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「もう、おせち作るのやめようか」台所に立ち続けていた母がこぼした本音と『最後の一品』に込めた思い

  • 2025.12.31

筆者の話です。
12月になると、わが家ではパンフレットを囲んで「買うおせち」を選びます。
台所に立ち続けていた年末は過去のものになったけれど、母の黒豆だけは今も変わらず年の終わりを知らせてくれます。
形を変えても、受け継がれるぬくもりがそこにあります。

画像: 「もう、おせち作るのやめようか」台所に立ち続けていた母がこぼした本音と『最後の一品』に込めた思い

慌ただしい年末が変わった

昔の年末といえば、母が台所に立ちっぱなしでした。
数日前から黒豆を煮て、数の子の塩抜きをし、夜には煮しめの味を整える。
私はその横で、重箱を洗ったり、紅白なますを詰めたりして手伝ったものです。

湯気の中に漂う甘辛い香りと、忙しくも楽しそうな母の背中──それが「年の瀬の風景」でした。
けれどここ数年、母が「もう手作りはやめようか」と言い出したのです。
ご近所の付き合いで「おせちを買って」と言われたのが、きっかけだったそう。
体力的にもだいぶしんどくなってきたと、母は静かに笑っていました。

パンフレットで迎える年末準備

12月初旬のある日、ダイニングテーブルにパンフレットを広げて家族で集まります。
「この段重、海老が立派ね」「こっちは洋風も入ってる」
ページをめくるたび、笑い声がこぼれました。

手作りのおせちを用意していたころは、母も私も台所にこもりきり。
家族そろって年末を「過ごす」というより「こなしていた」に近かった気がします。
買う派になってからは、準備の負担が減り、その分、母の笑顔が増えました。
家族でゆっくり過ごせる時間がなによりもうれしかったのかもしれません。

黒豆だけは母の鍋から生まれる

それでも、黒豆だけは母の手で煮ます。
前日の夜から豆を水に浸し、翌朝、鍋に火を入れる。
「ここだけは譲れないの」と微笑みながら、鍋の音を確かめる母の姿がありました。
買うことを選んだからこそ、手作りを一つ残す意味が見えてきたように思います。
その姿を見ていると、変わっていくことと、守り続けることのどちらも大切なのだと気づかされました。

変わる時間と残るぬくもり

元日の朝、重箱のふたを開けると、選んだおせちと母の黒豆が並んでいました。
つややかな豆を口に運ぶと、やわらかな甘みと一緒に、あの年末の台所の記憶がよみがえります。

便利になっても、効率的になっても、家族の味はこうして受け継がれていく。
変わることを受け入れながらも、変わらないぬくもりを大切に──
黒豆の香りに包まれながら、静かに新しい年を迎えました。

【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年11月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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