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株式会社 和光 代表取締役社長 庭崎紀代子

本当に価値のあるものとは? 新しいビジネスモデルへの挑戦を語る 
株式会社 和光 代表取締役社長 庭崎紀代子

  • 2026.3.11

日本文化発信機構 JCCOが目指すもの

和光庭崎社長
和光庭崎社長

銀座4丁目交差点という中心に位置し、銀座の象徴とも言える時計塔を有するのが「和光」である。庭崎紀代子氏が代表取締役社長に就いて丸2年が経つ。その間、氏の主導のもと数々の改革が実現されてきた。Premium Japan編集長で日本文化発信機構(JCCO)専務理事の島村美緒が、「和光のこれから」について、庭崎社長に聞いた。

島村 まず初めに、日本文化発信機構(JCCO)の理事になって下さって、ありがとうございました。決めて下さった理由はどこにあったのでしょうか。

 

庭崎 JCCOは「日本文化を世界に」という理念を掲げています。そこが一番の共感の源です。和光が目指していることはそこに近いところもあるので、ぜひお手伝いできることがあればと思った次第です。そして理事には、面白そうな方々が参加しておられる。そういった皆さんとの交流も楽しみでした。

島村 理事の方々とは仲良くなりましたか。

 

庭崎 岩手県雫石町にあります「グランドセイコースタジオ 雫石」まで、理事の方々と一緒に出張に出かけ、とても楽しい時間を過ごしました。

マツダの前田育男さんも、パナソニックの臼井重雄さんもデザイナーです。そこにグランドセイコーのデザインの担当役員と和光のデザイナーも合流したので、皆さんのデザイン談義を聞いているだけでも非常に刺激になりました。

「和光」とは日本の光を後世に届けること

 

 

島村 では、御社について伺います。和光は長い歴史の中で、日本の美意識やモノ造りを支え、そして発信をされてきたわけですが、庭崎社長は、和光が創業以来、一貫して大切にしてきた価値や精神性をどのように捉えられていますか。

 

庭崎 それにお答えするには、1881(明治14)年に服部時計店を創業した服部金太郎まで歴史を遡らなければなりません。

竣工当時の服部時計店。
竣工当時の服部時計店。

庭崎 金太郎は銀座4丁目の角地を新聞社から買い取り、1894(明治27)年、巨大な時計塔を備えた時計店を完成させます。その翌年、その場所に服部時計店は新店舗を構えて本店としました。

その後、建て替えが計画されていましたが、1923(大正12)年、関東大震災により建設を中断。銀座の仮店舗や工場など多くを失ってしまいます。本人はもちろん、人々もうちひしがれますが、東京の街を勇気づけるように、新たに二代目時計塔の建設を行います。竣工したのは1932(昭和7)年のことです。この建物は、当時の姿のまま現在に至っています。

この時計塔のエピソードにしても、金太郎が晩年に私財を投じた財団(服部報公会)にしても、社会のため、世の中のためと言いますか、欧州にあるノーブレス・オブリージュのような精神を感じさせますね。

2代目の服部玄三は、1947(昭和22)年、服部時計店の小売部門を継承して「和光」を設立します。

島村 社名には由来があるのですか。

 

庭崎 昔この建物で「和光会」という工芸品や美術品の展示会をしていたそうです。その名前に共感した2代目の玄三が、会の皆さんからご了承をいただき、社名を和光にしたというエピソードがあります。

「和光」とは「和の光」ですが、日本の光を後世に届けるという考えに非常に共感したわけです。

ブランドの個性の中軸にある「日本らしさ」

 

 

庭崎 和光は職人のクラフトマンシップや 最先端のテクノロジーの粋を尽くした品々を紹介してきました。日本の中心である銀座4丁目に店舗があることの意味を考えると、やはり服部家は代々、日本の素晴らしさを世の中に提供する使命のようなものを感じていたのではないかと想像します。そして、そのDNAは今も受け継がれています。

銀座に店舗を構えておりますと、多くの海外のお客様をお迎えすることとなり、日本の文化、おもてなし、モノ造りに対して深い敬意を寄せてくださっていると感じます。逆に日本人の方が気が付いていないのではないかと思うほどです。すると、「日本文化を世界に」という姿勢は、我々としても真剣に取り組んでいかなければならない課題であることに思い至るのです。

島村 庭崎さんは、以前はセイコーの本社にいらして、グランドセイコーの世界戦略を担い、セイコーグループ全体のコーポレートブランディングも手がけてきたわけですが、和光に異動されてマインドに変化はありますか。

