派ではなかったかもしれない。しかし、その未完成ゆえの鋭さ、情熱がむき出しになった響きこそが、当時の若者たちの心と共鳴したのである。飾らない言葉で、まっすぐに想いをぶつけるその姿。それこそが、新しい時代のヒーローにふさわしい、圧倒的な肯定感に満ちていた。

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2024年、日本武道館で行われた近藤真彦60歳誕生日記念コンサートより(C)SANKEI

黄金チームが作り上げた“計算された爆発”

この楽曲の音楽的な骨格を支えているのは、日本の音楽史にその名を刻む天才たちの手腕である。作曲の筒美京平、そして編曲の馬飼野康二。この最強の布陣が作り出したサウンドは、当時のアメリカン・ポップスやロックンロールの要素を巧みに取り入れつつも、日本人の琴線に触れる歌謡曲としての美しさを決して失っていない。

イントロから鳴り響く、軽快でありながらも厚みのあるギターのリフ。それは、これから始まる物語への期待感を煽る、最高の招待状であった。馬飼野康二によるアレンジは、疾走感を重視しながらも、管楽器の華やかな音色が重なり合うことで、楽曲全体に立体的な躍動感を与えている。

筒美京平のメロディは、一度聴けば忘れられないキャッチーさを持ちながら、サビに向かって一気に感情を解放させるような構成になっている。彼が描く旋律は、歌い手の個性を最大限に引き出す魔法のようでもあった。この曲において、彼の少し鼻にかかった甘い声質と、力強く踏み出すリズムが見事に融合し、聴く者の耳を惹きつけて離さない中毒性を生み出している。

時代が求めた“不敵な微笑み”とリアリティ

1981年という年は、アイドルという存在が「生き様」が問われ始めた時期でもあった。マッチは、優等生的なアイドル像を軽やかに飛び越え、どこかやんちゃで、自分に正直な姿を世に示した。その不敵な微笑みと、汗を飛び散らせながら全力で歌う姿は、同世代の少年たちには「こうありたい」という憧れを、少女たちには「守ってあげたい」という母性本能を同時に抱かせた。

あれから40年以上の月日が流れた。横浜の街並みも変わり、音楽を取り巻く環境も劇的な変化を遂げた。しかし、ふとした瞬間にこのイントロが流れてくると、一瞬にして1981年のあの春へと引き戻されるような感覚に陥る。それは、この曲が単なる音の連なりではなく、あの時代を生きた人々の「体温」をそのまま封じ込めているからに他ならない。

大人になるにつれて、私たちは効率や理屈を優先するようになる。けれど、この曲を聴いている間だけは、何も考えずに風を切って走っていたあの頃の自分に出会うことができる。理屈抜きに心が躍り、明日が来るのが待ち遠しかった、あの根拠のない自信に満ちていた日々。

近藤真彦というアーティストが、その後の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。その原点とも言えるこの時期の輝きは、今もなお眩しく、私たちの胸を熱くさせる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。