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【親の介護・看取り】在宅医療の専門医に聞くリアルな現場親の最期に立ち会うために、知っておきたいこと<後編>

  • 2025.9.2

余命1か月を宣告されたのに「私は死なない」と治療を拒否する母。家族のピンチに対処する四姉妹を描いた、尾崎英子さんのエッセイ『母の旅立ち』(CEメディアハウス)。そのなかで、常に冷静で先を見て行動している次女として登場するのが、英子さんの姉で医師の岡山容子さん。京都市で「おかやま在宅クリニック」の院長を務めています。岡山さんに訪問医療の現実と、家族の看取りについて聞く後編です。親の最期に立ち会うための心構えなど、今から知っておきたいことを伺いました。

前もって準備するのは難しい家族の最期 治療の方針は変わってもいいから決めておく

――看取りの専門医として、親の看取りに立ち会われた岡山さんですが、私たちが「その時」のために準備できることはなんでしょう。
 
 岡山さん(以下、岡山):地震に対する備えと同じで、親の最期に対する準備をあらかじめしておくのは、現実には難しいんです。そこでおすすめしているのは、お金の準備です。たとえば、“その時”に備えて毎月1万円ずつ積み立てておく。きょうだいが何人かいるなら、それで月に数万円になります。親の医療費や介護費は「本人」のお金から出すのが基本ですが、離れて住んでいる家族は駆けつけるのにも交通費がかかります。そういうとき、積み立てから出すことにすれば、不公平感がなくて済む。きょうだいの誰かが同居していて看病を担うなら、積み立てから「いつも看病をしてもらって、ありがとう」と感謝の気持ちを渡すのもいいでしょう。
 
――お金の準備をすることは、安心感につながりますし、きょうだい間でのコミュニケーションにもなりそうですね。どんな最期を迎えたいか、親の気持ちを確認するにはどうしたらいいでしょう。
 
 岡山:大切なこととはいえ、お正月のだんらんの時には聞きにくい。法事でもあれば「おばあちゃんの最期はどうだった?」「じゃあお母さんはどうしたい?」と、聞くこともできるかもしれません。
 
ただ、誤解しないでほしいのは、どこまで治療してほしいかなどの方針は、一回決めたらそれで終わりではないことです。延命治療したいかを問われると「私はええわ」という人が多いんです。でも、いざそうなった時に家族に「やっぱりがんばって治療してよ」と懇願されたらどうするか。「分かった、あんたたちに任せるわ」という人なのか、「私の人生だから好きにさせて!」というタイプなのか。

こんな方がいました。高齢女性で、本人は以前から「救急搬送は嫌」だと。指が感染し壊死していて、それについては切断の準備もしていたのですが、それより早く菌が全身にまわって急に危険な状態になりました。元々のかかりつけ医は「ここに居たら命がなくなる」と救急搬送を指示して往診に来てくれませんでした。本人は「救急搬送は嫌」と言い、この状態で救命を希望しなければ搬送されても「なんで病院に来たの」となります。私が看護師に呼ばれて訪問し、女性に「自宅で亡くなりたいんだったら最後まで診るし、治療したいんだったら救急医におつなぎしますよ」と伝えました。それを聞いた家族は「本人の前で命の話をするとは!」と怒りましたが、そのやりとりを聞いていた本人が「……(治療しても)ええで」とおっしゃる。結果、その女性は指の手術を受けて、今もご存命です。
大切なのは、本人が決めること、そして決めても後から思いが変わってもいいということです。
 
――変わってもいい、と考えると少し楽な気持ちになります。
 
 岡山:「変わってもいいなら、決めなくてもいいんじゃない?」という人もいますが、それは違うんです。何も決めていないといざという時にパニックになるから。まず、自分ならどうしたいかと考える。そして、家族にすがられたらどう思うかも想像しておく。私はこれを「心の避難訓練」と呼んでいます。40代を過ぎると、がんにかかる人が増えてくるので、親のことだけではなく自分のこととして考えてほしいですね。迷うならできる治療はすべてやってもらいたい、と意思表示すればOKです。

親子関係は人それぞれ。 悲しみは乗り越えるのではなく共に生きる

――親が自宅で死にたいと言った場合、どう準備しておけばいいのでしょうか。
 
 岡山:準備といっても、現実的なことはできないので、プロに“丸投げ”が正解です。病院の「地域連携室」に行くか、看護師に相談すればそこから動いていきます。訪問診療の事業者選びは、担当者と話が通じるかどうかが大切です。「この人にいくら言っても話が通じない」と感じたら、替えてもらいましょう。ただ、都市部は事業者も多いですが、地方は限られているので選ぶのは難しいかもしれません。
 
――最後までお任せできる相手を見つけることですね。親との関係によっても、看取りの形は変わるでしょうか。
 
 岡山:まず、看取る側の死生観が影響します。グリーフケア(肉親の死など大きな悲しみを経験した人に寄り添い、立ち直りを支援すること)の考え方では、「亡くなった人は自分の心の中にいる」と考えます。よく「悲しみを乗り越える」と言いますが、よっこらしょと無理に乗り越えたとしても、悲しみはその場に置いてきぼりです。乗り越えるのはなく、背負って一緒に生きていくもの。ただ、心の中にいると思えず「(現実には)大好きなお母さんはもういない」としか思えない場合は、グリーフケアが進まないことがあります。
 
