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封印されていた"記憶"にどう向き合うのか? この秋の話題作『遠い山なみの光』『宝島』

  • 2025.9.3

子どもの頃の大切な記憶を、うっかり思い違いしていたことに大きくなってから気づいたことはないだろうか。また、学生時代の歴史の授業では習わなかったが、大人になってから意外な史実を知って驚くこともある。自分の中の価値観が、ぐらりと揺らぐ瞬間だ。そんな体験を味あわせてくれる2本の映画が、この秋に続けて公開される。

2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの長編デビュー作を、広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊らで映画化した『遠い山なみの光』(9月5日公開)、そして真藤順丈の直木賞受賞作を、妻夫木聡、広瀬すず、窪田正孝、永山瑛太らで映画化した『宝島』(9月19日公開)だ。どちらも戦後の復興期にあたる、1950年代の日本が描かれていることでも共通している。

社会の価値感の変動が激しかった時代を生き抜いた主人公たちを、人気俳優たちが熱く演じている両作品の見どころを紹介しよう。

戦後の長崎で平穏に暮らす人妻の葛藤『遠い山なみの光』

英国で暮らす悦子(吉田羊)は長崎時代を振り返る。『遠い山なみの光』より
(C)2025 A Pale View of Hills Films Partners 英国で暮らす悦子(吉田羊)は長崎時代を振り返る。『遠い山なみの光』より

日系英国人のカズオ・イシグロが、生まれ故郷の長崎を舞台にして1982年に発表したのが『女たちの遠い夏』(原題『A Pale View of Hills』)だった。この邦題は、2001年に作者の真意を汲む形で『遠い山なみの光』に改題された。英国で暮らす悦子(吉田羊)が、再婚相手との間に生まれた次女のニキ(カミラ・アイコ)に懇願され、長崎で暮らしていた時代を振り返る形で物語が進んでいく。

大戦末期の原爆によって大きなダメージを受けた長崎だが、1950年代になると表向きは復興されつつあった。原爆の被害を免れた悦子(広瀬すず)は、会社勤めしている夫の二郎(松下洸平)と新しく建てられた団地で平穏に暮らしている。悦子のお腹の中には、初めての子どもが宿っていた。当時の悦子は「これ以上はない幸せ」と口にしていた。

団地前の空き地には、佐和子(二階堂ふみ)とその娘・万里子(鈴木碧桜)が暮らす粗末な平屋が建っていた。悦子はその親子のことが気になる。佐和子は米兵と仲良くしており、海外移住を狙っていた。まだ幼い万里子のことは放りっぱなしで、もうすぐ母親になる悦子の目には危なっかしく思えて仕方がない。

格別に美しかった山頂からの眺め

映画女優のような派手な出立ちの佐和子(二階堂ふみ)と、悦子(広瀬すず)は親しくなる
(C)2025 A Pale View of Hills Films Partners 映画女優のような派手な出立ちの佐和子(二階堂ふみ)と、悦子(広瀬すず)は親しくなる

佐和子から「仕事はないかしら」と頼まれた悦子は、戦争未亡人が営むうどん屋を紹介したことから、次第に懇意になっていく。もうすぐ米国に移住するという佐和子親子と一緒に、長崎の名所として知られる稲佐山にも登る。戦争を生き延び、日々の生活に追われる彼女たちにとって、長崎市内が一望して見渡せる山頂からの眺めは、格別に美しいものだった。

そして現在の英国。悦子は佐和子との女同士の友情を懐かしげに語るが、それを聞いていたニキは不審に思う。長崎時代の悦子はその後、長女・景子を出産するも、二郎とは別れ、英国人と再婚して渡英することになった。そして、ニキの姉である景子は自殺を遂げている。景子が自殺した真相は分からない。悦子にはニキに話していない過去があるのではないのか。

もしかしたら、悦子の中で記憶は美化され、歪められているのではないのか。そんな疑問をニキは感じ始めるー。

語り手の記憶が曖昧なカズオ・イシグロの世界

悦子の次女・ニキ役は、オーディションで選ばれたカミラ・アイコが演じている
(C)2025 A Pale View of Hills Films Partners 悦子の次女・ニキ役は、オーディションで選ばれたカミラ・アイコが演じている

カズオ・イシグロの小説は世界各国で翻訳され、広く読まれているが、とりわけ有名なのはアンソニー・ホプキンス主演で映画化された『日の名残り』(1993年)と、キャリー・マリガン、アンドリュー・ガーフィールド、キーラ・ナイトレイが共演した『わたしを離さないで』(2010年)だろう。両作品を観た人なら、カズオ・イシグロ作品はある特徴があることに気づくはずだ。