 

庭崎 基本的にあまり変わっていないように思います。

セイコーでもブランディングの仕事をいろいろと経験させていただきましたが、ブランディングに携わる中で感じたのは、ブランドというのは差別化と個性なんですね。セイコーやグランドセイコーだろうと、和光だろうと、我々のブランドの個性の中軸には「日本らしさ」があり、それは常に持つべきものだと思うのです。個性を大切にするということは、いちばん変わらない部分ですね。

 

 

島村 変わったのは、卸売りから小売になったことや、扱うものの多様さでしょうか。

 

庭崎 そうですね。価格帯によってすごく考え方が違うと思うのは、ラグジュアリーになればなるほど、文化的な要素が大事になってくることです。特に和光はその部分をとても大切にしてきましたし、これからも大切にするべきだと思っています。

包装の心と新札のお釣り

 

 

島村 いろいろな意味で価値観がすごいスピードで変わっている中で、逆に和光が不変であることは多いようですね。

 

庭崎 お客様や相手の目線で考えることは日本的な考え方の特徴の一つでもありますが、そうした気質は和光の中に根付いているところがあります。例えば包装一つ取ってみても、包装の途中でテープを使いません。

和光の包装は、まず、そのロゴが来る位置を考えます。そして、最後の1個所をシールで留めておくと、そのシールをはずすだけで、ハラハラハラと花びらが開くように包装紙が一挙にはずれる。すごく気持ちのいいことなんですね。

これは一例に過ぎませんが、お客様が本当に心地よく思ってくださることを、昔から考えてきたわけです。

あまり知られていませんが、お釣りを新券でお出しすることもそうです。今はデジタルの時代でお釣りをもらうお客様も少なくなっていますが、綺麗なお札をお渡しすることをずっと変わらずに続けています。相手のことを考える日本らしい風習とつながっているのではないでしょうか。

 

島村 そういうトレーニングは皆さんやってらっしゃるんですか。

庭崎 マニュアルがあるわけでもなく、口伝でしょうか。包装などは入社した時に教わるそうです。水引きも自分で結びます。

 

島村 日本の昔からのおもてなしの文化をずっと継続しているわけですね。

 

庭崎 そこはまるで変わらない良いところです。じゃあ変えようとか、効率化を求めるという話にはならないですね。もちろん他の部分で、効率化を検討しているところはあります。

 

「常に時代の一歩先を行く」のは創業精神

 

 

庭崎 逆に変わったことがあります。

そもそも服部時計店は、服部金太郎がヨーロッパに時計の製造機械を買いに行った時に見つけた、西洋の素晴らしいお品物を日本に紹介する店舗でもありました。

日本の光を後世に届けるような商品もありましたが、蓄音機や西洋の食器など、こんなものが海外にはあったと紹介する役割も担っていました。当時は多分、日本人も西洋への憧れが強い時代でもあったのでしょう。

私どもは、金太郎が残した「常に時代の一歩先を行く」という言葉に象徴される創業精神を、大切なDNAとして引き継いでいます。時代に応じて変化が必要な部分には手を加えていくわけです。

そこで現在、私たちが考えているのは、まさに「日本の良さを世界に」紹介することです。その比率が強くなってきており、そこがちょっと変わってきた部分かもしれません。

その変化を象徴するのが、2024年から始めた地階の「アーツアンドカルチャー」です。そこは文化と人々の交流の場です。展示するのは必ずしも日本の作家さんやクリエイターさんのものだけではなく、日本の文化や日本のモノ造りをリスペクトしている海外のクリエイターの出展もあります。

軽やかな空間の中で、選び抜かれたファッション、ライフスタイルアイテム、工芸やアートを揃えています。それらはまさに、「Amazing WAKO」というキャッチフレーズを体現し、「驚き」を提供するフロアだと思っています。

 

空間デザイン
空間デザインを手掛けたのは、杉本博司氏と榊田倫之氏が主宰する「新素材研究所」。フロアの中心には時計の長針と短針を模した回転什器を配置し、フロアを回遊できるように木格子に囲われた回廊になっている。
ファッション、ジュエリー、アートなど、デザイナーや職人が生み出す和光セレクトの商品が並ぶ。

島村 「アーツアンドカルチャー」を始めてから、お客様に層の変化はありますか。

 

