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ダイアナ元妃が着ることのなかった幻のドレス。ジャック・アザグリーが今明かす、知られざる1着の物語

  • 2025.5.31

デザイナーのジャック・アザグリー(JACQUES AZAGURY)とダイアナ元妃の関係は、彼女が亡くなる10年前までさかのぼる。そして1997年8月、2人にとって最後のコラボレーションとなるピースを制作していた当時のダイアナ元妃は、「今まで見た中で一番輝いていて、幸せそうだった」とアザグリーは言う。

飛び抜けて攻めたデザインだったこの最後のコラボレーションピースを、ダイアナ元妃は同年9月に行われたディズニー映画のプレミアに着て行く予定だった。彼女が短い生涯を閉じるその何年か前から、アザグリーは「Famous Five」と総称される、とりわけ型破りなドレスを5着、彼女のために手がけていた。それらはすべて、公務に従事する王室メンバーであった頃は決して纏うことができなかったデザインで、実際、ダイアナ元妃はその5着すべてを、チャールズ皇太子との離婚が成立した1996年8月の前後1年の間に着用している。ようやく本来の自分として、1人の女性として、自由に生きることが認められたことを、ファッションを通じて表現していたのだろう。

「Famous Five」については世間でも広く知られているが、ダイアナ元妃が亡くなる直前に制作された6着目のドレス──その名も「Final Goodbye Dress(最後のお別れのドレス)」──については、これまで伏せられてきた。

ダイアナ元妃が着ることのなかった、ジャック・アザグリーの「Final Goodbye Dress」。
ダイアナ元妃が着ることのなかった、ジャック・アザグリーの「Final Goodbye Dress」。

「あのドレスについては、なんとなくあまり触れてきませんでした」とアザグリーはその理由を語る。「登壇や展覧会のときでさえ、あの1着を見せることはなかったです」

アザグリーは1997年8月31日のことを、「ダイアナ元妃が亡くなった日」とは言わず、「彼女が旅に出かけた日」と言う。あえてその表現を選ぶあたりから、彼の胸の内の痛みがうかがえる。長年、「Final Goodbye Dress」について語ってこなかったのは、あまりにも辛かったからではないかと尋ねると、彼は一瞬考え込んでからこう答えた。「(これまで触れてこなかったのは)ただ個人的にとても大切な1着だからだと思います」。そしてやっと、その思い出の詰まったドレスについて語る心の準備ができたと続けた。

ダイアナ元妃のイメージを刷新した、5つのドレス

1987年にダイアナ元妃が纏い、2023年に約110万ドルで落札されたアザグリーによるドレス。
Diana In Jacques Azagury Design1987年にダイアナ元妃が纏い、2023年に約110万ドルで落札されたアザグリーによるドレス。

アザグリーがダイアナ元妃に初めて会ったのは、彼が2つ目のコレクションに取り組んでいた1987年のことだった。2人を引き合わせたのは、ダイアナ元妃の専属スタイリストを務めていたUK版『VOGUE』の元デピュティ・エディターのアナ・ハーヴェイだ。「(ダイアナ元妃が目の前に現れたときには)もちろん、開いた口がふさがらなかったです。でも一瞬にして、本当に一瞬にして、ダイアナはその場をなごませてくれて、私の緊張も解けました」

それから数週間後、「ダイアナ妃がアトリエを訪問したい」という電話が王室からあった。アザグリーがコレクションで発表した1着のドレスが目に留まったのだという。彼女が実際にイタリアでの公務で身につけた、ブルーの星があしらわれた黒いベルベット生地のそれは、後にオークションに出品され、2023年に当時の推定価格の11倍の約110万ドルで落札された。「ちゃんと会って色々な話をしたのは、アトリエを訪ねてくれたあのときが初めてですね。そして言うまでもなく、彼女がイギリスを発つまさに2日前まで、とても良い感じで一緒にドレスを仕上げられました」

