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ロエベの新章を担う2人──プロエンザ スクーラー創業者、パリで始める挑戦

  • 2025.8.25

“リアル”を探し続ける二人が、ロエベで描く未来

マッコローとヘルナンデス、ロエベのオフィスでの新章に臨む。 Photographed by Annie Leibovitz Sittings Editor_Jack Borkett. Vogue,September 2025
マッコローとヘルナンデス、ロエベのオフィスでの新章に臨む。 Photographed by Annie Leibovitz Sittings Editor:Jack Borkett. ,September 2025

ヴァンドーム広場の近くにある、ロエベLOEWE)のパリのヘッドクォーターで私が会った日の時点では、二人の身の回りの品はまだ輸送用の箱に入ったままで、住んでいる家も7区にある短期のサブレット物件だった。マッコローの言葉を借りるなら「リアルな場所」を探す時間がないのだという。やはり、世界的なラグジュアリーブランドのクリエイティブとは、すべてを捧げなければならないほどの重責なのだ。この役割を担う者の務めには、ブランドの未来への道筋を描くだけでなく、新しく仕事場になったオフィス内の様子を把握することも含まれている。というわけで、ヘルナンデスがこのビルの中を案内してくれたのだが、その間も、「ちょっと待った、このフロアにキッチンなんてあった?」という言葉が飛び出す有様だ。最近は新天地に降り立ち、新たな状況の把握に励むデザイナーが増えており、マッコローとへルナンデスのコンビも、その一例だ。

それにしても、2025年はファッション界では歴史的な年として刻まれるだろう。あらゆるダイヤルが突如として回されたかのように、有力ブランドで続々とデザイナーの移籍が決まり、新たな視点が披露されることになったからだ。9月に開催予定の2026年春夏シーズンのショーだけでも、新たなデザイナーで臨むブランドは10を超える。エディ・スリマンの後を継ぎ、セリーヌCELINE)のアーティスティック ディレクターに就任したマイケル・ライダーのように、新たに表舞台に登場したデザイナーもいる。一方で、まるで椅子取りゲームのようにデザイナーが交代したケースも多い。ボッテガ・ヴェネタBOTTEGA VENETA)で愛されてきたマチュー・ブレイジーシャネルCHANEL)への移籍も、象徴的な出来事と言えるだろう。ご存じの通り、ロエベに関しても、前任者のジョナサン・アンダーソンはディオールDIOR)に移籍している。数シーズン前まで時を戻すと、変化の規模は地殻変動クラスに達する。クロエ(CHLOÉ)のシェミナ・カマリ、ジバンシィGIVENCHY)のサラ・バートンなど、挙げていけばきりがないほどだ。「過去の数シーズンを振り返ると、状況は明白です。私たちはひとつのサイクルの終わりに立ち会っているのです」と語るのは、ラグジュアリーファッションに特化したショッピングサイト、モーダ・オペランディの共同創業者、ローレン・サント・ドミンゴだ。「個人的にも、ジャックとラザロはここに来るべきだと、ずっと感じていました。私たちは新しいエネルギーを必要としていますし、二人は常に新たな世界を切り開いてきたからです」

ファッション界の一大シャッフルの影響を受けたデザイナーの中でも、マッコローとヘルナンデスのコンビは、これまでラグジュアリーブランドに関わったことがないという点でユニークな存在だ。二人には、高級ブランドの内情を目にする機会がこれまでなかった。マドリード郊外のヘタフェにあるロエベの工房を初めて訪問した際には、興奮を抑えられなかったと、マッコローは語る。「この工房で50年も働いている人がいて、本当に信じられないほどの技を持つ職人がいるんです。数百人もいる、そうした人たちが、『さあ、あなたたちのために何を作りましょうかね?』と言いたげな顔で、僕たちをじっと見つめてくるんですから」。レザーの素材サンプルに恋をすることは可能だろうか? 私もそんなことはありえないと思っていたが、ある6月の暑い日、パリでラザロ・ヘルナンデスは、レザーの一片に熱い視線を送っていた。そのあまりの熱心さに、私の固定観念も見直しを迫られた。

