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欧州のヌーディストビーチで過ごした、10代の夏。30年後の今、あの体験はどう変わったのか?

  • 2025.5.26

2017年の夏、私はトップレスについての記事をイタリア版『VOGUE』に寄稿した。

監督、俳優、活動家のリナ・エスコは、2014年の映画『フリー・ザ・ニップル』を通じて、アメリカの公共の場におけるヌードの法制度に異議を唱えた。そのムーブメントは、マイリー・サイラスカーラ・デルヴィーニュウィロー・スミスといったセレブリティの賛同も得て、瞬く間に「#FreeTheNipple」のハッシュタグとともにソーシャルメディア上で大きなうねりとなった。同じ年、アリッサ・ミラノが「me too」と投稿したことで、タラナ・バークが10年以上前に始めた運動に新たな命が吹き込まれたことも忘れられない。この瞬間から、世界は変わった。

その記事で私は、デザイナーのアレッサンドロ・ミケーレとともに、自分たちが若かりし頃のイタリアで体験したヌーディスト・ビーチについて語り合った。リヴィエラ・ロマニョーラのパーティービーチから、アマルフィやソレントのエレガントな海岸、南仏のコート・ダジュールから続く断崖絶壁の入り江、シチリア神話の巨人たちが眠る溶岩の海岸線まで、どこに行っても、水辺にはありとあらゆる体型の人々が当然のようにトップレスで日光浴をしていた。

1990年代、イタリアで育った私にとって、裸の胸は日常風景の一部だった。それに変な目を向ける者はいなかった。ミケーレは、「昔の写真を見返すと、不完全で個性的な胸や身体が写っている。あの時代の“アンビューティー(非美の美学)”は、それこそが究極の美しさだったと思う」と語り、私もまったく同じ感覚を抱いていた。

トップレスは民主的な日常であり、焼けた肌を太陽にさらす若い女性から、パラソルの下でプラスチック容器に入れたパスタを食べるおばあちゃんまで、地中海のビーチにいる女性たちが皆同じように胸をさらけ出していた。そこには美のヒエラルキーなど存在しなかった。当時、ヌードに対する検閲は今よりずっと寛容で、雑誌の表紙にも普通に裸の胸が登場していた。セレブ誌からアートファッション誌まで、胸は当たり前の文化だった。チッチョリーナとモアナ・ポッツィという二人のポルノ女優が「愛の党」という政党を設立したのもその時代。チッチョリーナがウインクする姿が描かれた旗を窓から掲げていた隣人の姿が、今も鮮明に記憶に残っている。

あれから時代は大きく変わった。記事を寄稿した2017年と比較しても、女性の身体を取り巻く政治やファッション、フェミニズムの文脈は激変した。ハーヴェイ・ワインスタインの有罪判決が覆されたり、アメリカで中絶の権利が剥奪されたり。女性の身体はますます「闘いの場」になっている。そのせいか、裸の胸はビーチよりも、むしろランウェイやストリートスタイルに登場することの方が多くなっているように感じる。裸でいることよりも、裸に見えるドレスを着ることの方が人気になっているかのようだ。

2024年、サンローランSAINT LAURENT)やクロエ(CHLOÉ)、フェラガモFERRAGAMO)、トム フォードTOM FORD)、グッチGUCCI)、ルドヴィック ド サン セルナンLUDOVIC DE SAINT SERNIN)、ヴァレンティノVALENTINO)といったブランドがこぞってネイキッドルックを打ち出し、レース、透けるシルク、ボディラインを浮かび上がらせるドレスを発表。サンローランのショーでは、オリヴィア・ワイルドジョージア・メイ・ジャガーエルザ・ホスクがシアーなルックで登場した。今や、露出は「演出」になっているのだ。

2024年2月のサンローランのショーでは、オリヴィア・ワイルド、ジョージア・メイ・ジャガー、エルザ・ホスクなどのセレブリティがシアーなルックを披露。
2024年2月のサンローランのショーでは、オリヴィア・ワイルド、ジョージア・メイ・ジャガー、エルザ・ホスクなどのセレブリティがシアーなルックを披露。

