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【北九州市立文学館】特別企画展「ペンと戦争ー火野葦平、林芙美子の場合」

  • 2025.8.1

リビングふくおか・北九州Web地域特派員、火野葦平愛好家岩井です。

2025年は、戦後80年という節目にあたり、文学という側面から戦争を見つめ直すため、北九州市立文学館では7月19日(土)から9月28日(日)まで、第36回特別企画展「ペンと戦争ー火野葦平、林芙美子の場合」が開催されています。

「放浪記」で人気作家となった林芙美子、「糞尿譚」で芥川賞を受賞し、一躍脚光を浴びた火野葦平。北九州出身の二人の作家はどのように戦争とかかわり、どんな言葉を残したのか。

絶えることのない紛争、新たな戦争の危機、それに抗うことができる力が、言葉にはあるはずです。戦中戦後において、二人が命懸けであらわした著作や手記は、その言葉の力について、もう一度考えさせてくれます。

出典:リビングふくおか・北九州Web

年代順に沿った展示内容以外に、児童文学や文学報国など豊富な資料が展示されています。

林芙美子

出典:リビングふくおか・北九州Web

林芙美子は門司に生まれ、幼少期は若松から佐世保、下関、直方など九州を転々としつつ貧困のうちに育ちました。1916(大正5)年、13歳の時に尾道に移り、高等女学校に進学。18歳の頃から新聞に詩や短歌を投稿し文学への道を進み始めます。東京でプロレタリア作家の平林たい子やアナーキスト達と親交を深める中、書き付けていた日記を元に発表した自伝的小説、「放浪記」で流行作家になりました。1937(昭和12)年、毎日新聞特派員として南京陥落の「女流の一番乗り」として報道され、続いて翌年結成されたペン部隊の一員として漢口へも報道記者一番乗りを果たします。「戦線」や「北岸部隊」といった作品は、林芙美子ならではの女性の目線で、戦場を内地の国民に伝えました。

火野葦平

出典:リビングふくおか・北九州Web

火野葦平は若松に生まれ、早稲田大学に進学、文学を志す傍ら、1928(昭和3)年に福岡歩兵第24連隊に幹部候補生として入隊。除隊後は復学する予定でしたが、父金五郎は退学届を提出しており、文学の道を諦め、家業である石炭荷役請負業を継ぐことを決意しました。その後、文学を再開しますが、1937(昭和12)年に勃発した日中戦争に応召。翌年、文学会議に発表していた「糞尿譚」で芥川賞受賞をうけて、報道部に転属。1938(昭和13)年の「麦と兵隊」を皮切りに、その後も「広東進軍抄」「海南島記」など多くの従軍記を矢継ぎ早に発表、ペンを以て銃後と戦場とを繋ぎました。

日中戦争までの火野葦平・林芙美子

1931(昭和6)年、芙美子はベストセラーとなった「放浪記」の印税でパリへの旅行に出ます。満州事変勃発後の不安定な大陸を、シベリア経由でパリに渡る危険な旅でした。

一方葦平は1932(昭和7)年、中国で起こったストライキで、苦力の代わりに荷役を行うため、葦平は玉井組とともに上海に渡り、この時の経験は戦後「魔の河」に著されています。

芙美子は帰国時に、共産党への献金を約した容疑で勾留され、左翼活動を行っていた葦平は特高に逮捕されていた、という小さな共通点もあります。

出典:リビングふくおか・北九州Web

入場して右手の壁に沿って、年代順に資料が展示されています。ガラスケースの中にある番号表示の順番に見ていくと年代順に進めますが、気になったところがあれば、どこから鑑賞していただいても結構です。

日中戦争 1937ー

出典:リビングふくおか・北九州Web

1937(昭和12)年7月7日、盧溝橋事件の勃発から、日本と中国は事実上の全面戦争が開始。葦平は陸軍伍長として応召、南京陥落の翌日12月14日に南京入城。一方、芙美子は12月31日に南京入城と、葦平と入れ替わるように南京に滞在しました。

葦平は1938(昭和13)年2月に「糞尿譚」で芥川賞受賞、翌月駐在先の杭州において異例の陣中授与式が行われ、報道部に転属。直後の徐州会戦をもとに雑誌「改造」に発表した「麦と兵隊」は、その年9月に単行本として発売されベストセラーになりました。

一方、芙美子は内閣情報部が結成したペン部隊で、漢口一番乗りを果たします。「戦線」「北岸部隊」などの従軍記を出版、文芸銃後運動大講演会に参加し全国を回るなど精力的に活動しました。

1939(昭和14)年に現地除隊した後、11月に帰国した葦平を迎えて「改造」が「火野葦平帰還座談会」を組み、林芙美子もこれに参加しました。葦平は1938年に上海で林芙美子らペン部隊を迎え、その際の写真が本特別企画展の象徴的画像として使用されております。上海の料亭・桃太楼で葦平・芙美子が同席する写真も残されており、プライベートな付き合いこそなかったようですが、二人の流行作家の内地及び戦地での交流がわかります。