「表面に絵の具を塗ったように見えますよね? この隣り合った色のにじみ具合は、水彩絵の具かロスコ(マーク・ロスコ、大きな色の面で構成される抽象絵画で知られる現代画家)のようですよね……。でも違うんです。ほら、革をレイヤー状に重ねているんです。革剥き(スキヴィング)という、昔からある技法に、新しい手法を加えたんです」。この調子で、ヘルナンデスの話は延々と続く。まるで最高にうまくいった最初のデートについて、息もつかせずに報告する友達の話を聞いているようだ。

一方、ヘルナンデスの公私両面でのパートナー、ジャック・マッコローは、バケツ形のバッグを自ら手に持ち、鏡に映して確認している。ロエベのデザインチームが見守る中、「このくったりした感触はどうなのかな?」と話す声が聞こえる。

この1月に、マッコローとヘルナンデスは、プロエンザ スクーラーPROENZA SCHOULER)のデザイナーを退任すると発表した。23年前、当時はまだパーソンズ・スクール・オブ・デザインの学生だった二人が立ち上げたブランドからの離脱を選んだのだ。さらに4月になると、二人はプロのデザイナーとしてこれまで唯一の拠点だったニューヨークの家を引き払い、パリ行きの飛行機に乗り込んだーーロエベの新たなクリエイティブディレクターに就任するために。

『W』の編集長で、長年の友人のサラ・ムーンベスは、ロエベでのデビューコレクションについて「非常に革新的なものになる」と予想する。その根拠となるのは、スポーツウェアにフォーカスした、インディー系アメリカン・ブランドとしてファッション界をリードしてきたプロエンザでの実績だ。「二人がこれまで発揮してきた創造性や好奇心、使われる素材や技法の洗練性を考えると、ロエベの優秀な組織がバックについた今、いったいどこまで行くのでしょうか?」と。サラは問いかける。期待をかけているのは、彼女だけではない。ファッション界の関係者は誰もが、二人が手がけるロエベがどのようなルックに仕上がるのかと、かたずをのんで見守っている。また、変化の時期にあるファッションの世界で、新生ロエベの立ち位置がどこになるのかも、気になるポイントだ。

こうした予想合戦は、単なるアパレル製品やバッグ、シューズといったアイテムのデザイン予想にとどまらず意味を持つように思える。とはいえ、私も取材時にロエベの社内を歩き回ったが、新たなデザインを知る上でさしたる収穫はなかった。プレスチームのラックにかかっているコレクションは、すべて前任者のアンダーソンがデザインしたものだったからだ。

ムードボードは見ることができたが、その内容は実にあいまいだった。私が目にした中で、彼らが率いる新生ロエベの未来を伝える唯一の手がかりは、先述した、ヘルナンデスが熱狂していた約15㎝角のサンプルだ。極薄の革素材を、新たな革剥きの技法を用いて貼り合わせることで、継ぎ目の見当たらない、スエードのカラーブロックを作り出す、というものだ。これに関連する手がかりがもう一つある。ヘルナンデスが紹介してくれた、カミーユという名のデザイナーだ。彼女は5年をかけ、ヘタフェの職人たちと共同で、このインターシャのような効果が出せる技法を作り出したという。

近くを通りかかったマッコローも、「クールだよね?」と声をかける。ヘルナンデスに比べると口数が少ないが、その目は雄弁に物語っている──彼もこの素材に夢中なのだ。「これまではアイデアをやりとりする相手は、自分たち二人に限られていました。今は、開発に5年を費やした技法を持ち込んでくれるスタッフがいるなんて……」と語るマッコローの声は小さくなり、信じられない、という様子で首を振る。「これほどのものが自由に使えるなんて、今までなかったことなんです」その後私は、二人がこの極薄の剥き加工を施したレザーを、デビューコレクションに採用したと知ることになる。しかもこの素材が、バッグとシューズ、プレタポルテのアイテムをリンクさせ、ヘルナンデスの言葉を借りるなら「一つのストーリーを語る」上で、大切な役割を果たしていたのだ。