一方で、1993年に当時19歳のケイト・モスライザ ブルース(LIZA BRUCE)のスリップドレスをエリート・モデル・マネジメントの「Look Of The Year」パーティーで着た夜を思い出す。あの写真がそこら中で報じられたとき、彼女の大胆さと上品さに圧倒されたのを覚えている。この世のものとは思えないような笑顔に、後ろでひとつにまとめられた髪。彼女のシンプルでセクシーなスタイルが大好きだった。

ケイト・モスが1993年に纏ったライザ ブルース(LIZA BRUCE)のネイキッドドレスは、2024年にオークションにも出品された。
ケイト・モスが1993年に纏ったライザ ブルース(LIZA BRUCE)のネイキッドドレスは、2024年にオークションにも出品された。

あのスリップドレスは何十年も間、人々の記憶に刻まれ、インターネットで今もなお無数のページを彩っている。ただ、ケイト自身は、あの夜のことを思い返して、あのヌード・ルックがまったくの偶然だったと語っている。「皆がなんであんなに騒いでいたのか、全然わからなかった。コリーヌ[デイ]のソーホーの部屋は暗かったから、あのドレスが透けてるなんて思いもしなかった」。このように、裸のファッションは当時はもっと偶発的で、政治的ではなかった。しかし今、裸はある種の「意図」や「意味」を伴っている。俳優のジュリア・フォックスが、リアルで毛深い乳房と乳首のプリントが施された下着姿で登場したのは、まさにフェミニズムのパフォーマンスだった。パラッツォ・カヴァッリ=フランケッティで催された、第60回ヴェネチア・ビエンナーレでの展示『Breasts』では、母性やエンパワメント、セクシュアリティ、ボディイメージ、病との向き合い方といったテーマが、彫刻、写真、映画を通して描き出された。

シンディ・シャーマンロバート・メイプルソープ、ルイーズ・ブルジョワの作品、そしてベルナルディーノ・デル・シニョラッチョによる『マドンナ・デル・ウムリタ(謙遜の聖母)』という素晴らしい絵画が展示されたこの展示会のキュレーター、カロリーナ・パスティは、「歴史的な観点から『マドンナ・ラクタンス(授乳の聖母)』を含めることは、私にとって非常に重要でした。この親密な表現では、聖母が片方の胸をあらわにして子どもに授乳しており、この自然な仕草が母と子の深い絆を際立たせています」と、私に語った。パスティの眼差しは、乳房という存在に秘められた、強さと脆さの絶妙なバランスをすくい取ろうとしている。私は彼女に、最近の“裸の胸”にまつわる自分の思索を共有し、ビーチとランウェイやストリートとのあいだに横たわる“裸のあり方”の違いについて尋ねたところ、彼女もすぐに同意してくれた。パスティが今最も懸念しているのは、「検閲」だという。ソーシャルメディアは依然として、乳房の露出に対してあまりに厳格だと彼女は言った。

そして夏の足音が聞こえはじめた頃、私は思った。今の時代のヌード・ルックに対する価値観は、ビーチの空気にどう影響しているのだろう? ここ数年、私とミケーレがかつて語り合ったあのヌーディスト・ビーチは、目に見えて保守的になってきたように感じる。かつて筋金入りのヌーディストの女性として、そして戦闘的なまでにトップレスで過ごしてきた自分でさえ、最近は少し臆病になっている。もしかすると、子どもをふたり持つ40代の女性が、水着のトップを脱ぐことに慎重になるのは、ある意味自然なことなのかもしれない。でも、私の記憶の中には、裸の胸で浜辺を見張り、子どもたちに声をかけていたたくさんの母親たちの姿がある。あの光景(文化)はいつ途絶えてしまったのだろう? なぜ? そして、ミケーレの言う「アンビューティー(非美の美学)」の時代は、いつ終焉を迎えたのだろう?