英国の上流社会をベテラン執事の目線から描いた『日の名残り』、施設で生まれ育った少年少女たちの顛末を描いた『わたしを離さないで』は、どちらも物語序盤は主人公たちの満ち足りた日常生活が語られている。だが物語が進むと、隠されていた「秘密」が明かされ、主人公たちのいた世界は一変することになる。

『日の名残り』の主人公であるスティーブンスは、英国の貴族階級に属する主人に使える忠実な執事だった。だが、その尊敬すべき主人はナチスドイツとの宥和政策を進めようとしていたことが戦後になってマスコミに非難され、失意のうちに亡くなっている。スティーブンスは意図的に、そのことには触れないようにしていた。

さらに残酷なのは、『わたしを離さないで』だ。施設で不自由なく暮らしていたキャシーたちだが、実は施設にいる子どもたちはみんなクローン人間であり、大人になると臓器提供する運命にあることを知らされる。キャシーたちをいつも見守ってくれていた先生たちは、彼女たちが逃げ出したりしないように監視していたのだった。

イシグロ作品で語られる「記憶」はいつも曖昧で、語り手によって事実は容易に捻じ曲げられてしまう。

『愚行録』『ある男』の石川慶監督が映画化

日本映画の担い手となった広瀬すずと二階堂ふみ。今回が初共演となる
(C)2025 A Pale View of Hills Films Partners 日本映画の担い手となった広瀬すずと二階堂ふみ。今回が初共演となる

『遠い山なみの光』も同じ構造の物語となっている。戦争体験者である悦子は、次女のニキにつらい過去を語ろうとはしない。悦子の中で、つらかった記憶は封印されており、歪められた思い出だけが語られることになる。

小さな世界に籠って、目と耳を塞ぎ、真実には触れないほうが幸せなのか。カズオ・イシグロの作品は、耳障りのよい語りの中に、とてもヘビーでダークな世界が浮かび上がってくる。

日本、英国、ポーランドとの合作となった映画『遠い山なみの光』を撮ったのは、石川慶監督。ポーランドの国立映画大学への留学を体験しており、貫井徳郎のミステリー小説を原作にした『愚行録』(2017年)、平野啓一郎原作の『ある男』(2022年)と、文芸作品の映画化が高く評価されてきた。

今回もポーランド留学時代からの盟友であるピオトル・ニエミスキ撮影監督と組み、端正な映像に仕上げている。原作小説ではうっかりすると読み落としてしまいかねない、カズオ・イシグロが仕掛けたトリックも分かりやすく演出してみせている。

小津安二郎の『東京物語』へのオマージュ

終戦直後に世話になった義父の緒方誠二(三浦友和)を、悦子は慕っていた
(C)2025 A Pale View of Hills Films Partners 終戦直後に世話になった義父の緒方誠二(三浦友和)を、悦子は慕っていた

現在70歳になるカズオ・イシグロは、5歳のときに両親と共に長崎から英国に渡っており、彼自身が日本で過ごした記憶は非常に曖昧なものしか持っていない。そのため、日本を舞台にした初期小説『遠い山なみの光』や『浮世の画家』は、小津安二郎や成瀬巳喜男ら日本映画の名匠たちの作品を観て、1950年代の日本人の言葉遣いや生活描写に活かしていることが知られている。

映画化された『遠い山なみの光』でも、広瀬すず演じる悦子と義父役の三浦友和とのやりとりは、小津監督の『東京物語』(1953年)や成瀬監督の『山の音』(1954年)を思わせる。借り物の記憶で、物語が構成されていくというスタイルもカズオ・イシグロ作品の特徴だ。

悦子が振り返る長崎パートは、原節子や高峰秀子ら往年の大女優たちが活躍した日本映画黄金期の雰囲気を湛えている。広瀬すず、二階堂ふみたちの堂々たる演技も大きな見どころだろう。

米軍統治下の沖縄を舞台にした超大作『宝島』

『宝島』では、オンちゃん(永山瑛太)らの「戦果アギャー」の様子が描かれる
(C)真藤順丈/講談社 (C)2025「宝島」製作委員会 『宝島』では、オンちゃん(永山瑛太)らの「戦果アギャー」の様子が描かれる

『遠い山なみの光』は1950年代の長崎から物語が始まるが、同じ時代の沖縄を舞台にしたのが『宝島』だ。NHK大河ドラマ『龍馬伝』(2010年)やアクション時代劇『るろうに剣心』(2012年)を大ヒットさせた大友啓史監督が、刊行されたばかりの新藤順丈の小説に惚れ込み、構想6年を経て、総製作費25億円、上映時間3時間11分の超大作映画に仕立てている。

