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日体大なのに「腕立てわずか1回」「レースに出たくないと駄々」…ヨワヨワ21歳が400mで日本新を出せるワケ

  • 2025.7.4

トラック1周で競う陸上400m走。トップレベルの選手はほぼ無酸素で走りきる「究極の無酸素運動」競技だ。スポーツライターの酒井政人さんは「7月4日からの日本選手権に初出場ながら日本新を期待されているのがフロレス・アリエ選手。親のルーツは、ペルー・イタリア・日本にあり、生まれと育ちは日本。6月に、日本人国籍を取得した」という――。

女子400メートル(タイムレース)で51秒71をマークしたフロレス・アリエ=2025年5月3日、静岡スタジアム
女子400メートル(タイムレース)で51秒71をマークしたフロレス・アリエ=2025年5月3日、静岡スタジアム
トラック1周400mほぼ無酸素…女子日本新が出るか

7月4~6日に開催される日本陸上競技選手権(東京・国立競技場)に注目の選手が初出場する。女子400mにエントリーしているフロレス・アリエ(21歳、日本体育大学)だ(予定:予選4日16:25~、決勝5日17:30~)。

これまで日本陸上界では、室伏広治(母:ハンガリー出身)、ケンブリッジ飛鳥(父:ジャマイカ出身)、サニブラウン・アブデル・ハキーム(父:ガーナ出身)ら、いわゆる「ハーフ」と呼ばれる選手が活躍してきた。しかし、フロレスの場合は少し事情が異なる。

父親はペルーと日本、母親はイタリアとペルーにルーツを持つ。いわゆる「クォーター」であり、静岡県浜松市で生まれ育った。日本語での会話も不自由なくできる。

「両親はスペイン語で会話していますが、自分はスペイン語が話せません。でもスペイン語は理解できるので、両親には日本語で返答しています」

ユニークな家庭で育ったフロレスは中学から陸上競技を開始。静岡・東海大翔洋高2年時のインターハイ女子400mで6位に入っている。しかし、3年時は自分の走りを見失い、体重も増加。スランプに陥った。

日体大に進学後もしばらくは苦しんだ。入学直後にハムストリングスを肉離れしたこともあり、体重が60kgを超えた時期もあったという。それでも8kgの減量に成功すると、才能が開花する。

昨季は自己ベストを高校2年時の56秒20から53秒03まで大幅短縮。関東インカレは400mを制すと、200mでも2位に入った。大ブレイクした一方で、ペルー国籍だったフロレスは日本選手権に出られず、「悔しかった」という。

10月の佐賀国民スポーツ大会成年女子300mで従来の日本記録(37秒08)を上回る36秒79で優勝したが、「日本記録」とはならなかった。

そんなフロレスが注目を浴びたのは今年5月3日に行われた静岡国際での女子400mだ。日本歴代2位のタイムを持つ松本奈菜子(東邦銀行)を最後の直線で抜き去り、51秒71をマーク。丹野麻美(福島大)が保持していた日本学生記録(51秒80)を20年ぶりに塗り替えると、日本記録(51秒75)を上回ったのだ。

自己ベストを一気に1秒以上も更新したフロレス。「出したというより、出ちゃったみたいな感じです」と自身の記録に驚いていた。この快走で彼女の存在がメディアで大きく報じられるようになった。

5月中旬の関東インカレはセカンドベスト&大会新となる52秒82で連覇を果たすと、「ラストの向かい風を考えると53秒台後半かなと思っていたので、52秒はビックリしています」と笑顔を見せた。

6月上旬の日本インカレは「日本選手権に合わせて練習の一環」で出場。「10割で走らなくても学生一の意地を見せようと思っていました」と53秒43で連覇を飾っている。

そして昨年から申請していた日本国籍が6月18日付けの官報で取得したと告示された。

日体生なのに「腕立て伏せは1~2回」でも強靭な下半身

アスリートとしては日本国籍で再スタートを切ることになるフロレス。サングラス姿が非常にクールな印象だが、内心はドキドキした状態でスタートラインに立っている。

本人は「集中力がない」という悩みを抱えており、レース時は周囲の動きが気になっていたという。コーチからサングラスの使用を勧められて、「自分のレーンに集中できるように」という狙いでサングラスを着用するようになった。

しかもレース時は毎回のように「走りたくない」と駄々をこねるのが“恒例”になっている。コーチから「1周したらビリでも終わるから」と優しく諭されて、どうにかレースに向かっている状況なのだ。

