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“タランティーノ風”は日本では不可能!?押井守監督が『パルプ・フィクション』で解説する、日本語とスラングの関係性【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第6回後編】

  • 2026.3.13

独自の世界観と作家性で世界中のファンを魅了し続ける映画監督・押井守が、Aだと思っていたら実はBやMやZだったという“映画の裏切り”を紐解いていく連載「裏切り映画の愉しみ方」。第6回前編では、クエンティン・タランティーノ監督『パルプ・フィクション』(94)をテーマに、時系列をいじることは監督としての“処世術”だと分析した押井監督。後編では、なぜ日本映画ではタランティーノのような映画が作れないのかを解説していく。

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日本映画とスラングの関係から、『パルプ・フィクション』の爽快さをひも解いていく
日本映画とスラングの関係から、『パルプ・フィクション』の爽快さをひも解いていく

「アウトローの爽快感は日本映画では生まれようがない」

――今回はクエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』の後編です。押井さんは、「時系列をいじることで後味の悪くなりそうな話を気持ちよく終わらせることに成功している。これは、血みどろ系や陰惨な表現も好きだけど、最後はハッピーにしたいに違いないタランティーノの発明」だとおっしゃっています。

「血みどろ等、やりたいことをやっていながら、最後にはその印象を変えてみせる。意外なことに、この“発明”には誰も気付いていなかった。その発明さえあれば途中で主人公たちが全員死んでも映画は成立する。時制はいくらでも変えていいということ。これは大きな発明ですよ」

カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールなど、多くの映画賞を受賞した『パルプ・フィクション』 [c]EVERETT/AFLO
カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールなど、多くの映画賞を受賞した『パルプ・フィクション』 [c]EVERETT/AFLO

――押井さんはそれを真似ることは難しく、ある意味、タランティーノだからこそできるっておっしゃってますが。

「たとえば『レザボア・ドッグス』(92)の冒頭での他愛ない会話。これから銀行強盗やろうという人間たちがマドンナの曲、『ライク・ア・ヴァージン』の解釈について大真面目に語っている。そういう状況が違和感なく成立しているのは、タランティーノがそれにふさわしいキャラクターを創り上げているから。構成や脚本を真似ても絶対ああはなりません!

もうひとつはスラングだよね。日常会話のなかでガンガン使っていて、それも映画に爽快さをプラスしている。もっといえばタランティーノの映画のさばき方はスラングと表裏一体なんだよ。スラングは日本語に馴染まないから、タランティーノ風の映画も日本では成立しない」

――戸田奈津子さんの字幕だと、アメリカ映画のスラングを「このファック野郎!」と訳される場合が多いような記憶があります。

「そういうのもヘンでしょ?『死んじまえ!』とか『くっそー!』的なニュアンスじゃないの。日本でその手のスラングになると、タケシ(北野武)の映画によく出てくる『バカヤロー』という感じじゃないかな。『アウトレイジ』シリーズでは『バカヤロー!』『コノヤロー!』というセリフが何度も出てきて、回数をカウントしているサイトもあったくらい。でも、そういうウケ方はタケシの意図とは違うんだと思うよ。日本語だとスラングもそういうネタになっちゃって、タランティーノ映画のような爽快さは生まれない」

殺し屋をはじめとした血に塗れた物語であるのに、爽快感がある『パルプ・フィクション』 [c]EVERETT/AFLO
殺し屋をはじめとした血に塗れた物語であるのに、爽快感がある『パルプ・フィクション』 [c]EVERETT/AFLO

――日本のヤクザ映画ってどうなんです?スラングが飛び交っていそうな印象ですが。

「強いて言えば『悪名』シリーズで勝新太郎が喋っていた河内弁はスラングっぽかったけど。とはいえ、ヤクザ映画、そのカテゴリーながら主人公はモラリストなんですよ。日本映画では基本、本当の意味でのヤクザやゴロツキは主役にしない。たとえヤクザであっても最後はモラリストになるのが日本のヤクザ映画の主人公なんです。

そういうなかで画期的だったのが深作欣二の『仁義なき戦い』シリーズだよね。ヤクザたちの欲望自然主義を肯定したからですよ。なんのためにお前は生まれて来たんだという問いに対し『旨いもん食って、美味い酒を飲んで、ハクいスケを抱く。そのために生きとるんや』ってね。それを実現するためには暴力でもなんでもやっていいんだというわけです。それが成立したのは戦後のアプレゲール(旧来の価値観にとらわれない若者たち)と呼ばれる者たちがいたから成立した。戦後の混乱期という特権的な時代だったからこそ欲望自然主義を肯定できたんです。自己実現するにはそれしかなったからですよ。現代に近づけば近づくほどそういうのは難しくなる。なぜならヤクザがビジネスになったから。そういう意味では、本当のゴロツキ、アウトローの爽快感は日本映画では生まれようがないんです。