出会ってからの10年間で、アザグリーはダイアナ元妃のために約20着のドレスを作ったと推測するが、自分が思い描いていたものを本当に形にしているのは、「Famous Five」のドレスたちだという。この5着は、ダイアナ元妃のイメージを“王室の一員”から“現代の女性”というものに刷新した。第一号目は、赤いシルクジョーゼットのツーピースチュニック。1995年6月にペギー・グッゲンハイム・コレクションで開かれた、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展のレセプションパーティーで纏われた。その3カ月後には、フィッシュテールスカートが特徴的な黒いシルクジョーゼットの「Bashir」ロングドレスを着用し、ロンドンのブリッジウォーター・ハウスで行われたがん研究支援ガラに出席。翌11月にニューヨークで開催されたCancer Research Ballでも、同じ1枚を身につけた。そして1997年6月3日には、アイスブルーの「Swan Lake(白鳥の湖)」ドレスに身を包み、ロイヤル・アルバート・ホールで同名のバレエを鑑賞。同月18日にワシントンD.C.で行われた赤十字社主催のガラディナーで、「Washington」と名付けられた赤のシルクジョーゼットのコラムドレスを纏った。

1995年、ヴェネチアで開催されたレセプションパーティーで着用したジャック・アザグリーの赤いツーピースドレス。
Diana In Venice1995年、ヴェネチアで開催されたレセプションパーティーで着用したジャック・アザグリーの赤いツーピースドレス。

1997年7月1日、36歳の誕生日にも、ダイアナ元妃はアザグリーによるドレスを身につけ、テート・ブリテンの開館100周年イベントに出席した。その2カ月後に、彼女はパリで交通事故に遭い帰らぬ人となる。スパンコールとビーズが手刺繍された黒いシャンティイレースの1枚は、彼女が公の場で纏う最後のイブニングガウンとなった。

もちろん、その夏がダイアナ元妃にとって最後の夏になるとは誰も知る由はなく、彼女自身も先々の計画を立てていた。黒いピュアシルクジョーゼットの「Final Goodbye Dress」を着る日を楽しみにしていたに違いない。職人の手によってビューグルビーズが全面に刺繍され、大胆に切り取られたネックライン、深いフロントスリット、美しいトレーンを取り入れたデザインのそれは、アザグリー曰く彼女のお気に入りだった。

黒いピュアシルクジョーゼットの「Final Goodbye Dress」には、一面に繊細なビーズ刺繍が施されている。
黒いピュアシルクジョーゼットの「Final Goodbye Dress」には、一面に繊細なビーズ刺繍が施されている。

「このドレスは、かなりハリウッド風にするつもりでした」とアザグリーは言う。「たしか、彼女が旅に出る3週間ほど前から作り始めたと思います」。3回目にして最後のフィッティングは、ダイアナ元妃が亡くなる数日前に行われた。「本当にとてもよく似合っていました」と、当時のことを振り返るアザグリー。「フロントにはかなり深い切り込みを入れていて、いつもより大胆なデザインになっていました。これまで彼女のために制作したほかのドレスを、なんというか、凌駕するような1着になるはずだったのです。このドレスを着たときのダイアナは、本当に本当にきれいでした」。レッドカーペットに見る、ハリウッドならではの煌びやかな世界観を体現するこの1枚を、彼女はさらりと着こなしていたという。

ストラップを除いて、ドレスはほぼ完成していた。そしてダイアナ元妃がいつ戻ってきてもいいように、アザグリーはいまだにストラップをピンで仮留めしている。「最後の調整をするために、彼女が次にアトリエを訪れるのを待っていたのです」とアザグリーは言う。「彼女の帰りを待っていたのです。でも残念ながら、皆さんもご存知の通り、彼女が帰ってくることはありませんでした」

ドレスを通して描かれる、1人の女性の成長物語

「Final Goodbye Dress」のディテール。
「Final Goodbye Dress」のディテール。
ストラップはいまだに仮留めされたまま。
ストラップはいまだに仮留めされたまま。