レースを終えた開放感があるのか、ミックスゾーンではメディアに対して明るく対応してくれるのもフロレスの特徴だろう。

スポーツなら何でも颯爽とこなすイメージだが、意外なことに運動神経は良くないという。

「水泳や球技は得意ではありません。小学時代はバスケ部でしたけど、リズム感がないのでドリブルしながら走ることができなかったんです(笑)」

そのため陸上競技の練習でも「ドリル」などの動きは苦手なようだ。

バキバキの腹筋がカッコいいが、「上半身は下半身と比べて弱いんです」と見た目では想像できないことを言う。昨季は「腕立て伏せが1~2回しかできなかった」くらいなのだ。そのためレースでは脚より先に上半身がきつくなってしまうという。

腕立て伏せをやる女性
※写真はイメージです

そこで冬季は筋力トレーニングを重視。その成果が今季の走りにつながっている。

「去年と体重は変わらないんですけど、20kgも挙がらなかったベンチプレスが40kgまで挙がるようになるなど、特に上半身の筋肉量が増えました。腕振りが大きくなり、ストライドも広がっていると思います。それに昨年よりスピードがついたので、前半からちょっと(スピードに)乗れるようになりました」

400mは「究極の無酸素運動」と言われることがある。トップ選手はほぼ無呼吸で、トラックを1周するからだ。そのためレース直後、大半の選手たちは苦しんでいるが、フロレスはちょっと違う。笑顔で取材に応じており、まだまだ余力を残している印象なのだ。

本人も「自分はケツワレ(お尻から太腿にかけて、筋肉がひきつるような重い痛みが発生すること)もしたことがなくて。乳酸が溜まりにくい体質みたいで、それを生かせているんじゃないかなと思います」と話している。

そのため筆者は400mより800mのほうが向いていると感じているが、「メンタルが弱いので1周で精一杯。もう1周は厳しいです」と本人は800mの参戦に意欲的ではないようだ。

フィジカルの特徴でいえば、チームメイトはレースの1週間前に鍼を打って、本番に向けてコンディションを整えているが、フロレスは3日前に鍼を打っているという。

「治療院の先生の話では『日本人とちょっと身体が違うので、試合の3日前なら全身で70本ぐらい打っても、レース当日にちょうどいい具合に筋肉が緩まっているみたいです」

なお鍼治療をした日はサウナに行って、心身ともリフレッシュするのがルーティンだ。

サッカーのフランス代表のようになる可能性

総務省によると、2024年に日本に住む外国人が初めて300万人を突破した。人手不足が深刻化するなか、地域産業の担い手として外国人の存在感が高まっており、今後も外国人の人口は増加していくとみられている。

国際統計・国別統計専門サイト「グローバルノート」の世界の移民人口 国別ランキング・推移(データ更新日2025年2月18日)によると、トップは約5238万人の米国で日本は約341万人で19位。欧州の先進国と比べると移民人口は多くない。人口が約8482万人のドイツは約1675万人、同約6827万人のイギリスは約1185万人、同約6837万人のフランスは約918万人が移民人口になるからだ。

フランスは移民・難民を多く受け入れてきた歴史があり、さまざまな国から多彩な資質を持った子供たちがサッカーなどで“夢”を目指している。フランスのサッカー代表は大半が先祖のルーツが外国にある選手たちだ。異才が集まる集団がFIFAワールドカップでは2018年大会で優勝、2022年大会で準優勝に輝いている。

日本もハーフ選手だけでなく、フロレスのように海外のルーツを持ちながら日本で育ったアスリートが日の丸をつけて活躍するケースが増える可能性がある。

静岡国際でマークした51秒71はペルー記録で現地の新聞でもフロレスの活躍と国籍の動向が報じられたという。なおフロレスは両親の母国であるペルーに1歳の頃に行ったが、その記憶は残っていない。メンタル的には日本人と同じで、アスリートとしては日本人より繊細かもしれない。

「大学1年時は400mに出ても1分02秒かかかっていたんです。でも、多くの方に支えられて成長できたのかなと思っています。新たな環境で苦しんでいる人もいると思うんですけど、やり切るだけで偉いですし、大学生だから成長できないわけじゃない。注目されることをプレッシャーに感じるよりは、『自分の力にしよう』、もっと注目されるような『すごい選手になりたい』と思っています。これからも成長して、ちょっとでも影響を与えられたらいいですね」

フロレスは開催国枠エントリー設定記録(51秒74)を上回っており、9月に開催される東京世界陸上の個人出場も十分に狙える位置にいる。6月2日に21歳を迎えた彼女は、「日本国籍を取得したら日本記録に挑戦してみようと思います。そして日本選手権の優勝と世界陸上の混合マイルを狙いたい」と話していた。

陸上選手以外にも、プロテニスの大坂なおみ(父:ハイチ出身)、ダニエル太郎(父:アメリカ出身)、MBAの八村塁(父:ベナン出身)など、親のルーツが外国人というアスリートは増えている。陸上界もそのひとつだが、このフロレスの活躍によりこれまでの日本のスポーツ界の「常識」が大きく変化するキッカケになるかもしれない。

酒井 政人(さかい・まさと)
スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)

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