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【黒柳徹子】生成AIの時代だからこそ、いま感じる「久米宏」の魅力とは

  • 2026.3.15
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第46回】フリーアナウンサー 久米宏さん

最近、動物が間一髪で人間の危機を救うみたいな短い動画をいくつか見せてもらって、「わー可愛い!」なんて感動したんだけど、「よくこんな瞬間を次々に撮影できるものね」と言ったら、「人工知能に作らせたもので、“生成AI”っていうんです」って。本物にしか見えなかったので、それを聞いて「騙された!」みたいな、ちょっと残念な気分になりました。これから、本物と生成AIが作ったものの見分けがつかない世の中が来るとしたら、悲しいし怖いなぁって思います。なんといっても私の経歴の一つは、「NHKのテレビ女優第1号」。紫色が白黒テレビでどんなふうに映るかの実験として、顔の半分だけを濃い紫に塗られた経験もある私は、カラーテレビの普及に小躍りするほど喜んだものです。それからは、テレビタレントとして、いかに「生」の迫力を伝えるか。たとえ収録番組であっても、生に近い臨場感をお届けすることに、私なりにこだわってきたつもりです。

私が司会を担当した番組の中でも、“生放送”の魅力が存分に詰まっていたのが、「ザ・ベストテン」です。ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、従来のキャスティング方式ではなく、ランキング形式で出演者を決定し、ベストテンにランクインした歌手の皆さんを全国津々浦々まで追いかけてでも生中継するという歌番組。視聴率は、1978年1月に番組が始まってすぐに20%を超えて、平均でも30%ぐらい。最高視聴率は41.9%!! 当時はまだ家庭用のビデオレコーダーも普及していなかった時代で、「この番組を観ないと次の日の話題についていけない!」とまで言われていたほど。この番組の司会を85年までの7年間、私と一緒に務めてくださったのが、先日お亡くなりになった久米宏さんです。

久米さんと私は、今振り返ってもとってもいいコンビでした。2人ともものすごく早口だし、言いたいことをズバズバ言うの。私のヘアスタイルを「玉ねぎ頭」と呼んだのも久米さんですし、ときには「化け猫」なんて言われることもありました(笑)。でも、そのズバズバが面白い形で対立したり、うまく調和したりするのです。生だから、なんの打ち合わせもしていないのに。

たとえば、松田聖子さんが「青い珊瑚礁」で初めてのランキング1位を獲得したとき、感極まって泣きながら歌った後に、久米さんが、「涙が見えなかったから、泣いてないですね」って言ったことがあったんです。私はそれを聞いて即座に、「本当に泣いてましたよ!」と反論しました。そんなことを生放送で言っちゃうのが久米さんらしいといえばらしいんだけど、観てる人は「どっちだったの?」って思うでしょ? だからその発言は、テレビの世界で生きる久米さんの、「テレビをもっと面白くしたい」というサービス精神からきたものだったんです。

もちろん、私たちの意見が一致したことも数えきれないぐらいあります。特に印象深いのは、鈴木雅之さんがお若い頃に所属していたシャネルズというグループが、デビュー曲の「ランナウェイ」で番組に初登場したときのこと。地方からの中継だったので、テレビ局の社屋前に大勢の子どもたちが集まっていました。その中の一人の少年にアナウンサーがマイクを向けると、その子は、「シャネルズはどうして黒人のくせに香水の名前なんかつけるんですか?」と言ったんです。リーダーの鈴木雅之さんは、その質問にきちんと答えていらっしゃったようですが、私の頭の中は「どうしてあの子には、それがひどい差別の言葉だとわからないのだろう?」とひどく混乱していました。それで、シャネルズが歌い終わって、次の『今週のスポットライト』のコーナーも終わって、コマーシャルが明けてから、私は誰にも相談せずに、早口で話し始めたんです。

「先ほど“黒人のくせにどうして?”と質問した坊やがいらっしゃいましたけど、顔の色とか国籍が違うということで区別した言い方をされると、私は涙が出るほど悲しく思います。一段高いところから人を見下すようなふうに……偶然だったと思うんですよ、あの方は。でもどうぞ『何々のくせに』と言わないでください。お願いします」

すると、隣の久米さんが、「黒柳さんが涙を浮かべて怒るのは、当たり前の話です。黒柳さんが泣いていますから、もうやめてくださいね」と言ってくださって。後ろの出演者席からも、拍手が聞こえてきました。

85年に久米さんが「ザ・ベストテン」を降板したのは、「ニュースステーション」のキャスターを引き受けることに決めたからです。キャスターになった久米さんの行動で、私が「久米さんらしいな」と思ったのが、日航機墜落事故を伝えるとき、亡くなった520人分の靴を、スタジオに並べたことでした。あれほど臨場感の伝わってくる報道を、後にも先にも私は知りません。

久米宏さん

フリーアナウンサー

久米宏さん

1944年生まれ。疎開先の埼玉県で育つ。67年、TBS入社。あがり症で胃腸も弱く、激務も祟って栄養失調からの結核を発症。結核が治ると永六輔のラジオ番組でリポーターとして復帰する。そこにゲスト出演していた徹子が久米の面白さを見初め、「ザ・ベストテン」の司会に推薦した。番組は78年から89年まで続いた。久米は85年に降板。その年から2004年まで「ニュースステーション」のキャスターを務める。著書に『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』など。1月1日、肺がんにより死去(享年81)。

─ 今月の審美言 ─

泣きながら歌った歌手に「涙が見えなかった」なんて言っちゃう。「生」の臨場感を大事にしながら、いろんなことを面白がる方でした。

取材・文/菊地陽子 写真提供/時事通信フォト

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