死後28年を経た今、アザグリーがダイアナ元妃について一番よく覚えているのは、彼女がとても 愉快な人だったということだ。フィッティングはときにバッキンガム宮殿で行われ、またあるときは元妃の方からアザグリーがナイツブリッジに構えていた店舗に赴くこともあった。しかし、場所を問わず、フィッティングは毎回とてもカジュアルだったという。興味深いことに、アザグリーはダイアナ元妃のために、特別なデザインのカスタムドレスを制作することはなかった。時折ガウンの色を変えることはあったが「すべて既存のコレクションのものでした」と彼は語る。しかし、どれも“ダイアナ元妃らしい”ものに完璧に仕立てるようにはしていた。

「何百人というカメラマンが、ありとあらゆるアングルから彼女の姿を撮ることを知っていたので、すべてが完璧でなければならなかったのです。毎回、仕立てに一切の不備がないように細心の注意を払っていました。そして彼女も、そのことを知っていました」。アザグリー自身が感じていたように、ダイアナ元妃は彼に絶大な信頼を置いていた。知り合った当初は、“シャイ・ダイ”という愛称が似合う内気さがまだ彼女にはあったというアザグリー。しかし、10年が経った頃にはその面影はどこにもなく、自信を持って自分の人生を切り開く、1人の強い女性へと成長していた。「姿勢も身なりも彼女からみなぎる自信も、何もかもが知り合った当初とは劇的に違っていました。『Famous Five』のドレスたちは、彼女の成長した自分に対する自信を映し出していたのです」

アザグリーはダイアナ元妃が亡くなる数日前に、彼女と電話で話をした。「最後の電話はとても短いもので、これといったことは、特に話しませんでしたね。でも、最後のフィッティングは本当に楽しかったです。記憶の限りでは、朝の11時からでした。まだ寝癖をつけていたので、起きてわりとすぐに来てくれたんだと思います」。普段のダイアナ元妃は身だしなみが完璧に整っていたため、髪が乱れていたことが特に印象に残っているという。その最後のフィッティングで、彼女は写真家のマリオ・テスティーノからウォーキングの仕方を教わったと話した。「ドレス姿で少し歩いて見せてくれたのです。そういう調子で、いつも楽しく過ごしていました」

1997年、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われた「白鳥の湖」の公演にはジャック・アザグリーのアイスブルーのドレスを着て出席。
Diana, Princess of Wales as Patron of the English National B1997年、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われた「白鳥の湖」の公演にはジャック・アザグリーのアイスブルーのドレスを着て出席。

ダイアナ元妃と交わした最後の会話については、胸の奥にしまっておきたいというアザグリーだが、彼女のために手がけた最後の「Final Goodbye Dress」については積極的に語る。「実を言えば、この1着はダイアナ元妃の人生の最終形態を表しているのです。彼女の魅力、彼女の存在、そして途中で幕が引かれた彼女の物語と人生を表現しています。このドレスは彼女の帰りを、彼女に着てもらえる日を、彼女のこれからの人生の一部を彩る機会を待っていたのです。でも、それは叶いませんでした。だから、心に強く訴えてくるのです」

ダイアナ元妃を失ったことで味わった喪失感は「言葉にし難い」とアザグリーは言う。「どう考えても、彼女は希有な存在でした。世界中の人から愛され、世界中で知られていて、誰もが特別な存在を失ったと感じていました」。公爵夫人時代も公妃時代も、ダイアナ元妃は生涯を通して、さまざまな慈善活動に取り組んだ。加えて、ファッションの世界でも大きな功績を残した。「おしゃれを心から楽しんでいたので、彼女がファッション界に与えた影響が立派な功績であることは忘れられがちだと思います」と語るアザグリー。「次は何を着るのだろう。それが気になって、皆彼女が車から降りてくる瞬間を毎回楽しみにしていました。そしてもちろん、期待を裏切ることはなかったですし、特に最後の何年かはそうでした」

1着でも欠けてはいけない、後世に残したいピースたち

1995年、ロンドンのブリッジウォーター・ハウスで開催されたがん研究支援ガラにて。身につけているのはジャック・アザグリーの「Bashir」ドレス。
Diana At Bridgewater House1995年、ロンドンのブリッジウォーター・ハウスで開催されたがん研究支援ガラにて。身につけているのはジャック・アザグリーの「Bashir」ドレス。

