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30年前、90万枚超の“無機質なのに情緒的な”革新ソング ウォークマンから流れていた“切ない軽快サウンド”

  • 2025.10.24

1995年秋。ネオンが滲む街を歩く若者たちの耳に、新しいサウンドが届いた。都会の空気に、未来への不安と希望が入り混じっていた時代。その中で、小室哲哉が生み出したユニット・globeは、ポップスとクラブカルチャーの狭間で、新しい時代の鼓動を鳴らしていた。

globe『SWEET PAIN』(作詞・作曲:小室哲哉)――1995年11月1日発売

globeの3枚目のシングルとなる本作は、軽快な四つ打ちビートに乗せて、都会の夜を駆け抜けるような切なさを描き出した。派手な装飾ではなく、静かな熱量。そんなアンバランスさが、当時のglobeらしさそのものだった。

甘美な痛みをまとったビート

globeの音楽は、当時のJ-POPの中でも特異な存在だった。小室哲哉が手がける楽曲群の中でも『SWEET PAIN』は、ダンスナンバーでありながら、感情の温度が不思議と“静か”に感じられる。それは、ドラムマシンの規則的なリズムと、KEIKOの透明感あるボーカルが絶妙な距離感で溶け合っているからだ。

四つ打ちのビートがリスナーの身体を自然に揺らしながらも、心の奥ではなぜか胸を締めつけるような寂しさが残る。この“感情と無機質の共存”こそが、小室サウンドの革新性だった。

1995年という年は、クラブカルチャーが一般層にも浸透し始めた時代。『SWEET PAIN』はその流れの中で、ポップミュージックがクラブの空気をまとった“新しい日常の音”を象徴していた。

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ボーカルのKEIKO-1998年撮影(C)SANKEI

3人の存在が織りなす、冷たくも温かい世界

globeは、KEIKOのボーカル、マーク・パンサーのラップ、そして小室哲哉のサウンドによって構築されたトライアングル。そのバランス感が、この曲にも如実に表れている。

KEIKOの声は、ただの“歌唱”ではなく、夜の街に浮かぶ光のように淡く揺らめく存在。一方でマークのラップは、言葉をリズムで切り取ることで、感情の輪郭をシャープに描き出す。ふたりの声を結びつけるのが、小室の精緻なサウンドプロダクションだ。

『SWEET PAIN』のサウンドは、当時のシンセサイザー技術を駆使しながらも、決して“冷たい電子音”では終わらない。ビートの裏に漂う哀愁や、ボーカルに宿る人間味が、テクノロジーと感情の境界をやわらかく溶かしている

CMと共鳴した、90年代の都市感覚

本作はTDKのMDのCMソングとしても話題を呼んだ。映像にはglobeの3人が出演し、スタイリッシュな都会の夜を背景にしたその世界観は、まさに当時の“時代の顔”だった。

CDが街中のショップで山積みになり、ヘッドフォンを通して流れるそのサウンドが、深夜の街を歩く人々のBGMになった。「孤独」も「希望」も同じビートで刻まれていたそれがglobeの音楽が多くの人に刺さった理由だ。

セールスは90万枚超を達成。エレクトロニックなサウンドを導入しながらも、構成や展開にはポップスの起承転結がしっかりと存在している。つまり、踊る音楽でありながら、聴く人の感情を丁寧に導く――そんな“小室流ポップ”の真骨頂がここにある。

この後、globeは『DEPARTURES』や『FACES PLACES』など、より壮大でドラマティックな方向へと進化していくが、『SWEET PAIN』にはその出発点となる“ミニマルな熱”が確かに息づいている。

終わりなきビートに宿る、あの時代の呼吸

1995年の秋。渋谷のスクランブル交差点で、誰かのMDウォークマンから流れていた『SWEET PAIN』。人の波と光の洪水の中で、ほんの一瞬だけ心が静かになる――そんな感覚を覚えていた人も多いだろう。

globeが描いたのは、熱狂の裏に潜む“都会の孤独”だった。そしてその孤独を、美しく鳴らす術を、彼らは確かに知っていた。

30年経った今でも、この曲を聴くと、あの夜の空気がふと蘇る。音が時代を越えて心を揺らす瞬間。それこそが、『SWEET PAIN』の本当の輝きなのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。