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人気絶頂期に歌手活動を休止して世界一周旅行に【庄野真代さんのターニングポイント#1】人生を変えたタイでの出来事とは?

  • 2025.12.15

人気絶頂期に歌手活動を休止して世界一周旅行に【庄野真代さんのターニングポイント#1】人生を変えたタイでの出来事とは?

「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」などのヒット曲で知られる歌手の庄野真代さん。70代の現在も、仕事やボランティアなど、精力的に活動を続けています。そんな庄野さんの人生のターニングポイントとは? 3回にわたってお届けします。

プロフィール
庄野真代さん 歌手

しょうの・まよ●1954年大阪府生まれ。
76年に歌手としてデビューし、78年には「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」などのヒット作で広く知られる存在となる。
2000年に音楽活動のかたわら法政大学人間環境学部に入学。
英国留学を経て、06年に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科を修了。
同年にNPO法人「国境なき楽団」(現・市民活動団体「国境なき楽団PLUS」)を設立し、地域での文化支援や社会活動にも注力している。
現在は「こども食堂 しもきたキッチン」を主宰し、子どもや地域に寄り添う場づくりにも取り組んでいる。

「おもしろそう!」とフットワーク軽く世界一周の旅へ

28カ国、132都市。これは、歌手の庄野真代さんが1980年から約2年かけて訪れた都市の数だ。1980年といえば、「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」と、連続してヒットを飛ばし、多忙を極めていた時期。「なぜそんな時期に?」とたずねると、あっけらかんとした口調で、「旅人をやってみたかったんです」という答えが返ってきた。

「『2年間も仕事を休むなんて、すごい勇気だね』とよく言われるんですが、私からすると、それほど勇気のいる決断ではなかったんですよね。友達から『30万円で世界一周できるクーポンがあるよ』と聞いて、『おもしろそう! じゃあ旅人をやってみよう』と思いついたから実行した。ただそれだけのことなんです。お膳立てはGOを決めた後、というのが私の性分。そのときに決まっていた仕事を1年間ですべてやり遂げるなど、旅に出られる環境を整えてから、バックパックを背負って出発しました」

しかし、世界一周の旅の最初の訪問国・タイでのある出来事が、庄野さんの旅の目的を、そしてその後の人生を大きく変えることになる。

「バンコクからバスで数時間かけて行ったビーチで、バスの運転手さんとごはんを食べていたときのことです。彼が『今、タイでは日本へ輸出するえびの養殖場を作るために、マングローブの森が切り倒されている』と話してくれたんです。森がなくなれば、島の景観も悪くなるし、風も防げなくなる。そのせいで漁師や農家の人たちが困っているんだと。話し終えたあと、彼に聞かれました。『日本から来たあなたは、このことをどう思いますか?』って」

予期せぬ問いかけに、庄野さんは言葉を失った。

「何も答えられませんでした。世界を旅しようとしているのに、私は世界で起きている現実、特に日本という国が他国に与えている影響について、あまりにも無知だった。そのことに愕然としましたね。私は旅をすることが目的だったけれども、地球の素顔をちゃんと見て歩く旅にしなければいけない。そこで生きている人々の現実を見て、何を感じるか、ということを目的にしなければいけないと思いました」

それからの旅は、現地の人の暮らしに触れ、その喜びや悲しみを肌で感じる日々となった。貧しいながらも懸命に生きる人々のエネルギー。助け合い、笑い合う家族の姿。人と人とのつながり––––。そこで見た光景は、庄野さんの心に深く刻まれていった。

母の記憶と、私が手にした「道具」

旅を通じて世界の現実を知り、「自分に何ができるか」を問い続けてきた庄野さん。その答えの一つである「音楽を通じた社会貢献」にたどり着いた背景には、あるほろ苦い記憶があった。

「私は45歳で法政大学に入学したのですが、ボランティア論の授業で『自分たちでプロジェクトを作り、参加する』という課題がありました。そのときに私が企画したのが、『コンサートに行けない人たちに音楽を届けるボランティア』。きっかけは、母をホスピスで看取った際の経験でした。母が入院していた施設の看護師さんから、『ここにいる人たちに音楽を聴かせてあげたいのだけど、何か方法はありませんか』と相談されて。でも当時の私は、母の看病に必死で心の余裕がなくて……。結局、何もできないまま母を見送ることになってしまいました」

母に音楽を届けてあげられなかったという心残り。それが、大学の授業で「自分たちでプロジェクトを作る」という課題が出たときに、ふと蘇ってきたのだという。

「料理や掃除、人の話を丁寧に聞くことなど、人によって“上手に使える道具”は違いますよね。私にとっての道具はやっぱり歌、つまり“音楽”というツールでした。ボランティアとしてコンサートを届ける活動を始めてみると、『それ、いいね』と賛同してくれる方が次々に現れたんです。同じ思いをもつ人たちが集まる大きな器を作れば、もっと広く届けられるようになるんじゃないか……。そう考えて立ち上げたのが、音楽を通じた社会貢献活動を行うNPO法人『国境なき楽団』(現・市民活動団体『国境なき楽団PLUS』)でした」

計画のない人生こそ、おもしろい

旅、大学生活、そして社会貢献活動。計画していたわけではないが、そのときどきの出会いに導かれて道を選んできた。

「私、長期的な計画は立てないタイプなんです。『ここでこれに出会った、じゃあこっちに行ってみよう』『あそこに何かあるぞ、じゃあそっちに行ってみよう』。私の人生はずっとそんな感じ(笑)。実はこれからまた、長い旅に出ようと計画しているんです。旅先では、みんなで合唱をするクラスを作ろうかなと思っているんですよ。私のボイトレにもなるし、一石二鳥かなって(笑)。これからも自分の“道具”を携えて、偶然の出会いを楽しみながら歩いていきたいですね」

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