アジア・太平洋戦争 1941ー

出典:リビングふくおか・北九州Web

1939年9月、ドイツのポーランド侵攻をきっかけに第二次世界大戦が始まり、日本は援蒋ルート遮断と南方資源を求めて北部フランス領インドシナに進駐をはじめます。アメリカとの戦争回避のための日米交渉は決裂し、1941(昭和16)年12月、日本の真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発。葦平は1942(昭和17)年白紙徴用でフィリピンに、そして1944(昭和19)年のインパール作戦にも従軍します。芙美子も1942(昭和17)年に臨時徴用をうけ、シンガポール、マレーを経由しインドネシアに向かいました。

葦平が戦地で記し続けた従軍手帳が展示されていますが、米粒ほどの文字でびっしりと埋められたこの手記には、犠牲になった現地民に対する遣る瀬ない想いも書かれており、それは後に「青春と泥濘」や「革命前後」に著される戦争の悲惨さや不条理に繋がったのではないでしょうか。

芙美子の手記には、戦争遂行についての資源獲得の重要性といった戦争目的についても記されており、戦争目的について理解していたことが窺えます。また南方での体験は後に代表作となる「浮雲」にも反映されており、この頃の現地民やそこで働く日本人女性達との交流、現地での体験は芙美子に大きな影響を与えたのではないでしょうか。

終戦 1945ー

出典:リビングふくおか・北九州Web

インパール作戦の失敗、サイパン陥落、本土空襲の本格化と、戦局は悪化の一途を辿り、1945(昭和20)年、日本の無条件降伏で戦争は終結しました。

芙美子は疎開先から戻ると、戦争で亡くなった人々に対して「曖昧ではすごされないような激しい思い」をもって執筆を再開。精力的に作品を発表しますが、新聞連載や各地での講演などの過労から心臓弁膜症が悪化し、1951(昭和26)年6月28日に急逝しました。

葦平は1948(昭和23)年に戦争中の活動から公職追放の対象となります。追放解除後は「花と龍」などでカムバックを果たしますが、1960(昭和35)年1月24日、自身の敗戦を描いた自伝的小説「革命前後」の連載終了後に自ら命を断ちました。

二人の思い

芙美子の「戦線」や「北岸部隊」は柔らかい文体ですが、中国人兵士の死には冷淡な視線を向ける描写があり、私は、彼女が戦争にのめり込んでいたのではないかと疑っていました。しかし、終戦後の川端康成宛書簡には「これから嘘をいはないいゝものがかける」とあり、戦時中は作品に嘘があり、それに苦しめられていた事が受け取れます。また展示の年表を見ると、芙美子は南方派遣から帰国後は終戦後までわずかな作品しか残していませんでした。砲煙弾雨の戦場を歩き、無理矢理に戦争に巻き込まれた現地の人びとの惨状にふれ、死があたりまえになるという異常な経験を通して、軍隊が望むような作品を著すことはもう出来なくなったのかもしれません。

戦時中は作品を発表し続けた葦平ですが、敗戦後は公職追放にあい、ペンを折り、太平街や九州書房など作家業ではない商売に邁進しますがいずれも上手くいかず、人々の掌を返したような対応の変化や嘘など、占領下の日本の目まぐるしい変化に翻弄されました。戦後の兵隊三部作への加筆原稿の展示もあります。戦時中は検閲によって削除された部分も多く、当時の状況ではたとえ日記の中といえども本心を曝け出すのは難しかったのではないかと、私は思いました。 戦争は二人の心に深い傷を残し、敗戦後も戦いは終わることがなかったのでしょう。

出典:リビングふくおか・北九州Web

「ペンと戦争ー火野葦平、林芙美子の場合」図録は500円で販売中。充実の内容、読後に展示を見れば新しい発見もあると思うので是非お買い求めいただきたい。

この特別企画展は資料の読み解き方や、作者の考えを押し付けてくるものではなく、その受け取り方は入場者に委ねられています。不安定な世界情勢の中、私たちが日々目にする多くの言葉には様々な思いが込められているでしょう。現在、文章を読み解く力というのは戦時中以上に必要とされているのかもしれません。葦平も芙美子も、書きたかったことがあり、書けなかったことがあります。作者を深く知り、作品を見つめ直して、そこに書かれていない本当の願いを探ることは、私たち自身の言葉の力を高める事にもつながるのではないでしょうか。

昭和100年、戦後80年の節目を迎える今、本特別展は戦争と文学のかかわり、言葉の持つ力についてもう一度考えさせてくれます。

北九州市立文学館
〒803-0813 福岡県北九州市小倉北区城内4−1
093-571-1505
定休日 月曜日
(月曜日が休日の場合はその翌日)、12/29~1/3
開館時間 9:30~18:00
特別企画展観覧料 無料
特別企画展開催期間
7月19日(土)〜9月28日(日)
※常設展入館料は一般240円・中高生120円・小学生60円

URL:https://www.kitakyushucity-bungakukan.jp

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