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これまでの朝ドラとは真逆の視点… “逆サイドの主人公”を描いたことで見えてきた“恐怖”

  • 2025.6.13
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『あんぱん』第9週(C)NHK

NHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『あんぱん』が6月に入り、戦時下の日本の空気を本格的に描くようになり、目が離せない展開が続いている。

本作は『アンパンマン』の作者として知られるやなせたかしと、その妻・小松暢をモデルとした柳井嵩(北村匠海)と朝田のぶ(今田美桜)の物語。

第1話冒頭では、大人に成長した嵩とのぶの姿がまず描かれる。嵩は作家として『アンパンマン』の絵を描いており、そんな嵩の側にのぶがいるため、時代は戦後で二人は夫婦になったのではないかと想像させる。
そこから時代は過去へと遡り、二人が出会った幼少期から物語がスタートする。

アンパンマンのキャラクターが元ネタとなっている登場人物

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『あんぱん』第2週(C)NHK

本作の脚本家は『やまとなでしこ』や『ドクターX~外科医・大門未知子~』シリーズといった数々のヒットドラマを手掛けている中園ミホ。朝ドラは2014年の『花子とアン』に続いて二度目となるが、小学校の時にやなせたかしと文通をしていた縁もある中園は『アンパンマン』のエッセンスや、やなせたかしが残した名言を劇中に散りばめることで、やなせワールドを朝ドラの中に作り出そうと腐心している。

例えば、劇登場人物の多くは『アンパンマン』に登場するキャラクターがモデルとなっている。

朝田家で暮らしながらあんぱんを作るパン職人の屋村草吉(阿部サダヲ)はジャムおじさん(愛称はヤムおじさん)、のぶの母親・朝田羽多子(江口のりこ)はバタコさんと、名前ですぐにわかる人物もいれば、朝田家の三姉妹のように着物の色と柄、そして本人の性格の印象から、長女ののぶがドキンちゃん、次女の蘭子(河合優実)がロールパンナ、三女のメイコ(原菜乃華)がメロンパンナちゃんではないかと言われている存在もいる。

そのため新キャラが登場すると「どのキャラクターがモデルか?」とSNSでは考察されるのだが、このモデルキャラ探しが実に楽しい。

一方、毎回のタイトルや台詞には、やなせたかしがエッセイ等で書いた言葉が巧みに引用されている。中でも一番重要なのが冒頭で嵩が言う「正義は逆転する」「信じられないことだけど、正義は簡単にひっくり返ってしまうことがある」「じゃあ、決してひっくり返らない正義ってなんだろう?」「お腹を空かせて困っている人がいたら、一切れのパンを届けてあげることだ」という台詞だ。 これはアンパンマンというヒーローについて語っている言葉だが、同時にやなせ自身の戦争体験について語ったものだ。

戦時中に経験した正義の逆転と食糧難で飢えた経験がきっかけで『アンパンマン』というヒーローが生まれた。
では本作は、戦時下の日本をどのように描くのだろうかと見守っていたら、牧歌的な世界が見る見る戦時下の空気に呑み込まれていったため、とても驚いた。

戦前の価値観を疑わないヒロイン・のぶ

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『あんぱん』第9週(C)NHK

主人公ののぶは、教師になりたいという夢を叶えるため、女子師範学校に入学する。そこで黒井雪子(瀧内公美)から厳しい指導を受けて「忠君愛国」、「良妻賢母」という当時の日本の愛国思想を徹底的に叩き込まれる。

一緒に入学した小川うさ子(志田彩良)が黒井の教えに感化される一方、愛国思想を中々受け入れられずにいたのぶだったが、釜次の弟子として働いていた石工の原豪(細田佳央太)に召集令状が届き、出兵する姿を見送ったことをきっかけに、戦地の兵士たちに学校で慰問袋を作ろうと考えるようになる。

そして街頭で献金を呼びかけている姿が新聞に掲載されたことをきっかけに、のぶは「愛国の鑑」と呼ばれるようになり、やがて愛国心を内面化した尋常小学校の教師となる。
一方、次女の蘭子は、豪が出兵する壮行会の夜に彼から告白されて結婚し、豪が戻ってくる日を待ち望んでいたが、豪が戦死したという報告が届きショックを受ける。 周囲の人々が豪は立派だったと言い、のぶも国のために戦死した豪のことを誇りに思えと蘭子に言う中、蘭子は怒りを露わにし、のぶに自分たちの教え子が出兵して戦死したとしても同じことが言えるのか? と問いかける。

豪の告白を受け入れる場面は河合優実の静かで迫力のある芝居もあってか、名シーンとして絶賛された。それだけに豪の戦死は多くの視聴者にショックを与えたのだが、本作がすごいのは戦時下の空気に違和感を抱くのが蘭子で、のぶではないことだ。 むしろ、のぶは戦時下の日本の空気に加担している加害者の側として描かれている。

これまでの朝ドラなら戦時下の空気に違和感を抱える蘭子が主役だが、戦時下の日本を正しいと信じているのぶを、あえて主人公として描いているのが、『あんぱん』の一番の面白さである。

あの時代の日本は間違っていたといくら語っても、終戦から80年も経つと当時の記憶がない人には、戦争の残酷さは年々伝わりにくくなってきている。 ましてや、初めから「あの戦争は間違っていた」と主張するヒロインを出しても、いつもの説教が始まったと思われ、心に響かない。

しかし、のぶのように当時の愛国思想を内面化した女性が本気で日本が勝つと信じている姿を朝ドラの中で見せられると、逆に気になってしまう。

後に日本が敗戦することがわかっている現代人の視点で見ると、彼女の姿はどこか滑稽で痛々しく映る。しかし、自分が生きている時代の常識を疑うことは簡単ではない。

のぶの考えを否定することは簡単だが、いざ、自分の身に置き換えた時に、自分は生きている時代の常識を疑うことはできるのだろうか? 実はとても間違った価値観を内面化しているのではないだろうか? と考えると、とても恐ろしくなる。
「正義は逆転する」と嵩は言うが、自分の生きている時代の大前提となっている価値観(正義)がひっくり返ることを、私たちは想像できるのだろうか?

そして、その逆転が起きた時、自分はどれほどのショックを受けるだろうか?

そう考えれば考えるほど、これからのぶが感じる衝撃を想像して、戦々恐々としてしまう。
信じていた価値観がひっくり返ってしまうこと。
ひょっとしたらそれは、飢えや死よりも恐ろしいことなのかもしれない。


NHK 連続テレビ小説『あんぱん』毎週月曜〜土曜あさ8時放送
NHKプラスで見逃し配信中

ライター:成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。