「Famous Five」と「Final Goodbye Dress」は現在、2014年にレネー・プラントによって設立されたバーチャルミュージアム、プリンセス・ダイアナ・ミュージアムのコレクションにすべて所蔵されている。ミュージアムでは、ほかにもダイアナ元妃の衣服や手紙、アクセサリー、幼少期の品など100点以上の思い出の品が揃う。2019年にアザグリーと知り合い、これまで伏せられてきた「Final Goodbye Dress」の存在を知ったというプラントは、4年後の2023年、アザグリーが引退するタイミングでドレスを譲り受けることを打診した。「彼は一も二もなく、私にぜひ引き取って、プリンセス・ダイアナ・ミュージアムで保存してほしいと言ってくれたのです」とプラントは語る。

「Famous Five」と「Final Goodbye Dress」がすべてひとつのコレクションとして残ることは、アザグリーにとって重要なだった。「6着とも揃った状態で残しておきたかったのです。もし公開オークションに出品されていたら、そうはならなかったかもしれません。あのドレスたちを1着も欠けることなく、ひとつの物語として保存するのが私にとってはとても重要なことでした。公開オークションに出品していれば、おそらくもっと高値で落札されていたかもしれませんが、敬虔なコレクターであるレネーがすべて引き取って、後世に残してくれることがとてもうれしかったのです」。だからこそ、長年存在を伏せてきた6着目のドレスも譲り受けたいと打診されたとき、プラントに託すことにしたという。「手元に置いておくくらいなら、彼女に渡してもいいかもしれないと思ったのです。誰の目にも触れられず、私の家に仕舞われておくよりはいいかと。そして、(ダイアナ元妃の)物語のひとつの区切りにもなりました」

1997年、ワシントンで開催されたアメリカ赤十字社のガラには赤い「Washington」ドレスを着用。
Diana, Princess of Wales with Elizabeth Dole attends a fund1997年、ワシントンで開催されたアメリカ赤十字社のガラには赤い「Washington」ドレスを着用。

プリンセス・ダイアナ・ミュージアムを設立するにあたり、プラントは「(ダイアナ元妃が愛用した)ピースをすべて入手し、ひとつの場所に収めること」をミッションに掲げた。「世界中に散らばったピースを再びひとつの場所に集めることを、設立以来ずっと目標にしています。なので、1着でも欠けたらダメなのです。すべてのピースを揃えることに対する私の情熱を、ジャックは感じ取ってくれた気がします。最後のドレスを譲ってくれたことを感謝していますし、このコレションが実現できたことをとても光栄に思っています。まさに運命でした」

1997年、自身の誕生日に参加したテート・ギャラリー開館100周年記念ガラにて。このガウンは公の場で纏う最後のイブニングドレスとなった。
Diana In Jacques Azagury Design1997年、自身の誕生日に参加したテート・ギャラリー開館100周年記念ガラにて。このガウンは公の場で纏う最後のイブニングドレスとなった。

2026年の秋までに集めたコレクションを世界中を巡回する展覧会で展示したいと、プラントは考えている。カリフォルニアから始まり、アメリカ全土、そして各国を周り、イギリスを最終開催地とする大規模な計画だ。「これらのピースは、絶対に実物を見るべきです。そして世界中の人々に見てもらいたいという気持ちが、私のコレクションを構築する原動力となってきました」と言うプラント。「Final Goodbye」ドレスは「実際に見ると、息をのむような美しさの芸術品 」だとも付け加えた。「ダイアナ元妃が着ている姿を鮮明に想像できるような一点ものです。その場にいる人全員の視線を独り占めにしているところが思い浮かびますし、彼女の美しさで話題は持ちきりになっていたでしょうね」

アザグリーはこれまでセレブや首相といった、数多くの著名人のためにルックを制作してきた。だが、毎回会うのを純粋に楽しみにしていたのは、ダイアナ元妃ただ1人だったという。「いつも本当に愉快な人で、彼女と一緒にドレスに取りかかっている時間はいつでも本当に楽しかったです。彼女はどんなときも、幸せそうにしていました」

Text: Rachel Burchfield Adaptation: Anzu Kawano

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