また、親子関係がよくない場合もありますね。私は、親を心の中では捨ててもいい場合もあると思います。分かり合えない親子にはそれなりの理由と歴史があるので。
 
ある女性は裕福な家のマダムでしたが、夫の遺産相続で娘ともめて、家を一人で飛び出し生活保護で暮らしていました。私たちの医療サービスを受けて「今がいちばん幸せ」と言っていたんですが、訪問の看護師が「親戚に連絡したほうがいい」と熱心に勧めていたんですね。でも、本人は「会いたないねん」と。看護師から「先生、説得してください」と言われたんですが、私は「なんで、あんた好みのビューティフルストーリーにせなあかんねん!」と叱ったんです。それでも看護師はあきらめなかったようで、説得を続けたらついにそのマダムがキレて「あんたら貧乏人に、お金を持っている苦しみは分からんわ!」って(笑)。遺産相続の問題はきっかけにすぎず、ずっと前から分かり合えない親子だったのでしょう。私たちは人生に介入できない。ただ寄り添うだけなんです。
 
親子関係がよくなくて、それでも捨てきれずに面倒を見る人へのアドバイスは、「できることを粛々とやる、できないことをくよくよしない」ということ。「無理はしないでいい、あんたはこのあとも生きていくんやで」と、友だちとしてではなく専門職の私たちが言うことに、意味があるのかなと思っています。

――ご自身の親を看取られて、今までの経験と違った部分もありましたか。
 
 岡山:それが、驚くほど変わらなかったんです。動揺や葛藤はいつもあります。「進行が思ったより早いな」とか「この状態なら、どの薬を使ったらいいんだろう」とか「患者さんを見ていて涙がうるんでくる」とか。私はいつも、患者さんに対して、自分の家族のつもりで接しています。惚れっぽくて(笑)、患者さんのことが大好きになるんです。でも、玄関ドアを閉めるとパッと切り替わる。この仕事に向いているのだと思います(笑)。

入院中は、病院都合にならざるをえない。 本人都合に寄り添うのが在宅医療

編集部:少し個人的な質問をいいでしょうか。私は1年半前に母を看取ったんですが、病気の原因が結局、不明のままでした。大学病院で最初は肺血症と診断され治療を続けても回復せず、次第に脳がやられて意識がなくなり最後はICU(集中治療室)に入りました。入院してから亡くなるまで1か月半弱。母は意識がある時に「ICUだけには入りたくない」と言っていて、また病院を嫌がっていて転院したいと言われつつ、果たせませんでした。こんな時はどうしたらいいでしょうか。
 
 岡山:そうでしたか。大学病院のICUに入っている人を退院させるのは、常識的には難しいんです。無理やり退院をして私のところに患者を連れて来る家族もいますが、まわりには大変な迷惑をかけています。原因不明の場合、診断がつけば回復する可能性もあるので、病院側としては退院していいとは言いづらいんですね。
 
ただ、お母さんが病院をいやがったのも当然なんです。病院は管理の場所。患者さんの個性や要望は無視されて、病院都合ですべてが動いていきます。お母さんの怒りはもっとも。反対に在宅療養は、本人の都合で生活し医療はそれを支援します。本人がしたいことをできるし、食べたいものが食べられる。ただ、訪問医療は、呼んでも来てもらえるのにある程度時間がかかるという、アクセスの悪さがあります。
 
 編集部:そうでしたか。もうひとついいでしょうか。『母の旅立ち』では、著書の尾崎さんが、いよいよという時も仕事をされていて、ごきょうだいもそれを受け入れている描写がありました。「最期を看取れなくても仕方ない」という考え方だと思います。
 
私は、母が危篤状態の時に、会社にパソコンを取りに行きたいと言ったら、母と同居していた弟に「こんな時にも仕事なのか!」と、すごく怒られました。結局その日に母は亡くなりまして、パソコンを取りにはいきませんでしたが、そんなことを言ったことを、弟はまだ怒っているようで……。私の中でもしこりになっているのですが、どうすればよかったでしょう。
 
 岡山:この終末期医療の業界では、亡くなる瞬間はつかまえられないと言われています。たとえば、ずっとそばについていても、トイレに行った数分、お弁当を買いに行った10分で亡くなる場合がある。旅立つ時は本人が決めるんです。
 
弟さんが怒ったのは、お母さんが亡くなる不安をひとりで抱え込んだからではないでしょうか。その弟さんの冷えた気持ちを理解していなかったことを謝るといいのでは。今からでも、それを伝えるのがおすすめです。面と向かって言うのが難しければ、手紙でもいいですよ。
 
看取りは、最期の瞬間だけが大事なわけではなくて、そこまでの別れの道のりを一緒に歩くことです。そのなかで穏やかなお別れ、私がよく言うのは「お正月に親戚が集まった時」のような空気でお別れすること。それができれば、最期の瞬間に一緒にいられなくても、十分なんです。

『母の旅立ち』

著/尾崎英子
¥1,760(CEメディアハウス)

新興宗教への傾倒や事業の失敗で、家族を振り回してきた破天荒な母が末期がんに。「看取りのプロ」の次女の指揮のもと、四姉妹は母のエンディングにどう寄り添うのか。将来、親や家族を看取るかも、そんな時にもヒントになるエッセイ。

<この方にお話を伺いました> 岡山容子さん

訪問診療医。京都市中京区にあるおかやま在宅クリニック院長。京都府立医科大学卒業後、麻酔科医として勤務。緩和医療への関心から、ガン末期だけではなく高齢者や難病の方の療養に関わる在宅医療に転向。真宗大谷派の僧侶資格を持つ

田中絵真

フリーライター
田中絵真

田中絵真

暮らしまわり、ヘルスケアの記事を多く執筆。

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