1. トップ
  2. 恋愛
  3. 【鳥飼茜】女性の権利を語ると「書けるネタがあって良いね」と言われる。身動きが取れなかった時期を乗り越えて『今世紀最大の理不尽 それでも、結婚がしたかった』インタビュー

【鳥飼茜】女性の権利を語ると「書けるネタがあって良いね」と言われる。身動きが取れなかった時期を乗り越えて『今世紀最大の理不尽 それでも、結婚がしたかった』インタビュー

  • 2026.3.7

この記事の画像を見る

漫画家の鳥飼茜さんは、2度の結婚で姓を2回変更。現在のパートナーとの3回目の結婚を考え始める中で、2度目の結婚時から変えていなかった姓を変更するため手続きを経て役所に向かったが、窓口でかけられたのは「今日から法律が変わりました」という言葉だった。姓の変更にまつわる珍事をきっかけに、結婚の不平等性に向き合い、語り尽くしたエッセイが『今世紀最大の理不尽 それでも、結婚がしたかった』(文藝春秋)だ。本書を書き上げた今の心境や読者への思いについて、鳥飼さんに聞いた。

語ってはいけない家庭生活には理不尽や無念が隠れている

――本書の最初の「今日から法律が変わりました」のパートは『文學界』に掲載されて、それ以降は書き下ろされたそうですが、このエッセイを書かれたきっかけを教えてください。

鳥飼茜さん(以下、鳥飼):私は、2回結婚と離婚を経験していて、それってわりと珍しいと思うんですけど、私が個人的に感じた違和感や無念さを、結婚や離婚を経験した人に話していると、全然違うメンバーで行われている結婚なのに、似た形の悔しさを感じている人が多いことがわかったんです。でも、結婚をしていた時の違和感を外で話すことって、世の中的には無礼とか大人げないことだって思われてるふしがあるから、あまり話すべきではないと思っていたんですね。

でも、2回目の離婚をした後、名字変更に関する事件が起きて、それがエッセイの発端になりました。そのエッセイに自分の結婚の話を混ぜたら、私と同じような珍しいことが起きていない人もたくさん、結婚の非対称性に共感してくれて。それどころか、「書いてくれて嬉しい」と言ってもらえて……ちょっと調子に、乗っちゃったんです(笑)。

――(笑)。

鳥飼:ということは、「むやみに語ってはいけない」とされている家の中の話には理不尽さや無念の気持ちがたくさん隠されているんだろうなと。そこに何らかの相似形があるとしたら、日本で男性と女性が法律の下で婚姻する時に起こる基本の理不尽の形があるのではないか。そして、そういうことをオープンに話すことで心が楽になる人がいっぱいいるんじゃないかと思って、書いていくことにしました。

偽った過去を経て素直に書けることがすごく楽しかった

――まえがきでも、自分の体験だけではなくいろんな角度から結婚というものを検証したかったと書かれていますが、いろいろなパートナーシップを築いている方の言葉や客観的事実も交えて、読者ひとりひとりが自分事ととらえつつ、冷静に結婚について考えられるように書かれていると感じました。

鳥飼:よかったです。そういうふうに読んでくださって、ほっとしました。

――それに、すごく語り口が明るいですよね。つらい話も多いけど楽しく読めるのは、鳥飼さん自身の結婚やパートナーシップに対する今のポジティブなモードが影響しているからなのかなと。

鳥飼:正直、今、価値観が合うとお互いに思える人がいることが支えになっているのは間違いないです。ただ、前の結婚や離婚から何年も経ってることが大きいですね。時間が経ってもずっと心にわだかまっているものがあって、これは何なのか、ずっと考えてきて。認知行動療法の専門家に話を聞いてもらったり、本を読んで勉強したりして客観視や検証ができたことで、自分の体験をひとつの事象として書けたんですよね。明るくなったかどうかは自分では意識はしてないんですけど、とにかく、素直に書こうと思いました。私は結婚生活を経て、嘘や飾ることが自分にとって本当に毒だと痛感したので、今回こうやって正直にありのままを書けることが、単にすごく楽しかったんだと思います。

尊厳の問題が「そんなに面倒?」という話にすり替わっている

――選択的夫婦別姓制度がなかなか実現しないことも、結婚制度の問題を象徴していますよね。今回、エッセイを書いて改めてこの法整備が進まない社会的な理由はどういうところだと思っていますか?