このストーリーは、パーカやジーンズからTシャツなどに至る、いかにもアメリカ的なスポーツウェアで構成されてきた。だがそれでいて、ここでしか語ることができないものでもあった。ロエベでの仕事を始めるためにパリに移り住むまで、この街に「まともに滞在」したことはなかったと、マッコローは打ち明ける。オフィスを出て、一緒に街を歩いていても、二人はまるで観光客のように、目に入るものすべてに驚嘆していた。どちらもフランス語は話せないが、アトリエで仕事に励み、ゾーンに入っている様子を見ると、すでに違和感はないように見える。だが一方で、目がくらむような感覚もあるようだ。これは要するに、「二人は幸せそうな様子だ」ということなのだろう。

これももうひとつのカギだ。喜びは優れたアイデアの源泉であり、デザイナーが幸せであれば、それが服にも表現されるものだ。このムードはまた、ロエベにふさわしいものでもある。ロエベのCEO、パスカル・ルポワヴルは、「頭脳的だが、遊び心もある」と、このブランドのスピリットを端的に表現する。だがその一方で、CEO自身も、マッコローとヘルナンデスが目指す方向性については、まったく見当がつかないという。

「今の時点ですべてがわかっていたら、わざわざ試す必要がどこにあるでしょう?」とルポワヴルは問いかける。「そもそも変化を選択するのは、驚きを期待してのことですから」だが、ヘルナンデスとマッコロー、そしてロエベに限らず、このファッション界全体を巻き込んだ大規模なリセットで新たな役職に就いたデザイナーに対して、私たちはいったい何を期待しているのだろう? モーダ・オペランディのドミンゴは、ファション界を覆う停滞ムードを指摘する。これは業界人、そして延々とスクロールを続ける買い物オタクという両方の立場での、彼女の偽らざる実感だという。「誰もが『次に何が来るのか?』と待ち構えているけれど、まだその“次”が訪れていない感じがします」

ドミンゴがここで指摘しているのは、いかにも21世紀らしい新たな体験のことだろう。とめどなく投入されるブランドの製品やコンテンツにせき立てられる気持ちと、それと裏腹の無気力状態が、同時進行で発生しているのだ。テレビ画面でどのストリーミング配信を選ぶか、30分間も迷った挙げ句、テレビの電源をオフにしてしまった経験がある人なら、この感覚がわかるだろう。選択肢は無数にあるのに、見たいものがないのだ。

この希望のない状況において、ロエベは例外的存在だ。この10年、ジョナサン・アンダーソンのもとで、ロエベの収益は4倍という驚異的な伸びを示した。ここからわかるのは、人々が自分が慣れ親しんだテイストといい意味で違う、大衆に媚びないファッションに飢えていることだ。

「人は『新しいものを見つけた』という感覚を求めるものです」とルポワヴルCEOも語る。確かに前任者のアンダーソンは、自身のコレクションやキャンペーン、気の利いた公式TikTok、自ら立ち上げたロエベ財団クラフトプライズを通して、常に人々の関心をかき立ててきた。そして今、アンダーソンの崇拝者たちは、彼が築いたロエベのレガシーが、適切な者の手に受け継がれたかどうかを確認しようと、かたずをのんで見守っている。ヘルナンデスとマッコローはこの点を認識しつつも、あえてプレッシャーを意に介さない姿勢を貫いている。「気にしてもいいことはないですからね」と、マッコローは指摘する。「むしろ良くないことになる」とヘルナンデスも応じる。

「僕たちは、これは新しいプロセスの始まりだ、というアプローチをとっています」と、マッコローがさらに解説する。「就任直後からすごいアイデアを連発することを期待する人が多いですよね。でもジョナサンにしても、一夜にして今のロエベを築き上げたわけではないわけで。この最初のシーズンに大事なのは、的確にヴァイブをつかむことで……」「そして、作りもののヴァイブをつかまないこと」と、ヘルナンデスが続ける。「つまり、僕たちらしく、なおかつこのメゾンの約束事というフィルターを通したものを、ということです。僕たちらしさがありつつ、ロエベでもある、という」

