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7月の京都は祇園祭。室町時代の先祖も、祇園祭を楽しんでいたようです

  • 2025.8.4

衣紋道山科流30代若宗家、山科言親が繙く宮中年中行事と公家文化

山科家古文書
7月24日に行われる祇園祭の還幸祭では、三基の神輿が八坂神社の南楼門から入り神社へ戻られます。提灯の明かりで照らされた境内に輿丁の勇壮な掛け声が響き渡り、賑々しくも厳かな空気が流れます。画像は昨年の還幸祭の様子。©Yamashina

山科家は平安時代末期より、公家の家職として宮中装束の誂えと着装法を担う「衣紋道(えもんどう)山科流」を、京都の地で受け継いできました。初代より30代を数える若宗家、山科言親(ときちか)さんが、宮中や公家社会で行われてきた折節の行事や、連綿と伝えられたてきた文化などを、山科家に残る装束や古文書などともに、繙いていきます。

夏場には、天皇が臣下や女官に扇を下賜する風習が宮中にはありました

夏になると暑中見舞いとして贈り物などが行われ、暑気払いの気持ちや日々のお礼の意を込めてご機嫌伺いをするという慣習が見られます。江戸時代の朝廷へは土用の日に徳川将軍家から氷砂糖が贈られていました。

宮中では四季折々の品々が贈答されていましたが、天皇から下賜される物には装束もありました。頂戴した装束類は仕立て替えや染替えを行って使用し、さらに端切れや傷んでしまい状態が悪くなったものは袋物の生地や仏間の打敷、表具の裂として使うなど、最後まで大事に再利用されていました。

それ以外に、器や人形、扇、紙入れなどの小さなものまで、様々な品々が折に触れて臣下や女官に下されました。基本的にこれらは大切にしまい込まず、多くは日々使用する実用的なものでした。とりわけ夏場には扇を拝領する文化がありました。

山科家古文書
室町時代後期の11代当主言国(ときくに)が夏祓という題で詠んだ短冊です。「水のおもはあさの青葉の色ながらみそぎすずしきかもの川浪」と書かれています。4年前に古裂から選んで、井上光雅堂さんに表具を依頼しました。禊を行う鴨川を想起し、爽やかな水の流れが織りで表された裂を掛軸の天と地の部分に使用しています。宮廷ゆかりの表具の好みは本紙に合わせて雅やかな裂が取り合わされることが多いです。旧暦6月30日は大祓で、宮中でも茅の輪くぐりを行い、半年の罪穢れを祓い清めました。©Yamashina

御用の扇屋では、伝統を引き継いだ扇づくりがなされています。

宮中の扇には材質や描かれる扇絵の様式の違い、扇の骨の彫りや紙の折り方などに細やかなしきたりがありました。扇はただ涼をとるための役割だけではなく、威儀の物として様々な装いや儀式によって使い分けがなされていました。

このような決まり事に則った有職の扇は、現在では製作されなくなった種類も多いですが、寺社や能楽の家などでは現役で使われていることから、御用の扇屋ではその伝統を引き継いだものづくりがなされています。

山科家古文書
山科家古文書
山科家古文書
文月扇と呼ばれる江戸時代後期の扇で、七月に宮中で女官に下賜されたという扇です。薄地という紙を使い、表には金雲と源氏絵を濃彩で描き、裏面は白地に金銀泥で秋草を描くのが決まりでした。夏扇の特徴として裏面は片面貼りで、裏紙を取って単にすることで骨が見え、見た目の涼やかさを感じさせます。©Yamashina

上賀茂の社家である梅辻家には、下賜された扇面を貼り交ぜた屏風が伝来しています

宮中由来の扇の雰囲気を伝える事例として、上賀茂の社家である梅辻家には、下賜された文月扇の源氏が描かれた扇面を貼り交ぜた屏風が伝来しています。扇としての用途を終えてからも美しい扇絵を大切に活かしていく工夫を見ることができます。

賀茂の社家からは宮中の女官や公家の女房になる者が多く輩出され、御所との深い結びつきがありました。梅辻家住宅は貴重な現存する社家住宅の代表例として、文化財公開の折には拝見できる機会があります。

山科家古文書
安政五年(1858年)に宮中でおこなわれた懺法講(せんぽうこう)という仏事で使用された散華です。かつての宮中は神仏習合で、神事だけではなく仏教儀礼も様々に行われており、御黒戸と呼ばれる仏間では歴代天皇の位牌などが祀られていました。歴代天皇や公家の中には出家したり、寺院を建立するなどして仏道に深く帰依する者も多く、特に門跡寺院には宮中と仏教の関係性が色濃く伝承されています。

室町時代の先祖も、祇園祭を楽しみにしていたようです

さて、猛暑日が続く7月になると京都は祇園祭の話題が本格的な夏を感じさせます。祇園祭は往古より下京の祭りとして衆目を集めており、室町時代の私の先祖も見物に行ったことを下記のように記録していました。

