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「共学に行けばいい」vs「女性として学びたい」…女子大のトランスジェンダー受け入れでぶつかる二つの「正義」とは

  • 2025.12.4

女子大で増加する「トランスジェンダー学生の受け入れ」

「なぜ女子大?共学に行けばいいのでは?」という疑問が噴出
「なぜ女子大?共学に行けばいいのでは?」という疑問が噴出

お茶の水女子大学をはじめ、トランスジェンダー学生の受け入れを表明する女子大学が増えています。これに対しネット上では「共学に行けばいいのでは?」という疑問が噴出。

しかし、当事者が女子大を目指す背景には、共学では得られない「安心」への渇望がありました。既存の学生の思いと、当事者の権利。すれ違う二つの視点から、この問題を考えます。

世間の疑問「性別を問わないなら、共学があるはず」

トランスジェンダー学生(戸籍上は男性・性自認は女性)の受け入れニュースに対し、寄せられているコメント欄を分析すると圧倒的多数を占めるのは、素朴な疑問です。

「学びたいなら、性別に関係なく入れる共学に行けばいいのではないか」「女子大という枠組みを残したまま、身体的男性を受け入れるのは矛盾している」

もちろん、女子大を選ぶ学生の動機は、カリキュラムや校風、就職支援の強さなどさまざまであり、全員が「男子がいない環境」を最優先にしているわけではありません。

しかし、女子大が「身体的女性のための空間」として機能してきたことは事実でしょう。結果としてその環境に安心感を覚えている学生や保護者からすれば、その前提が崩れることへの戸惑いは小さくないと思います。

当事者の視点「共学は怖い、女性として安心して学びたい」

一方で、なぜトランスジェンダーの学生は、あえて「女子大」を志望するのでしょうか。そこには当事者なりの切実な理由があります。

一つは、共学環境での「生きづらさ」です。男性が多い環境や共学では、トランスジェンダーであることで奇異な目で見られたり、ハラスメントを受けたりするリスクを感じる人が少なくありません。

「女性」として扱われ、ジェンダーによる差別を受けにくい女子大こそが、安心して学べる「セーフティースペース」だと感じていることが選ぶ理由として考えられます。

また、女子大が歴史的に見た場合、「社会的に弱い立場にある女性の教育」を担ってきたことから、「トランスジェンダー女性もまた、現代社会で弱い立場にある『女性』であり、女子大が受け入れるべき対象だ」という考え方もあります。

互いに求める「安全」が衝突する悲劇

この問題の難しさは、双方が求めているものが、実は同じ「安全と安心」である点ではないでしょうか。

既存の学生の一部は、身体的男性がいないことによる「安心」が揺らぐことへの懸念を感じています。一方の、トランスジェンダー学生は、女性として受け入れられることによる「安心」への渇望があるのです。

一方が安心を求めれば、もう一方の安心が脅かされると感じてしまう――。

「共学に行けばいい」という意見は一見論理的に見えますが、当事者にとっては「共学こそが恐怖の場所」であるというジレンマ。そして、なし崩し的な変化に不安を抱く在学生たち。

単純な「賛成・反対」では片付けられない、深い課題がそこには横たわっているように感じます。

(足立むさし)

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