このような会話を交わしている間、私たちはパリの街を散歩していた。そこここに、ファッションの歴史が刻まれている街だ。アメリカ生まれの二人にとって、自分自身の名をこの歴史に書き込むのは、なんと大変な重荷だろうと案じられる。ファッションは周囲を取り巻く世界と共に進化を続ける。そして当の世界が大きく揺れている状況では、その余波がもたらす効果は、まさに予想がつかない。

ヘルナンデスとマッコロー、そして私の3人は、同時期にファッションの世界で大人になった。その時期はちょうど、ファッションが「見せ物」化した時期と重なる。誇大広告がエスカレートし、ファッションアイテムはネットへの投稿に最適化され、キャットウォークは徹底的に商業化が進んだ。なぜなら、ビジネスという観点から見れば、ロシアや中国、ドバイでバッグを売ることが重要だったからだ。即時性とバイラルな盛り上がりが支えるグローバリゼーションの時代に、大衆受けするインパクトを狙うのは、ブランドにとっても理にかなった選択だった。

だがここで宣告しよう。そんな時代はもう終わりだ。しかもその原因は、関税攻勢やナショナリズムの盛り上がりだけではない。ファッション界にも、目立たないながらも確実な兆候が生まれているのだ。それはルポワヴルCEOが何気なくもらした発言にも表れている――実はロエベの収益構造は、もはや世界的なベストセラーになった、少数のスターアイテムに頼っていないというのだ。

「以前は、世界中のどこでも状況は同じでした。でも今は、日本からヨーロッパ、アメリカに至るまで、好みもトレンドもそれぞれに異なります。さらに求められる機能性すら異なっているんです。たとえば、日本のお客様は今でも財布をお買い求めになります。それは、日本では今でも現金が使われているからです。こういう国はほかにはありません。このような状況なので、よりそれぞれの地域の特性に即して、ターゲットを絞る必要があるんです」

世界が私たちの目の前で変貌していく今、ラグジュアリーファッションを取り巻く状況すべてが、刷新の時期を迎えているようだ。製品の製造および販売方法、人々の暮らしやカルチャー全体において果たす役割、クリエイティブ・ディレクターの役目、これらすべてがこの先進化を遂げていくだろう。「見せ物の時代」が終わり、ほかの何かが主役を受け継ぐことになる。だがそれは何だろうか?

「僕たちは、繊細な技法を数多く取り入れています。そこが気に入っているんです。写真を見ただけでは、細かすぎて伝わらないようなものが好きです」

オフィス訪問から少し時間が経ち、夏に再会した際に、マッコローはこう語った。この発言も、二人のロエベでのデビューコレクションを予測する上での、さらなる手がかりになるはずだ。ちょうどコレクションは形になりつつある時期で、オフィスでの作業も夜遅くに及んだ。夜の11時近くまで家に帰れないこともしばしばだと、マッコローは言う。そこからようやく、新たに移り住んだアパルトマンの向かいにある、家族経営の小さなマルシェで買い求めた「卵だけの夕食」をとるという(こちらも前の部屋と同じく7区にある、短期のサブレット物件だという。マッコローによれば、落ち着き先は「まだ探しているところ」とのことだ)。

二人は7区での暮らしを気に入っている。静かで、一息つける余裕があり、魚やワインパンやチーズを売る小規模な自営のショップがあるところがいいという。この住みごこちのよさは、二人が今取り組んでいる、ロエベの新たなコレクションに求めるものにも通じている。その本質は、今の時代の感覚と、地に足がついた「リアル」の間でバランスを取ることにある。

二人はコレクションのキーワードとして「柔らかさ」「官能性」「温かみ」を挙げる。どれも見た目ではなく、感覚を表現する言葉だ。ニューヨークのファッションの風雲児だったとはいえ、ヘルナンデスとマッコローは、「見せ物の時代」とは相容れないデザイナーだった。プロエンザ スクーラーのコレクションは、インパクトのみを重視することは決してなかった。そうではなく、微妙なニュアンス、カットや色彩、素材、構造など、ディテールへの入念なこだわりで、人々を魅了してきた。これらの魅力的な要素が合わさって、確固としたアティテュードと方向性を作り出していたのだ。