当時の沖縄は、米軍の統治下にあった時代。沖縄の人たちが厳しい生活を送る中、オンちゃん(永山瑛太)、グスク(妻夫木聡)、オンちゃんの弟のレイ(窪田正孝)、オンちゃんの恋人・ヤマコ(広瀬すず)たちは「戦果アギャー」と称して、米軍から食糧や物資などを奪って、闇市に流したり、生活に困っている人たちに配って回っていた。

リーダーのオンちゃんは、みんなから英雄扱いされていた。極東最大の米軍基地となる嘉手納ベースを狙い、オンちゃんたちは大勝負に出るが、米兵に追撃され、散り散りに別れて逃げるはめに。その夜以降、オンちゃんは姿を消してしまう。

6年後、グスクは琉球警察の刑事となり、レイは裏社会に入り、それぞれオンちゃんの消息を追い続ける。「Aサインバー」で働いていたヤマコだったが、オンちゃんとの約束を守り、小学校の教師となる。グスク、レイ、ヤマコ、それぞれの立場から、沖縄が日本への本土復帰を果たす1972年までの20年間にわたる沖縄秘史が描かれる。

「我慢にも限界があんどー」沖縄の怒りが爆発した夜

小学校に米軍機が墜落。ヤマコ(広瀬すず)は懸命に教え子たちを守ろうとする
(C)真藤順丈/講談社 (C)2025「宝島」製作委員会 小学校に米軍機が墜落。ヤマコ(広瀬すず)は懸命に教え子たちを守ろうとする

沖縄が米軍の統治下にあったこの時代は、治外法権状態だった。米兵が沖縄の女性に暴力を振るっても、不問にされた。米兵による暴行事件は、今なお沖縄で起き続けている現在進行形の問題だ。

1959年には墜落した米軍機が小学校の校舎を直撃し、児童11人を含めて18人もの死者が出ている。このときも、米国人パイロットはパラシュートで脱出して無事で、「不慮の事故」として罪に問われなかった。1969年には米軍基地に隠されていた毒ガス兵器が漏れ出し、1970年には糸満の主婦が飲酒運転していた米兵に轢き殺される事件も起きている。

沖縄の人たちの怒りが爆発したのが、1970年12月に起きた「コザ暴動」だ。沖縄の住民5000人が関わったこの暴動は、米軍関係者の車両80台以上が次々と炎上し、深夜から翌朝まで乱闘騒ぎが続いた。大友監督はこの「コザ暴動」をクライマックスに据え、延べ2000人に至るエキストラを動員し、迫力ある群集シーンに撮り上げている。

主演の妻夫木聡は、沖縄ロケ作品『涙そうそう』(2006年)の撮影をきっかけに、沖縄の人たちとの交流を続けてきたという。そんな妻夫木が演じたグスクが暴動の夜に「我慢にも限界があんどー」と慟哭してからのシークエンスは、多くの観客の胸に突き刺されるに違いない。沖縄で暮らす人たちの米軍基地と日本本土に対する心情がはっきりと伝わるはずだ。

沖縄で起きた史実に基づいた『宝島』も、被爆者の戦後史が語られる『遠い山なみの光』も、封印されてきた記憶の扉を開く物語となっている。あなたは真実を知らずに過ごすのか、それとも真実を知った上で現実の世界に向き合うのか。両作品を前にして、あなたは大きな選択をすることになるだろう。

『遠い山なみの光』『宝島』作品データ

『遠い山なみの光』
原作/カズオ・イシグロ 監督・脚本・編集/石川慶
出演/広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊、カミラ・アイコ、柴田理恵、渡辺大知、鈴木碧桜、松下洸平、三浦友和
配給/ギャガ 9月5 日(金)より全国ロードショー公開
(C)2025 A Pale View of Hills Films Partners

『宝島』
原作/真藤順丈 監督/大友啓史 脚本/高田亮、大友啓史、大浦光太 音楽/佐藤直紀
出演/妻夫木聡、広瀬すず、窪田正孝、中村蒼、瀧内公美、尚玄、木幡竜、奥野瑛太、村田秀亮、デリック・ドーバー、ピエール瀧、栄莉弥、塚本晋也、永山瑛太
配給/東映、ソニー・ピクチャーズ エンタテイメント 9月19日(金)より全国公開
(C)真藤順丈/講談社 (c)2025「宝島」製作委員会

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