『言国卿記』文亀元年(1501)6月14日条

「(前略)細川右京大夫サシキ入ノ後、山共ワタル、九也、ケイコノ衆、山共見事也、ウシノゝリノ後山ワタル、其後スコク在之テ、八過時分御幸在之、殊勝々々、此方サシキニテハ酒両度在之、ホシイゝ・マキ・食籠物共ニテ也、帰路之時分夕立也、事外皆ゝヌレ畢(以下略)」

当時の祇園祭は旧暦の6月7日に前祭、14日に後祭が行われており、後祭の方が祇園御霊会、還幸祭として賑やかな行列として知られていました。この記事が書かれた時は応仁の乱が収束した後、管領の細川政基が京中の実権を担っていました。その政基が桟敷に入り、その後に九基の見事な山が巡行したようです。

牛頭天王
かつて祇園社で祀られていた牛頭天王ですが、その名の通り牛を頭に頂き、憤怒相で力強い姿です。右手に斧、左手に羂索を持ち、身体には朱色が残ります。疫病を退散させる神として根強く信仰されていました。明治維新後の廃仏毀釈で仏教的な要素が強いと捉えられたことにより、その多くが失われてしまいましたので、彫像で遺るのは大変貴重です。今でも山鉾町の会所には牛頭天皇の神号が書かれた軸が掛けられているところがあります。©祇園信仰研究会

先祖が用意した桟敷では酒や食事を楽しみながら観覧し、帰路では夕立に遭って濡れてしまったと記録しています。数日前より大工などと桟敷の設営について相談して準備し、朝廷の関係者や鞍馬寺の僧なども誘い合わせて観覧しており、かなり力が入っていたようです。この時代は見物人の間のもめ事や喧嘩のような事件も絶えなかったようで、当日の雰囲気が生き生きと伝わってきます。

古文書
東山遊楽図屏風(部分・江戸時代初期)当時の祇園社を中心に建仁寺や清水寺など東山の名所の様子が描かれています。正式な入口である南鳥居を潜ると二軒茶屋(現在の中村楼)があり、当時の参詣者の華やかな小袖姿や本殿に上がって祈る人々なども細やかに描写されています。現在の八坂神社には存在しない鐘釣堂、薬師堂、仏塔など仏教的な施設があったことが分かります。©祇園信仰研究会

近年、江戸時代以前の信仰の形を研究して立ち返ろうという動きが出てきています

近年、明治時代以降の神仏分離や廃仏毀釈の行き過ぎた影響を見直し、江戸時代以前の信仰の形を研究して立ち返ろうという動きが出てきています。例えば北野天満宮では北野御霊会、八坂神社では法華八講の流れを汲む八坂礼拝講などの神仏習合の儀式が行われています。

古文書
今年祇園祭の神輿渡御において、神與を先導する甲冑姿の武者行列が51年ぶりに復活しました。犬神人とも称された弓矢町の人々は神輿が通る道を祓い清める力があるとされ、代々祭りに奉仕しました。大将が着る鎧は有職鎧司の明珍阿古氏が修復されました。画像は往時の武者行列を描いた、 長谷川玉峰(1822―1879)筆の「弦召(つるめそ)図」@Yamashina

ここ数年はかつての神仏習合時代の祇園信仰がどのような形で受け継がれてきたのか、どのような神々が祀られているのかという、祇園祭の本質に迫ろうという機運が高まってきています。かつては華やかな山鉾巡行のみが注目を浴びることが多かったですが、最近は神輿を洛中の御旅所にお迎えして、お戻りなるまでの一連の神事やそれを支える氏子組織の方々についても紹介されることが増えました。

近年は祇園社の旧神官家である母方のご縁により、祇園信仰の在り方について勉強する機会を頂き、先祖と祭りの関係について日々新たに知ることが多く、私自身祇園祭との向き合い方が大きく変わりました。

山科家古文書
祇園臨時祭 宣命案 室町時代後期以降途絶えていた祇園臨時祭は慶応元年(1865)に復興されました。幕末に異国船が現れ、国が動乱となった事を憂いた孝明天皇が攘夷祈願を行い、勅使として私の5代前の言縄(ときなお)が祇園社へ参向しました。その時に読まれた宣命の控えですが、当時の世相を伝えてくれます。かつて臨時祭は祇園会が旧暦6月14日に終了した翌日に行われおり、現在は新暦6月15日に催行される例大祭に引き継がれています。©Yamashina
山科氏
山科氏

山科言親(やましなときちか)/衣紋道山科流若宗家。1995年京都市生まれ、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。代々宮中の衣装である“装束”の調進・着装を伝承している山科家(旧公家)の 30 代後嗣。 三勅祭「春日祭」「賀茂祭」「石清水祭」や『令和の御大礼』にて衣紋を務める。各種メディアへの出演や、企業や行政・文化団体への講演、展覧会企画や歴史番組の風俗考証等も行う。山科有職研究所代表理事、同志社大学宮廷文化研究センター研究員などを務め、御所文化の伝承普及活動に広く携わる。

Edit by Masao Sakurai(Office Clover)

Photos by Azusa Todoroki(bowpluskyoto)

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