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顔面骨折に子宮筋腫。度重なる病の後、45歳で大学入学【庄野真代さんのターニングポイント#2】夢の実現は何歳からでも遅くない

  • 2025.12.16

顔面骨折に子宮筋腫。度重なる病の後、45歳で大学入学【庄野真代さんのターニングポイント#2】夢の実現は何歳からでも遅くない

「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」などのヒット曲で知られる歌手の庄野真代さん。70代の現在も、仕事やボランティアなど、精力的に活動を続けています。そんな庄野さんの人生のターニングポイントとは? 3回にわたってお届けします(2回目)。

プロフィール
庄野真代さん 歌手

しょうの・まよ●1954年大阪府生まれ。
76年に歌手としてデビューし、78年には「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」などのヒット作で広く知られる存在となる。
2000年に音楽活動のかたわら法政大学人間環境学部に入学。
英国留学を経て、06年に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科を修了。
同年にNPO法人「国境なき楽団」(現・市民活動団体「国境なき楽団PLUS」)を設立し、地域での文化支援や社会活動にも注力している。
現在は「こども食堂 しもきたキッチン」を主宰し、子どもや地域に寄り添う場づくりにも取り組んでいる。

夢の回収は何歳からでも遅くない

「人生、何が起こるかなんて、本当に誰にもわからないものですよね」

庄野真代さんの人生には、いくつかの大きな「アクシデント」があった。1999年、40代半ばで事故による顔面骨折と子宮筋腫で入院。そして2021年には悪性リンパ腫が見つかり、ステージ4の診断を受けた。度重なる病。普通なら運命を呪いたくなるような状況だが、庄野さんの捉え方は違っていた。

「もちろん、最初は落ち込みましたよ。『なんで私が?』って。だけど、『へぇ、そうなんだ』と、どこか他人事のように俯瞰している自分もいたんです。私、自分のことを、庄野真代という人間を動かす“プロデューサー”だと思っているんです。タレントである私の体にトラブルが起きたとき、プロデューサーが一緒になってオロオロしていたらダメでしょう? ドクターやナースは、言うなれば私をサポートしてくださるスタッフさん。『どう治療するのがベストか』『これからどう生きるか』を決めるのは、最終責任者であるプロデューサー、つまり私自身の役目です。どん底まで落ち込まず、『じゃあ、ここからどうしていく?』と前を向けたのは、そうやって自分をプロデュースする視点をもっていたからかもしれませんね」

自分を客観視する“プロデューサー”という視点。それは、困難な状況でも自分を見失わないための知恵なのかもしれない。

この強靭な精神性の原点とも言えるのが、冒頭で述べた40代半ばでの入院体験だ。「命には限りがある」という当たり前の事実を痛感した病室での時間は、その後の人生を大きく変える転機となった。

45歳で実現したキャンパスライフ

「いつどうなるかなんてわからない。そう思ったら、今までやりたかったのにやれていないことが、次々と頭に浮かんできて。それでね、ノートに書き出してみたんです。『夢のやり残しノート』を。『パイロットになりたい』『お花屋さんになりたい』、あと『芸能人かくし芸大会に出たかった』なんていうのも書きました。私、出たことがなかったものですから、かくし芸大会に(笑)。実現不可能なものも含めて、全部で50個くらい書いたかな? その中には、『キャンパスライフを送る』『留学』『環境問題について勉強する』ということも書いていました」

退院後、溜まっていた新聞を整理していたときのこと。「法政大学、人間環境学部を新設。社会人入試を実施」という記事が目に留まる。

「『これだ!』と思いました。私の夢のやり残しリストにあった『環境の勉強をする』と『キャンパスライフ』が、同時に叶えられるじゃないって。考えてみたら、私、こういう偶然が多いんですよね。気になることがあると、あっちから飛び込んできてくれる、みたいな(笑)。『白いコートが欲しいな』と思っていたら、街中で白いコートばかりが目につく、というようなことってありませんか? 心の中にアンテナを立てて“意識”しておくだけで、必要な情報やチャンスって引き寄せられるものなんですよね。逆に言えば、意識していないと、目の前に素敵なコートがあっても通り過ぎてしまうのかもしれません」

こうして45歳で大学生となり、さらに50歳目前でイギリスへの留学も果たした庄野さん。留学の際も新聞で見つけた奨学金制度に応募し、1300人の中から選ばれたというのだから、その引き寄せ力には驚きだ。とはいえ、大人になってからの挑戦。不安がなかったわけではない。

「不安、ありましたよ(笑)。大学に合格したのはいいけれど、急に怖気づいちゃって。仕事と両立できるのかしら、レポートの提出が間に合わなかったらどうしようって。それで友人に電話して、『大変なことになっちゃった、受かっちゃった』って相談したら、『何が問題なの? 両立できなくなったときにもう一回相談してくれる?』と言われて。『そうか、やってみればいいのか』と、覚悟が決まりました」

その友人の言葉は、庄野さんが大切にしている「とりあえず一歩足を出す」という哲学を、改めて思い出させてくれたようだ。

「私、“GO”を決めるのは早いんです。何かやりたいことがあったら、とりあえず一歩足を出してみて、もし違っていたり、無理だと思ったりしたら足を引っ込めればいい。みんな『一度足を出したら引っ込められない』と思っちゃうから、踏み出せないんじゃないかな。完璧な準備なんて待っていたら、いつまでもスタートできません。見切り発車でもいいから、まずは動き出してみる。そうすれば、景色が変わって、次の道が見えてくるんです。私の人生、だいたいそんなふうにして転がってきた気がします(笑)」

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