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「今春の一番好きなドラマ」「圧巻だった」最終回を迎え、“タイトル回収の巧みさ”に心を震わせた視聴者が続出

  • 2025.6.5

桐谷健太が主演を務めたドラマ『いつか、ヒーロー』が、林宏司の脚本のもと、6月1日(日)に最終回を迎えた。正義、贖罪、過去との対峙を主軸に据えたこの作品は、社会派ドラマの名にふさわしく、重厚なテーマと痛快な逆転劇で視聴者を魅了し続けてきた。「今春の一番好きなドラマ終わってしまった」「ずっと予測不能だった」といった声もあがっている。最終回では“ヒーローとは誰か”という根源的な問いに、一つの答えが提示された。

赤山誠司という「反則ヒーロー」の輪郭

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(C)SANKEI

主人公・赤山誠司は、かつて外資系金融で冷酷なハゲタカとして働き、その結果として人の命をも奪ってしまった過去を持つ。のちに児童養護施設の職員となるも、妻の死という喪失と、20年もの昏睡という運命に翻弄される。目を覚ました赤山を待ち受けていたのは、かつての教え子たちの堕落と、ドリーム社による巨大な悪意だった。

赤山の戦いは、自らの過ちと向き合う贖罪の物語であり、かつて守れなかった人々を、今度こそ守るための執念でもあった。“反則”を重ねながらも、なお正義を志す彼の姿に、多くの人がヒーロー像の再定義を見出したのではないだろうか。

最終話で語られる西郡十和子(板谷由夏)の電話シーンは、本作の象徴的なクライマックスである。十和子が明かしたのは、姉がかつて赤山に抱いていた希望……「いつかヒーローになると信じていた」という言葉だった。

この一言が、赤山の生き方を裏付けると同時に、作品全体を包み込む光となった。赤山はヒーローになりきれなかった男かもしれない。それでも、信じ続けてくれる誰かの存在が、彼を“ヒーロー”にしたのだ。このタイトル回収の巧みさに、多くの視聴者が心を震わせた。

もう1人の主役、宮世琉弥“洗脳された教え子”氷室の存在感

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(C)SANKEI

物語の鍵を握るのが、氷室海斗という謎多き男の存在だった。彼の正体は、かつて赤山に救われた教え子・渋谷勇気。氷室は洗脳によってドリーム社の尖兵となり、赤山と対峙することになる。

氷室役を演じた宮世琉弥は、冷徹さと苦悩を併せ持つキャラクターを、短い出番のなかで見事に演じ切った。狂気と孤独をたたえた眼差し、揺れる声、微細な表情の変化。すべてが氷室というキャラクターの二重性を成立させ、物語のサスペンス性を高めていた。SNS上でも「これからが楽しみ」「あらためて最高だった」「圧巻だった」と評判の声が多く見られる。

宮世琉弥の演技力は、すでに連ドラ『君の花になる』や『パリピ孔明』『くるり〜誰が私と恋をした?〜』といった話題作で証明されてきた。だが今作では、“声で語る”より“沈黙で語る”力が問われた。

彼の眼差しやたたずまいは、語られない背景や感情を静かに伝える。ラストで赤山と向き合うシーンでは、かつての教え子としての勇気が戻り、氷室の仮面が剥がれ落ちる瞬間を、圧倒的な説得力で表現してみせた。そこには、ヒーローとは何かを問い直す、本作の精神が凝縮されていた。

物語が描いた「贖罪」と「継承」

『いつか、ヒーロー』が提示したリーダー像は、決してカッコいいものでも、清廉潔白な理想に裏打ちされたものでもなかった。単なる勧善懲悪の物語ではないことを示しながら、過去の過ちを消すことはできない事実を突きつけ続けた。しかし、真っ黒な過去を抱えたままでも、誰かのために立ち上がることはできる。赤山誠司の姿は、“正義”を信じたいと願うすべての人に問いかけた。

ヒーローとは、完璧な存在ではない。過ち、痛み、葛藤を経て、それでも誰かの希望になる存在。信じてくれる誰かの存在があってこそ、人はヒーローになれるのだ。その真実を、本作は静かに、力強く描き切ってくれた。


ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X(旧Twitter):@yuu_uu_