私は自分の裸の胸との関係を取り戻すべく、もう一度あの頃のヌーディスト・ビーチを訪ねてみようと決めた。5月の暖かいある日、ローマ近郊のトップレスOKなビーチをいくつかリサーチし、友人を誘って出かけることにした。母親ふたりに、同い年の女の子2人と男の子2人で。「ちょっとした実験と思って、やってみようよ」と、私は提案した。子どもたちは皆興味がなさそうだったけれど、友人はこの「実験」に乗り気だった。今の時代、とくに都市近郊のビーチでトップレスになるには、暗黙の了解でヌーディズムが受け入れられているような場所を選ばなければならない。ローマで言えば、オスティア南方にある自然保護区のカポコッタ・ビーチがそのひとつ。でも、そこに行くのには少しためらいがあった。私の記憶の中のローマのヌーディスト・ビーチは、砂丘の裏で見知らぬ誰かと出会うような、やや放埒な空気を伴っていたからだ。子どもたちにはそういう経験をさせたくない。今の私は大人なのだから、折衷案を選ぶことにした。たどり着いたのは、ファルファ川沿いにある小さなヌーディスト・ビーチだ。

私たちは友人の車に乗り込み、いざ、向かった。道中、子どもたちは皆文句を言った。「裸のママたちなんて見たくない!」、「ヌーディスト・ビーチに行ったフリじゃダメなの!?」

車を降りた私たちは、おとぎ話に出てくるような森の道を進み、川沿いの道をさらに歩いた。雨が多かったせいで、木々は信じられないほど生い茂っていた。そして、ローマ時代の道の遺構のそばを通りすぎた。周囲は鮮やかな緑に包まれ、空はまるで透けるような青さ。途中、子どもたちがカエルの姿に気を取られて道草を食ってしまったが、あと1マイルほど川沿いを歩くとビーチだという案内が現れた。その道の半ば、ウエストポーチをつけた若い男の子たちとすれ違った。私は彼らに、“典型的なヌーディストの雰囲気”があるかどうか目を凝らして観察したが、そもそもそれが何なのか自分でもよくわかっていないことに気づいた。「ビーチへはこの道で合っていますか?」と尋ねると、彼らはうなずき、意味ありげにニヤリと笑った。私たちが母親であること、もっと広く言えば年齢に対する評価に感じられた。でも私には、年齢主義(エイジズム)に抗して、堂々と胸をあらわにする自由を擁護する覚悟があったのだ。

やがて小石が敷き詰められた小さな砂利浜に出た。人目につきにくく、大きな倒木が道との境界のように横たわっている。ビーチでは若い女の子たちがイヤホンを分け合いながら音楽を聴いていた。しかし、がっかりしたことに、彼女たち全員がビキニの上下をちゃんと着けていた。一人はワンピースの水着の上にショートパンツまで履いていた。それを見た子どもたちは、「ほらね。皆水着を着ているでしょ。変なママたちだって思われたくないよ」と、引き気味。

こうなったら、もう意地だ。私と友人は、ほんの一瞬だけでもいいと水着をすべて脱ぎ捨てて、川に飛び込んだ。息子たちは服も靴も脱がずにビーチに残り、呆然とした表情。娘たちは私たちの後について水着のまま川へ入ってきた。「それで満足?」と息子が言う。「自分が証明したかったことは証明できた?」

正直、自分が何を証明したかったのかはわからない。あの自然体の感覚を取り戻したかったのかもしれない。本能だったのか、パスティが言ったように、「女性一人ひとりの自由という権利に関係する行為」なのか。正直、私にはよくわからなかった。けれど、今の時代、その二つは互いに矛盾するものではなく、むしろ、共鳴し合っているように思えた。服を脱ぐことが、かつてのように自然で民主的なものであると同時に、今ではある種のラディカルな選択になっている。その両立を、私は自分の肌で確かめたかったのかもしれない。それに、私がシアーなドレスで出かける可能性は限りなく低い。でもビーチなら話は違う。私は、これからもずっと本物のトップレス体験を守っていきたい。

川沿いでピクニックをした後、私たちは、次は子どもたち抜きでカポコッタのビーチへ行こうと決めた。自分がずっとやってきたことを再びやることは反逆でも何でもないけれど、それでも確かに、心が少しだけ自由になった気がした。かつて自由だった胸は、これからも自由な胸なのだ。

Text: Chiara Barzini Adaptation: Sonia Kanazawa

From VOGUE.CO.UK

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