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50年前、伝説の3人組が放った“春のアンセム” 1年前の「アルバム曲」が国民ヒットへと大化けしたワケ

  • 2026.2.25

1976年3月。テレビから流れる色鮮やかな流行歌が、そのまま国民の共通言語となっていた時代。冬の重いコートを脱ぎ捨てたくなるような、もどかしくも輝かしい季節の境目に、その歌は放たれた。

キャンディーズ『春一番』(作詞・作曲:穂口雄右)――1976年3月1日発売

テレビのブラウン管越しに映る3人の弾けるような笑顔と、耳に残る軽快なブラスセクションの響きが、当時の日本に「本当の春」を連れてきた。

春の訪れを告げる“国民的アンセム”の正体

この曲がシングルとしてリリースされた経緯は、実は少し意外なものだ。もともとは1975年4月に発売された彼女たちの4枚目のアルバム『年下の男の子』(1975年)の中に収められていた、アルバムの1曲に過ぎなかった。

当時は、アルバムの中から特に人気の高い曲を後からシングルとして発売する「リカット」という手法は、現在ほど一般的ではなかった。しかし、アルバム発売から約1年近く経ってから、シングルとして世に送り出されることになった。

すでにファンの間では「知る人ぞ知る名曲」として育っていた旋律が、満を持して全お茶の間へと浸透していく。このタイムラグこそが、楽曲に対する飢餓感を煽り、結果として彼女たちの代表作へと押し上げる大きな要因となった。

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キャンディーズ-1976年撮影(C)SANKEI

音楽職人が仕掛けた“アイドル歌謡”の枠を超えた響き

『春一番』を語る上で欠かせないのが、作詞・作曲・編曲のすべてを手がけた音楽家・穂口雄右の存在だ。当時の日本のポップス界には、アメリカのフィリー・ソウルやR&Bといった洗練されたサウンドが流入し始めていた。穂口はそうした最新の音楽理論を、キャンディーズというフィルターを通して見事に具現化したのだ。

鮮烈なギターの音色、そして楽曲を力強く牽引するホーンセクション。さらに、ベースラインは非常にファンキーで、アイドルの楽曲としては異例なほどに重厚なグルーヴを生み出している。

そこに3人の声が重なった瞬間に生まれる、あの独特の「密度」。誰か一人が突出するのではなく、3つの個性が完璧な三角形を描くことで生まれる響きこそが、この曲に「無敵感」を与えていた。聴き手は、その高度な音楽性に無意識のうちに惹きつけられ、気づけば何度もその旋律を反芻することになる。

記録を塗り替え、時代の記憶に刻まれた足跡

1976年の音楽シーンにおいて、この曲が残したインパクトは凄まじかった。それまでのキャンディーズは、5枚目のシングル『年下の男の子』(1975年)でのブレイクを経て、着実にスターの階段を登っていた。しかし、この『春一番』の成功によって、彼女たちは単なる「人気アイドルグループ」という枠を超え、日本を代表する「エンターテイナー」としての地位を不動のものにしたといえる。

また、当時の彼女たちのバックを務めたバンド「MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)」による生演奏の迫力も、楽曲の生命力を高めていた。テレビ番組やライブで見せる、バンドサウンドと一体化したパフォーマンス。それは、後のロックバンドやポップスアーティストたちにも多大な影響を与えることになる、日本の音楽における「プロフェッショナルな融合」の先駆けでもあった。

誰もが“あの日”の風を思い出す理由

今や『春一番』という言葉は、気象用語としてだけでなく、この楽曲のイメージと不可分なものとして日本人の心に根付いている。春が来るたびに、スーパーの店先で、あるいはテレビの特集番組で、必ずといっていいほどこの曲が流れる。

それは、この曲が単に「売れた曲」だからではない。冬から春へと変わる瞬間の、あの心細さと期待が入り混じった空気感を、世界で一番鮮やかに音楽として定着させたからだ。

誰かに会いたくなるような、何かが始まりそうな、そんな根拠のない確信をくれるメロディ。50年という長い年月を経ても、その瑞々しさが1ミリも失われていない事実に、改めて驚かされる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。