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高畑勲監督が『かぐや姫の物語』のキャッチコピーを「間違い」だと言った理由。「姫の犯した罪と罰。」とは何か

  • 2026.1.10
『かぐや姫の物語』のキャッチコピーには「姫の犯した罪と罰。」とありますが、それを高畑勲監督が「間違っています」と言っていたことをご存じでしょうか。その事実および本編の描写から作品のテーマを考えることは、とても意義のあることだと思うのです。「(画像出典:『かぐや姫の物語』作品静止画より)
『かぐや姫の物語』のキャッチコピーには「姫の犯した罪と罰。」とありますが、それを高畑勲監督が「間違っています」と言っていたことをご存じでしょうか。その事実および本編の描写から作品のテーマを考えることは、とても意義のあることだと思うのです。「(画像出典:『かぐや姫の物語』作品静止画より)

2026年1月9日に金曜ロードショーで『かぐや姫の物語』が放送されます。そのキャッチコピーには「姫の犯した罪と罰。」とありますが、高畑勲監督が「あのコピーは間違っています」と言っていたことをご存じでしょうか。

しかしながら、その罪と罰の意味、および作品が描こうとしているテーマを考えることには確かな意義があり、だからこそ『かぐや姫の物語』は面白い物語になっていると思うのです。その理由を記していきましょう。

「あのコピーのおかげで僕は迷惑している」とまで言ってきた

鈴木敏夫プロデューサーは、「宣伝をめぐって高畑監督とキャッチコピーで揉めることになった」と告白しています。引用しておきましょう。

「僕が考えたコピーは「姫の犯した罪と罰。」というものです。高畑さんが最初に書いた企画書にも書いてありましたし、そもそも原作のテーマでもある。それ以外にはないだろうと考えていました。ところが、高畑さんに見せるや、また顔色が変わった。そして不機嫌そうに、「最初にそう考えたのは事実です。でも、そのテーマはやめたんですよ」と言います。
(中略)
その後、制作がだいぶ進んでから、高畑さんが「あのコピーのおかげで僕は迷惑している」と言ってきたんです。昨今は宣伝コピーといえども、映画を見に来るお客さんの心理に一定の影響を与えている。それを踏まえると、「姫の犯した罪と罰。」というコピーに作品を寄せなければいけない。仕方がないから、台詞を足すことにしたというんです。「そのことは覚えておいてください」と念を押されました。そして、インタビューを受けるたびに、高畑さんは「あのコピーは間違っています」と言い続けました。

『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』 より」

つまり、「姫の犯した罪と罰。」のコピーは高畑監督の企画書および原作である『竹取物語』に書かれたことを踏まえた、あくまで宣伝のための文言であり、「やろうとしたことはあったけど、実際にはできなかったテーマ」なのです。

一方で、コピーに寄せるため本編にセリフを足したと高畑監督は明言しているので、完全に間違っているものとも言い切れないでしょう(そのセリフが具体的に何であるのかは、はっきりしないのですが)。

「プロローグ」と呼べる部分に「罪と罰」は確かに書かれていた

その企画書において、「姫の犯した罪と罰。」は、なるほど確かにはっきりと書かれていました。

「(前略)
(地上の)人間に関しては否定的に語られたにもかかわらず、かぐや姫には地球がひどく魅力的なところに思えただけでなく、女がほのめかす人間の「喜・怒」や「愛」どころか、「哀」にさえ心惹かれ、どうしても行ってみたくなる。
禁を破って帰還女性の記憶を呼び覚ましたことが発覚し、姫は、地上の思い出によって女を苦しめた罪を問われる。そして罰として、姫は地球におろされることになる。だがそれはかぐや姫にとって願ってもないことだった。姫は勇んで地球に旅立つ気になっている。

『ロマンアルバムエクストラ かぐや姫の物語』企画書「かぐや姫の物語」より」

この文言にのっとれば、かぐや姫の「罪」とは「以前に地上に降り立った女性の記憶を呼び覚まして苦しませたこと」であり、「罰」とは「その地上に降ろされたこと」だったのです。

ただ、この企画書に書かれたことは、いわば物語の「プロローグ」に当たる部分であり、映画本編では描かれていないことです。しかも、かぐや姫自身は、その罰のはずの地上に行くことを楽しみにしていたので、やはり宣伝のコピーである「姫の犯した罪と罰。」と同一視はしにくいでしょう。