「最初から、二人は女性向けのクールなワードローブについて、明確なイメージを抱いていました。しかもこれは、完全に二人だけのオリジナルだったのです」と、サリー・シンガーは振り返る。シンガーはかつて『VOGUE』のデジタル・クリエイティブ・ディレクターを務め、今は『Art + Commerce』のプレジデントを務めている。「今、私から二人に何か伝えるとしたら『新しい服を必要としてる人は誰もいない』ということですね。プレタポルテですべてのアイテムを完璧に仕上げれば、そのルックを丸ごと買い上げてもらえると思っているのなら、それはもう過去の話です。私は、初期のプロエンザ スクーラーのストライプTシャツをいまだに着ていますが、それでもこう言わずにはいられません。今二人は、難しい状況に置かれていると思います」

シンガーは、2004年にプロエンザ スクーラーが初回の受賞者に選ばれた、CFDA/ヴォーグ・ファッション基金の審査員にも名を連ねていた。当時から二人に高い信頼を置いていた彼女の姿勢は、今でも変わらない。

「二人の直感には、とても秀でたものがあります。シューズにバッグ、レッドカーペットデニム、スポーツウェア、どれも秀逸です。ロエベでも、持つ人を特別な気分にさせるアイテムで、一つの世界を作り上げることができるでしょう。バッグにつけるチャーム、キャンドル、あらゆる価格帯のアイテムを作り出すことになります。たとえ何も買ってもらえないときでも、ブランドと人々を結びつける方法を見つける──それが今、クリエイティブ・ディレクターとして担うべき新たな務めでしょう」

2015年4月17日、ニューヨークのアリアンス・フランゼーズ(フランス文化の啓蒙を行うNPO)で、ヘルナンデスとマッコローはシンガーを聞き手に、トークショーを行った。このとき、ラグジュアリーブランドを手がける可能性はあるか?との質問に、マッコローは一度ならずアプローチを受けたことはあると認め、こうしたブランドが提供する豊かなリソースには魅力を感じるとしながらも、「今、自分たちにとって一番大切なのはプロエンザ スクーラーです」と明言していた。あれからほぼ丸10年が経ったタイミングで、二人は就労ビザを手に、パリ行きの飛行機に乗り込むことになった。

「うずうずするような気持ちをずっと抱えていました」と、マッコローは告白する。プロエンザ スクーラーのブランド創立20周年の記念すべき年も、大過なく過ぎていった。「それで自問自答が始まったんです。『これで終わりなのか?』と。人生にはいくつかの章があるべきだけれど、これが自分たちにとっては唯一の章なのか?と。もちろん、(プロエンザ スクーラーは)僕たちの心の中で特別な場所を占めています。でも19歳のときから、僕たちはこれしかやってこなかった。そして、クリエイティブ面では、『ひょっとすると言いたいことはすべて言い尽くしたかもしれない』と思うようになっていました」

鍵は“スペインらしさ”と職人技

2004年のCFDA/ヴォーグ・ファッション基金でのプレゼンテーションにて。モ デルを前にプレゼンするマッコローとヘルナンデス。当時、プロエンザ スクーラー を立ち上げて間もない二人は、若き風雲児としてファッション界を席巻していた。
2004年のCFDA/ヴォーグ・ファッション基金でのプレゼンテーションにて。モ デルを前にプレゼンするマッコローとヘルナンデス。当時、プロエンザ スクーラー を立ち上げて間もない二人は、若き風雲児としてファッション界を席巻していた。

20年以上をかけて、ヘルナンデスとマッコローは、プロエンザ スクーラーというブランドを象徴する、堅固なボキャブラリーを確立した。そして今、二人は、自分たちの跡を継ぐ新たなデザイナー(すでに任命されているが、発表はまだ先だ)が、ブランドをどう発展させてくれるか、興味深く見守っているという。二人は今後も取締役にとどまり、「質問があれば」答える用意があると、マッコローはいう。だがそれ以外の点では、きっぱりと関係を断つという。

