ラッコの主人公やその友人の動物たちが、ギャグを交えた会話をしながら様々な疑問に向き合うマンガ「ぼのぼの」。作者のいがらしみきおさんは2011年、自宅のある仙台市で東日本大震災に遭遇し、「ぼのぼの」やその他の作品の中で震災を描きました。大震災から14年目のいま、いがらしさんに当時のことと、今につながる思いを聞きました。
まさに「被災地」だった沿岸部
パソコンが使えるようになると、新聞社の知り合いから「震災の体験談を書いてほしい」と頼まれました。こういう経験をした自分としても、このことを書きたいという気持ちがわき、「自分にとっても必要なことだ」と思い、書かせてもらうことにしました。
その頃には、自分が体験した強い揺れよりも、沿岸部を襲った津波の被害のほうが甚大だとわかっていました。新聞に文章を載せるなら、津波の被害についても知っておかなければならないと思い、仙台から近く、被害が大きかった七ヶ浜町に、 アシスタント2人と一緒に取材に行きました。七ヶ浜はまさに「被災地」という感じでした。木の上に畳がはさまっていたり、水浸しの車があちこちに転がっていたりしました。交通規制があってあまり進めないかもしれないと思いましたが、誰からも止められず、がれきを取り除くブルドーザーなどの重機を横目に海の近くにも行き、写真を撮りました。
ある場所に、慰霊碑のようなものがありました。その手前までは津波が来たのか、がれきが散乱しているけれど、その碑より高い所はがれきがありませんでした。慰霊碑のようなものは、過去の災害で「ここまで津波が来た」という印だったのでしょうか。なんだか象徴的で、写真に収めました。この光景をイラストにして、新聞社の寄稿につける挿絵にしました。
震災によって変わった漫画の結末
震災は、作品にも影響を与えました。
当時は「I(アイ)」という漫画を連載中でした。医者の息子として恵まれた環境で育ちながらも孤独を感じていた雅彦と、イサオという2人の少年が神様を探し求めて生きていく物語です。1巻で、生まれ育った宮城県の町から2人が出て行く場面まで描き終わった時に震災が起こりました。
2人には世界中を旅させるつもりだったのですが、震災を受けて考えが変わり、福島県で様々な経験をするという展開にしました。エンディングも、イサオが新興宗教の教祖になり、雅彦と再び巡り合って…という内容に変わりました。いや、震災によって「変えさせられた」というべきでしょうね。最終巻では、震災も描きました。
ぼのぼののお母さんは「悲しみの病」に
「ぼのぼの」では震災後、それまで登場していなかったぼのぼののお母さんを描きました。
私は、子どものころから、自分が生きている世界と切り離されているような感覚があり、「この世界は何なのか」「お母さんというのはどういう存在なのか」などという疑問がありました。それを抱えたまま漫画家になり、改めて、そういう疑問について考えてみようと思って、ぼのぼのを描き始めました。ぼのぼのは哲学的だと言われることがありますが、それが理由なのかもしれません。
ぼのぼののお母さんを描いたのは、ファンからの要望がずっとあったからです。お母さんを出すにあたり、テーマを何にしようかと考えて、「悲しみ」を描くことにしました。震災の時に一時行方不明になった飼い猫がそのころ死んでしまい、自分がとても悲しかったことも影響したと思います。
ぼのぼののお母さんになるラッコの「ラコ」と一緒に旅をしていた友だちのクジラが、津波で岸壁に打ちつけられて死んでしまいます。ラコは、ぼのぼののお父さんと幸せに暮らしつつも、大切な友だちを失った悲しみを忘れられずに苦しみ、やせ細っていきます。
最初は、震災を描くつもりではなかったんです。ただ、「悲しみ」をテーマにするとなると、当時の日本人にとっての「大きな悲しみ」だった津波を出さざるを得ませんでした。
一人ひとりに、それぞれにとっての震災がある
受けた被害にもよりますが、あの震災についても、人によって受け取り方はそれぞれ異なると思います。
私にとっては、作品の結末を変えるぐらいには大きな出来事でした。一方、家族や大切な人などを失った人にとっては、人生そのものが全く変わってしまったと感じたかもしれません。
「ぼのぼの」では、悲しみを、自分では何ともできない病気のようなものとして描きました。
ぼのぼののお母さんは「悲しみの病」のため命を落とし、お父さんも同じ病にかかります。でも、お父さんは、悲しみを抱えながらもぼのぼのを育てることで病が癒えていきます。お父さんに「生きてることが 治してくれるよ」と最後に語らせました。
「ぼのぼの 41巻」いがらしみきお(竹書房刊)より
生きていること自体が奇跡
子どものころから世界について疑問を抱き、人の話や映画、科学者の本などを通して考え続けてきた私がたどり着いたのは、「生きていること自体が奇跡」ということです。
私は難聴者であるうえ、これまでに2回、がんという診断を受けて手術などの治療を受けています。そして、「3回目もきっとあるだろうな」と思っています。でも、生きていることが奇跡なので、3回目の診断を受けても、きっとそれほど動じないのではないかと思っています。
どんなに悲しいことがあっても、「なぜ自分が」と思う経験をしたとしても、人は生きていかなければならない。人は、自分で自分の傷を直し直し、生きていくんじゃないか。私はそう思っています。
<いがらしみきおさんプロフィール>
漫画家 1955年生まれ、仙台市在住。1979年にデビュー。1986年から、主人公のラッコが、いじめられっこのシマリスや怒りっぽいアライグマらと遊びや会話を繰り広げる漫画「ぼのぼの」の連載スタート。1988年、「ぼのぼの」で講談社漫画賞。近著に「人間一生図巻」(双葉社)がある。