※以下、『かぐや姫の物語』本編の結末も含むネタバレに触れています。ご注意ください。

「感情移入できる物語にする」狙いは「無理難題」のシーンからも分かる

では、出来上がった『かぐや姫の物語』で高畑監督はその罪と罰よりも、何を描きたかったのかでしょうか。それは以下の高畑監督の言葉に集約されています。

「『竹取物語』には描かれていないウラがあって、それを解明すれば、原作の筋立てをほとんど変えないまま、かぐや姫に感情移入さえできる、ほんとうの"物語”を物語れるのではないか、というのがこの企画なんです。それは、かぐや姫が"罪”だの"昔の契り"だののために地上におろされた、という原作の言葉から、「なぜ、何のために、かぐや姫は地上にやってきたのか」を読み解けばよい。実は僕は五十数年前、それがぱっと読み解けた気がしたんです。
そのヒントは月と地球の違いです。原作に書いてあるとおり、月は清浄無垢で悩みや苦しみがないかもしれないけれど、豊かな色彩も満ちあふれる生命もない。もしもかぐや姫が、月で、地上の鳥虫けもの草木花、それから水のことを知ったら、そして人の喜怒哀楽や愛の不思議さに感づいたら、地球に憧れて、行ってそこで生きてみたくなるのは当然じゃないかと。

『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』 より」

「"罪”だの"昔の契り"だの」という言葉からは、やはり高畑監督の「そこは主題ではない」という意思表示を感じます。そして、「感情移入さえできる、ほんとうの"物語”を物語れる」ことこそが、高畑監督の狙いだったのです(しかも、それは五十数年前にも考えたことがある)。

(C) 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK
(C) 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK

確かに、『竹取物語』のかぐや姫は感情移入がしにくい人物です。例えば、「求婚してきた貴公子たちに無理難題を与える」場面を取り出せば、ただ意地の悪い女性なのですから。

しかし、この『かぐや姫の物語』では、貴公子たちの「ものの例え」を聞いたかぐや姫が、「その得難い宝を私にお持ちください。その方と私は結婚します」と返答しています。つまり、原作にあった無理難題が「結婚をしたくないがための口実」に変わっているのです。

(C) 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK
(C) 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK

「見ず知らずの女性に美辞麗句を並べて結婚を求められることへの嫌悪感」ということから感情移入がしやすくなっていますし、それは同時に、結婚する女性の本質を捉えず、まるでトロフィーのように扱うことへの痛烈な批判にもなっています。

しかも、その無理難題を与えた貴公子の1人は、命を落としてしまいます。「自分のせいで死んでしまった」という苦悩はどれほどのものなのか……彼女の嫌悪感は、ここで「自分自身」にも向けられてしまったとも言えるでしょう。

女性の抑圧や男性からの加害性をはっきりと描いている

さらに、そのかぐや姫の嫌悪感が極に達した、それどころか「月に帰りたい」と本気で願うことになったのは、御門から後ろから急に抱きしめられ、あまつさえ「私がこうすることで喜ばぬ女はいなかった」と言われた場面でした。 そのかぐや姫には、捨丸兄ちゃんと一緒になるという「違った生き方ができた」可能性もありました。しかし、結局は自分を押し殺すように宮中の掟に従っていくしかなく、現代では性犯罪と断言できること(平安時代では当然のように行われていたであろうこと)までもが強要されていたのです。

そもそも「望まない結婚を至上の喜びだと勝手に言われてしまう」どころか「生き方を強制されてしまう」のは、現代にも残念ながら存在する、悪しき男性優位の風習そのものです。それを持って、本作はかぐや姫を1人の感情移入がしやすい女性として描くと同時に、女性の抑圧や男性からの加害性をはっきりと描いているからこそ、フェミニズムの精神もはっきりと表れている作品になっています。

同時に、「貴公子の死こそがかぐや姫の罪だった」「望まない生き方をすることが彼女への罰だった」という解釈も可能でしょう。しかしながら、やはり高畑監督の意向および本編の内容を思えば、その罪と罰はあくまでテーマを描くための「前提」にすぎず、究極的には重要ではない、やはりかぐや姫を「女性としての苦しみを背負った存在として描く」ことこそが重要だったと思えるのです。

「弁証法」「現実原則」の高畑監督だからこその作品になっている

今回の地上波放送の前に、「金曜ロードショー」の公式Xの「描く命の輝き、生きる喜び」という文言に対して、「そういう映画ではない」「その逆では?」などと批判が寄せられていました。 フォローをしておくと、前半部はかぐや姫が野や山を駆け楽しそうに暮らしている描写もあるため、文言自体は間違っているものとは思えません。しかも、最後にかぐや姫が告げたのは「喜びも悲しみも、この地に生きるものは、みんな彩りに満ちて、鳥、虫、獣、草、木、花、人の情けを……」という、やはり地上の素晴らしさを訴える言葉なのですから。