「僕たちは感傷とは縁遠いタイプなんです」とヘルナンデスは明言する。「今までだって、自分たちのデザイン・アーカイブに足を運んだこともなかったくらいですからね」と、マッコローが付け加える。「でもファッションとはそもそもそういうものですよね。次は何だろう?という期待で成り立っているのだから」と、ヘルナンデスは結論づける。

パリに着いてからも、二人はホームシックには陥らず、友人に会いたくなることもないという。それは、仕事仲間としてパリに連れてきた者がいるうえに、それ以外の友人も多くがパリを訪れているからだ。

私がロエベの本社を訪れた日、一日の締めくくりに立ち寄ったのはポンピドゥー・センターだった。目的は、ここで開催されている、ヴォルフガング・ティルマンスの大規模な回顧展のプレビューだ。ここヘルナンデスとマッコローは、アーティストで友人のネイト・ロウマンと顔を合わせた。彼はアート・バーゼル経由でパリにやってきた友人の一人だった。また、オフィスを出たところで、まったくの偶然で、マッコローの姉妹の旧友と鉢合わせした。あまりのタイミングの良さに、「パリではいつも誰かに会うね!」と、ヘルナンデスが叫んだ。

さらに二人は、私にもパリに引っ越してくるよう猛プッシュを始めたように思えた。家への帰り道に、チュイルリー公園をそぞろ歩くこともできるし、夏の終わりの夕べには、左岸に向かう橋を渡るときに、セーヌ川に沈む夕日を見ることもできるという。週末には、アートを楽しんでもいいし、ロンドンやアルプス、サントロペにも飛行機で1時間の距離だ。これが2時間になれば、世界のかなりの地域に足を運ぶことができる。

そう言われた私はもう一度反撃を試みた──本当に何も、残してきたもののなかに、恋しいと思うものはないんですか?と。すると二人は、この質問に考え込む様子を見せた。「もしこれを一人でやっていたら、話は違っていたでしょうね。きっと怖じ気づいていたと思います」と、マッコローは打ち明ける。ヘルナンデスも猛烈な勢いでうなずく。「その通り。そこが僕たちのユニークなところですね。どこに行くとしても、二人一緒なら、そこが“ホーム”になるから」

興味深いポイントは、ある意味で、ロエベはLVMH傘下の最古かつ最新のラグジュアリーブランドだというところだ。ロエベは1846年にマドリードで、革製品の職人集団としてその歴史をスタートさせた。エルメスHERMÈS)のほうが創設は少し早いが、それほど大きな違いはない。現代に入ってからも、ロエベはかなりの期間、ハンドバッグや革小物を扱うスペインの有名ブランドという位置付けだった。しかし2013年にジョナサン・アンダーソンがやってくると、ブランドのイメージは一新され、「パンキッシュで国際的なラグジュアリーブランド」という現在の位置付けが確立した。このように、どちらの視点から見るかによって、ロエベは創立から179年とも、12年とも言える存在なのだ。

アンダーソンの後を引き受けるデザイナーが誰であれ、彼のもとで確立された、はつらつとした若いイメージと、威厳にあふれた伝統、すなわちスペインに起源を持つルーツの両方を尊重することは必須条件だった。ルポワヴルCEOによれば、ヘルナンデスとマッコローのコンビにとって有利に働いたのが、スペインらしさに共振できる、というポイントだった。「ここは、ほかのデザイナーには実績がない部分でした」とルポワヴルは振り返る。

遠縁の親戚がスペインにルーツを持つヘルナンデスも、この意見に同調し、ロエベのこうした面が、近ごろは失われかけていたと指摘する。「この(スペインの)文化が持つ、活気や前向きなところが、このブランドのヴァイブにも吹き込まれていますよね。ハイファッションだけれど、楽しさがあります。でも一つ、欠けている要素がありました。それは身体感覚です。セクシーさではありません。それはまた別の要素です。そうではなく、肌感覚というか……うまく言えないですね、“スペインらしさ”としか言いようがないです」