庭崎 とても変わりました。非常にクリエイティブな雰囲気を持った方とか、今まで和光にお入りになったことがないという方が随分増えてきましたし、リピートしてくださる方も増えてきました。海外のお客様も一段と増えてきたことが新しい変化だと思います。展示内容を3週に一度ぐらいの頻度で変えていることも大きいのかもしれません。

和光に来ればラグジュアリーな体験ができる

 

 

島村 では次に難しい質問ですが、ラグジュアリーの本質とは何でしょうか。

 

庭崎 ラグジュアリーは「時代を越えてもあまり色褪せないもの」ではないでしょうか。何年か何十年か、もしかしたら何百年かしても、素敵だなと思えるものです。

 

ただ値段が高いだけではなくて、自分の心を豊かにしてくれたり、ワクワクさせてくれたりするものもラグジュアリーなのでしょう。私のマーケティングの先生には、「ラグジュアリーってバカバカしいものなんだよね」と言われたことがあります。ちょっと驚きがあったり、突き詰めることをバカバカしいほどやってしまうようなものもラグジュアリーなのでしょう。ですからラグジュアリーは、とても使用範囲が広い言葉ですね。

海外の方が日本にいらしたら、銀座の和光に行けばいいという流れを作りたいですね。ここに来れば日本のラグジュアリーな体験ができたり、おもてなしを受けられたり、素晴らしい品物をご覧いただける、というのが理想です。

島村 庭崎さんの発案で、2022年に「和光」の建物の名称を「SEIKO HOUSE」と変えたのも、そうした狙いのうちにありますか。

 

庭崎 やはりここは服部家の邸宅であるというイメージがすごくありました。せっかく銀座の真ん中にあるので、セイコーの文化発信のためのランドマークというか、ヨーロッパのブランドにあるメゾンのような存在にしたいという想いはありました。

銀座四丁目の交差点、銀座のランドマークとして知られるSEIKO HOUSE/和光。

文化継承のお手伝い

 

 

島村 今後はこの中で何かのおもてなしをすることはありますか。

 

庭崎 和光は各フロアに、作家さんやクリエイターさん、デザイナーさんが在廊されていることが多く、お客様は作り手の思いや、お品に込めたストーリーを聞きながら買い物をすることができます。これも和光のおもてなしにつながると考えます。和光が作り手の方と、お客様をつなぐ場になれたら素晴らしいことですね。

島村 すでに様々なことを継承してきている和光ですが、これからの時代に継承していきたい日本の伝統文化はありますか。

 

庭崎 日本文化に関しては、中心的なテーマを扱っていきたいです。

日本の匠の技、クラフトマンシップ、日本ならではの作り手の思い、そして日本の細やかなおもてなしでしょうか。そして日本の風習・習慣などもお伝えできたらと思います。日本文化と連動した品物を展開していきたいです。それを手にした方が「なぜ節分では豆をまくのだろう」と思ったり、端午の節句では「どうして兜なのだろう」と考えたりしながら、文化を未来に向けて継承していただけたらいいですね。

力を入れたいのはハンドバッグとジュエリー

 

 

島村 今後、商品の構成が変わることはありますか。

 

庭崎 和光オリジナルの商品と海外のブランドの商品も取り扱いますが、和光ブランドの比率を上げていきたいです。とりわけ力を入れていきたいのは、やはりハンドバッグとジュエリーです。

島村 昨年のアショカダイヤモンドの展示会は良かったです。ニューヨークの名門宝石商「ウィリアム・ゴールドバーグ」が生み出したダイヤモンドですね。

 

庭崎 イベントには、和光とアショカダイヤモンドのご縁を繋いでくださった、杉原千畝氏のお孫さんがトークショーもしてくださいました。

ニューヨークと東京をテーマにしていたので、ジャズライブがあったり、ニューヨークにある禁酒法時代のバーを再現したりしました。
食品部がニューヨークにちなんでニューヨークチーズケーキやニューヨークロール、アショカダイヤモンドのチョコレートなどを作って、お客様が楽しめるコンテンツをたくさん盛り込みました。常に混みあっており、たくさんの方にお楽しみいただき、素晴らしい催事になりました。

 

ここでしか買えない商材を増やすことが課題

 

 

島村 ご自身が社長を務められている間に成し遂げたい大きな目標はありますか。

 

庭崎 国内外の方に、さまざまな体験していただく催事を増やしていきたいです。そのコンテンツを作ることにワクワクしますし、やっていてとても楽しいです。

島村 それは素晴らしいことですね。今まで出会いもしなかった業界の方とのお付き合いも増えたんじゃないですか。

 