それでもこの文言に違和感を覚える人が多いのは、かぐや姫が嫌悪感を超えて、この地上で生きることそのものに絶望を覚えたと言える、シビアで残酷な終盤の展開があるからでしょう。

(C) 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK
(C) 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK

その印象は、高畑監督の作家性があってのことです。例えば、映像研究家の叶精二は、高畑監督を“弁証法の作家”と分析しています。弁証法とは、1つの意見と、それと正反対の意見から、総合的な見識を得るという解釈の方法のことです。

確かに、高畑監督作品は価値観を対照的に描写することがよくあります。『平成狸合戦ぽんぽこ』の人間とたぬきの争い、『おもひでぽろぽろ』の都会と田舎での暮らし、『火垂るの墓』の戦争の全体主義と兄の独善的な行動、『かぐや姫の物語』の望まない生き方をするかぐや姫と一方的に求婚をしてくる男たち、といったように。

だからこそ、そのような厳しい現実で生きる人々にもエールを送っている、優しい作家とも言えるのです。

(C) 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK
(C) 2013 Isao Takahata, Riko Sakaguchi/Studio Ghibli, NDHDMTK

また、西村義明プロデューサーは、高畑監督の作品は「現実原則」でできていると分析しています。引用しておきましょう。

「高畑さんの脚本の作り方というのは、よく快楽原則と現実原則という話をするんですけど、「宮さん(宮崎駿監督)の映画は快楽原則でできてる」と。つまり、お客さんが「こうあって欲しい」と願うものを実現していくことが、物語の動力になっているものです。その例が『千と千尋の神隠し』のエンディング。「この豚の中にお父さんとお母さんはいない」と千尋が正解を言うことを観客は願っているから、それを実現してあげる。「この子に見つけて欲しい」という願いを叶えるのが快楽原則。でも実際は見つけられないのが現実。高畑さんはその現実の方を作っている。かぐや姫がワガママに見えるとしたら、平安時代の慣習を知らない月から来た女の子、つまり現代の女の子みたいな何も知らない子が平安時代の現実にぶち当たった時に、どう反応するかということを現実的に描いているからです。

『ジブリの教科書19 かぐや姫の物語』 より」

この文言に則れば、『かぐや姫の物語』で、かぐや姫の本当の願いをかなえたりはしない、結局は月に帰るという結末は、やはり現実原則の高畑監督らしいものだと納得できます。

しかし、その月は高畑監督の言うように「清浄無垢で悩みや苦しみがないかもしれないけれど、豊かな色彩も満ちあふれる生命もない」場所なのです。そのような場所よりも、悩みや苦しみのある地上のほうがいいのではないか。しかし、女性の抑圧や男性の加害性はその生きる喜びを全て打ち壊すほどに過酷なものではないか……。

そのように、やはり高畑監督の作品は弁証法ならではの、どちらかの価値観が絶対ではないという、受け手に能動的に考えさせる作品になっているのです。

だからこそ、「姫の犯した罪と罰。」という、「断定」をさせるようなコピーは、高畑監督にとっては「野暮」に思えるものだったのかもしれませんね。

1月22日にNetflixで配信の『超かぐや姫!』も見て!

最後に、同じく『竹取物語』をベースとしつつも、『かぐや姫の物語』とは対照的な内容でもある、とびっきりに楽しいアニメ映画を紹介しておきましょう。それは1月22日にNetflixで配信の『超かぐや姫!』です。ボーカロイド歌唱の名曲を手掛けてきたアーティストが参加した音楽の華やかさ、コロコロと変わるキャラクターの表情の愛らしさ、かたやクールでかたや天真らんまんな女の子2人の関係性の尊さ(超重要)、アクションの超絶作画クオリティーも光るポップな作風で、「面白い! かわいい! 面白い! かわいい! 」が無尽蔵に積み重なる内容になっていたのです。

共同脚本を手掛けたのが『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』の夏生さえりで、卑近な会話劇やリアルな生活観に「らしさ」を感じることもできるでしょう。

何より、こちらのかぐや姫は、VRやSNSもある現代で、思いっきり「生きる」ことを楽しんでいる姿がとっても愛らしく、まるで『かぐや姫の物語』の主人公が「地上で本気で幸せになっていくIFストーリー」を見るような感慨もあったのです(とはいえ、ハッピーなだけで始終しない物語でもあるのですが、詳細はネタバレになるので秘密にしておきましょう)。新たな『竹取物語』の解釈もまた興味深いので、ぜひ配信を楽しみにしてみてください。

文:ヒナタカ

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