「太陽のような明るさ、ということかな?」と、マッコローが助け舟を出す。「日の光や暑さもそうだけれど、ダンスや食事もある。いつも歓迎してくれる。よくハグもする。ソウルフルですよね」

ロエベでのデビューコレクションについてさらに探りを入れていく中で、ヘルナンデスとマッコローが、実体験に基づいた感覚的な表現を使っていることに気づいた。これは全貌を現しつつあるコレクションについて、具体的な姿をまだ明かしたくないという気持ちから来ているのは、私もわかっている。たとえば、情熱に満ちたカラーパレットの「太陽のような明るさ」を、もう少し隠しておきたいということなのだろう。だがもう一つ、二人が手で触れられるもの、具体的なものを重んじているから、という理由もあると、私は確信している。

二人はヘタフェの工房で今でも使われている、数世紀の歴史を持つ手縫いの技法や、ロエベのラボで開発されたハイテクを駆使したレザーの加工方法についてであれば、喜んでその詳細を語る。二人をこのメゾンに結びつけるもの、さらには新旧のロエベを結びつける要素は、職人の技だ。

ここで「ファッションの救世主は職人芸への回帰だ」と言いたくなる誘惑に駆られる。高級ブランドは高級ブランドらしく、もう少しスローダウンしてはどうだろうか?と。だがこれは、「ハリウッドを正常化するにはもっと良い作品を作ることだ」と言うのと同じような話だ。それだけで済むだろうか? 映画には、それを観にきてくれる観客も必要なはずだ。

有力メゾンを率いるデザイナーが一新されただけで、方向性を見失い、いつまでもスマホの画面をスクロールし続ける、今の停滞感がなくなるかというと、私は今ひとつ確信が持てない。テクノロジーに依拠する現在の資本主義社会は、過剰なまでの選択肢を供給することが、その本質にある。そして、今どきのクリエイティブ・ディレクターが抱える課題は、それをいかに押しとどめるか、という一点にあると、私は考えている。人々は意味のない選択肢を求めていない。今、デザイナーがすべきことは、真の“選択肢”を顧客に提示することだ。それは人の想像力を喚起する製品、生活に不可欠で、それでいて新しさを感じさせるもの、心の奥底から湧いてくる欲望や渇望を喚起するものだ。これは一瞬指先を近づけるものの、すぐにスワイプして次のコート、次のバッグ、次のシューズを見るという、今どきの行動の対極に位置している。

ではこの変化は何を意味しているのだろう?直感で言わせてもらうなら、今、デザイナーは高邁なビジョンを抱きながらも、地に足をしっかりつけることが求められているはずだ。大胆で、他と一線を画するビジョンを、鮮やかに、しかも日常で着られることを最優先に形にするべきだ。そうすれば、アイテムに手で触れるだけで、愛され、長く着続けられるように、丹精込めて作られていることが、消費者にも即座に伝わってくるはずだ。高級品が、価格に見合う価値があると感じられるのは、まさにこうした点においてだろう。

そう考えると、ヘルナンデスとマッコローは、ロエベを率いる重責にふさわしいデザイナーなのかもしれない。最初、ロエベの本部で会ったときには、二人はまだ目をキラキラさせ、新しいアトリエの限界を試す段階にあった。「ここはまるで大きなびっくりハウスのようです。遊び回って、新しいことに挑戦するのがどれだけ楽しいか実感する場所なんです」とヘルナンデスは語っていた。

だがそれから1か月後に会ったときには、遊びの時間は終わりに近づいている様子だった。「今はコレクションの制作の山場で、いろいろと手綱を引いているところなんです」と、ヘルナンデスは明かしてくれた。

「パリのアメリカ人」でもある、この地に足が着いたコンビは、ロエベの次の章を切り開くだけでなく、ファッションの未来を見せてくれるかもしれない。「見せ物」の解毒剤は「リアル」なのだ。「次のコレクションは、見た人がぜひ手に入れたいと思えるものにしたい」とマッコローは狙いを語る。「見た人が、それを着て暮らす姿が想像できるような、そんな服にしたいんです」

Text: Maya Singer Adaptation: Tomoko Nagasawa, Saori Yoshida

From: VOGUE.COM

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