庭崎 ものすごく増えましたね。例えば日本酒はいろいろな蔵元の方とお知り合いになりました。先日は北海道の東川町に行きまして、ウイスキーの醸造家や木工の家具職人の方にお目にかかりました。

最近ちょっと面白かったことは、仙台の近くの白石蔵王に伊達冠石(だてかんむりいし)という石を採掘して世界に輸出しているOKURAYAMA STUDIOという会社があります。

すごく鉄分を含んでいる石なので、磨くと黒く光ってちょっと赤みが出てきます。アートピースとして、バーカウンターの天板や高級ホテルのシンクにしたり、アートオブジェとしても使われたりしています。そもそもはイサム・ノグチさんが注目し、そこの石を使ったところからスタートしているようです。

和光に来なければ、一生知ることもなかったでしょうね。

 

島村 分野が広範ですね。

庭崎 和光を通じて、クリエイターさん同士に関係が出来、「なんか、和光さんと組んでいると、そういう楽しさもあるよね」と言ってくださる方がすごく増えてきました。ですから、クリエイターの方からのオファーもとても多くなりました。

現場はきっと大変でしょうけれども、私としてはさまざまな方にお目にかかれるのでとても楽しいです。使わなかった脳みそが動くという感覚ですね。違う世界が広がっていく感じがします。

島村 食の分野はいかがですか。

 

庭崎 食品部は、ある意味マニファクチュール的な部分があります。企画から販売まで自分たちの手の中でできるのはとても面白いと思います。

和光メイドの本当に美味しいスイーツや、チョコレート一つ取ってもさまざまなストーリーがありますし、そういう情報を徐々に表に出していきたいです。まだまだ可能性が眠っている分野だと思います。

昨秋、ドン・ペリニヨンの醸造責任者が日本の酒蔵で造った日本酒「IWA5」と、和光の「ショコラ・フレ」のマリアージュを仕立てました。普段ならあり得ないような組み合わせは、私どもが得意とするところなのですね。

ここでしか買えない商材をいかに増やしていけるかが、私たちの大きな課題だと思っています。

島村 企画する人がいて、プロの作り手がそれを形にし、最後に販売してくれる人もいるのは、理想的な環境ですね。

1952年に誕生したウインドウディスプレイは、当時より銀座を訪れた人々の目を奪っている。2025年12月26日〜2026年1月28日のディスプレイ『角』。

新しいビジネスモデルを作りたい

 

 

庭崎 私が何をやりたいかと言うと、新しいビジネスモデルを作りたいのです。

私どもは、自分の手の内で多くをコントロールできますし、部分的にはモノ造りが可能な会社なので、自分たちの力でブランドを作っていくことができるのです。それがこの仕事の一番の面白さだということに思い至っています。

パティシエやショコラティエ、そしてハンドバッグのクリエイターもそうですが、皆さんとても真摯にモノ造りをされています。そこを和光ブランドとして、しっかり世の中に出していくことは大変やり甲斐のある仕事です。

島村 ポテンシャルがありますから、楽しみです。では最後に、JCCOが企画している「プレミアムジャパン・アワード」について伺いたいのですが、このアワードのどの辺に興味があったのでしょうか。

庭崎 私どもがやっていることは小売として、この銀座というとても限られた場所からの発信になります。しかし、メディアとして、日本文化の良いものを世界に発信するということは、もっと幅の広いものだと思います。言いたいことは同じでも、やっている手法が違う。日本から世界へとどんどん広がっていくのはとても楽しみですし、共感できるところですね。

島村 ありがとうございます。アワードは今年が初めてなので、毎年続けていくことがすごく大事で、続けていくことによって知名度も上がります。受賞者の層も重なっていって、10年くらいかかるかなと思っています。それをやっていくことによって、プレミアムジャパンも一つのブランドにしていきたいと思っています。

 

庭崎紀代子 Kiyoko Niwasaki

1986年、日本女子大学文学部卒業後、服部セイコー(現セイコーグループ)入社。宝飾部門に配属。2001年セイコーウオッチへ異動し、商品開発、広報PRなど幅広いジャンルを手掛ける。2018年取締役・常務執行役員に就任し、Grand Seikoのグローバルマーケティングなどを担当。2020年以降セイコーホールディングス(現セイコーグループ)常務取締役、常務執行役員、和光取締役・常務執行役員などのキャリアで、広報、コーポレートブランディング、SDGsなどを担当した後、2023年11月に和光代表取締役社長に就任。

Text By Toshizumi Ishibashi

Photos by Toshiyuki Furuya

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