話が脇道に逸れちゃったけど、日本ではタランティーノ風は真似できないということを言いたかったの。そもそも日本だと銃を振り回すということ自体、ハードルが高いじゃないの。私が作品のなかで銃を振り回すのは異世界やSF等、現実じゃない世界が舞台の時だけ。銃を振り回す行為が似合う現実を構築する自信ないからですよ。なにが言いたいかというと、日本を舞台にやれることは意外と限られているということ。そういう風土のなかではいくら映画の時制をいじくりまわしても陰惨な本質を爽快なラストに変えることはできない」

日本ではタランティーノ監督のような作品は難しいと力説する押井監督 [c]EVERETT/AFLO
日本ではタランティーノ監督のような作品は難しいと力説する押井監督 [c]EVERETT/AFLO

――日本じゃ難しいでしょうね、やっぱり。

「タランティーノ作品でも『パルプ』が抜きんでていて、あとの作品はそのバリエーションみたいなもの。『ジャンゴ 繋がれざる者』(12)なんかは長いだけだし、2本の『キル・ビル』(03、04)も長すぎて退屈。(セルジオ・)レオーネ風のウェスタンをやりたかった『ヘイトフル・エイト』(15)も長すぎる。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19)に至っては全然ダメ。途中は退屈だし、ヘンなヤツを出しても上手く機能していない」

「好きな映画のコピーは終わったから、思い残すところはないんじゃないの」

――『ワンハリ』大好きだったけど、ダメですか?

「ネタが多すぎて整理できてないの。ブルース・リーやマンソン・ファミリー、(ロマン・)ポランスキーのネタもある。ダメなのはヒッピーのエピソード。あれは蛇足ですよ。私がヒッピームーブメントが好きじゃないという理由もあるけどさ。『ワンハリ』でいいのはブラピくん(ブラッド・ピット)だけ」

前日譚の制作も決定している監督第9作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 [c]EVERETT/AFLO
前日譚の制作も決定している監督第9作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 [c]EVERETT/AFLO

――ブラピはオスカー助演男優賞を取りましたよ。タランティーノも、あの時代のハリウッドを描くのがうれしくってしょうがないという感じでかわいかったですけどね。

「『キル・ビル』で東映のヤクザ映画をやってうれしいというのと同じです。そういうのはまさに映画ファンから監督になった典型。映画のオマージュからしか映画をつくれない。それはそれでいいといえばいいんだけど。タランティーノが映画の世界に持ち込んだ新しい発見は『パルプ』だけですよ」

――押井さん、『ワンハリ』のプリクエル(前日譚)が今度つくられるんです。ブラピが演じていたスタントマンの若いころを描いていて、脚本はタランティーノ、なんとメガホンは(デヴィッド・)フィンチャーですよ!スタントマンには、かつて妻を殺したというウワサがあって、その辺を描くのでは?と言われてますが。

「それはフィンチャーで正解じゃない?ソリッドでかっこよく仕上がるよ、きっと。そういうスタイルはタランティーノは無理だから。彼が監督だとどうしてもB級っぽくなる。たとえ『キル・ビル』のようにお金をかけてもB級だから。フィンチャーはいつもいいわけじゃないんだけど、映画の風貌は変わらない。独自のスタイルがちゃんとある。芸風は変わらないのが監督なんです。

ジャンル映画愛が炸裂した監督第4作『キル・ビル』(写真は『キル・ビル Vol.1』より) [c]EVERETT/AFLO
ジャンル映画愛が炸裂した監督第4作『キル・ビル』(写真は『キル・ビル Vol.1』より) [c]EVERETT/AFLO

マイケル・ベイはどんなにがんばってもマイケル・マンのような映画はつくれない。私はマンが大好きなの。なぜなら大人だから。ベイはすぐにはしゃいじゃう。それも大金をかけて」

――でも押井さん、『パルプ』は裏切られてみんなが幸せになった映画ですよね。ドゥニ・ヴィルヌーヴの『メッセージ』のように観客を選んでいない。

「観客が求めてなかった要素でおもしろがらせることが出来たんだよね。『メッセージ』の場合は、同じように時系列をいじって『金返せ』になったのに『パルプ』はなってない。そのひとつの違いは監督としての立ち位置の差です。ヴィルヌーヴは簡単に言ってしまえば芸術家タイプというか、自分の真実を追うタイプ。映画をおもしろがるタランティーノとは違うんです。興行的な側面を考えると、普通はタランティーノのほうが成功しやすいと思うけどそうなっていないのは、やはり大作が向いていないから。たぶん『DUNE/デューン』シリーズのような予算で映画を撮ることはできないと思うよ、タランティーノは」

引退作とされる監督10作目は一体どんな映画になる? [c]EVERETT/AFLO
引退作とされる監督10作目は一体どんな映画になる? [c]EVERETT/AFLO

――タランティーノは長編をあと1本撮ったら監督業を卒業すると言っていますけどね。その1本で丁度10本になります。

「監督としてはひと通り、好きな映画のコピーは終わったから思い残すところはないんじゃないの。でも、映画大好きなタランティーノだから、製作や脚本をやって映画から離れることはないよ、絶対」

取材・文/渡辺麻紀

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