鳥飼:選択的夫婦別姓に反対する方は、制度を変えると旧来の家族感が壊れるとかいろいろな理由を語っていますけど、彼らの言い分は結局、「これまで通り女の人が名字を変えればいいじゃん」っていうことなんですよね。名字変更の手間や、仕事で名前が変わって混乱するのがイヤなら通称を使えばいいでしょ?という、利便の話にすり替わっているんです。

これは、面倒かどうかだけの話ではなくて尊厳の話であって。その尊厳を手放してきたほうの言葉は、法律のもとで何の苦痛もなく生きてきた人には見えにくいし、名字を変えていない人に「たかが名字で」と言われてしまう。本当に苦痛だと感じる人にとってのその苦痛が、経験のない人には想像しがたいものだということをまず考えてほしいんです。今の制度で苦痛を感じないのは、たまたま自分が、今の時代とぴったりフィットしたところにいるだけだということ。ラッキーにもマジョリティに生まれ落ちたけど、その状態って、病気とか怪我とか、いろんな出来事で簡単にひっくり返ってしまう。そこに想像の範囲を広げてもらいたいです。

――名字にまつわることに限らず、自分自身、違和感なく過ごせているということは、想像が及ばない誰かのしんどさがあるということですよね。

鳥飼:マイノリティの方の生きづらさの問題と根幹は一緒ですよね。その人がその人らしく生きることを社会が認めてくれないことは、人生の根幹を揺るがすようなことだから。それぞれの性自認に合った自分らしいパートナーシップを築きたい人や、名字は自分のルーツだから変えたくないけど、もうひとりの人間と一緒に生きたいっていう願いを持つ人が、「それぐらい我慢しなさいよ」と言われてしまう。その「それぐらい」の中には、その人の半生を支えてきた尊厳があって。「それぐらい」って言ってる人の中にも尊厳はあるはずだから、想像できると思うんです。

社会に認められることが、我慢や自分を押し殺すこととセットなのだとしたら、そんな社会はすごく怖いですよね。その怖さを感じないで生きられる社会を私たちは目指さないといけないと思います。

個人の感覚ですら世の中の圧を受ける

――鳥飼さんが、エッセイなどの文章と漫画という表現方法をそれぞれどうとらえているのかも気になります。漫画は、物語や主人公への共感が人を動かすことができるのかなと思います。鳥飼さんはこれまで漫画で重いテーマや難しい問題について描かれていて、言葉だけでは伝わらないものを伝えられる、物語の力を信じて執筆されているのかなと想像しました。

鳥飼:いや……私、物語の力をあまり信じていないと思います。

――え! 本当ですか。

鳥飼:特に最近は、物語で伝えるのは本当に難しいなと思います。このエッセイは漫画と同時に書いていたんですけど、現時点ではむしろ、言葉でストレートに言ったほうが伝わりやすいなって思ってます。漫画ってエンタメだから、「私がイヤだと思っているこのことを描きたい」と思っても、やっぱり人を不快にさせてはいけないんですよね。作家の中でも、自分のメッセージを漫画で描いたり、SNSで直球で伝えられたりする人はすごく少ないと思う。私は怖くて言えないし、それを物語で描けばいいって思うかもしれないけど、そんなに簡単なことじゃないなっていうのは、20年ぐらい漫画を描いてきて思いますね。たとえば、『先生の白い嘘』っていう漫画が注目されたのは、当時の社会運動がすごく背中を押してくれたことも大きくて。だから、エンタメと世の中は無関係ではいられないんですよ。

もし私が、世の中が言ってほしくないようなことを言い出したら、それが漫画の中であっても、私は社会的に潰されてしまいかねない。読む側としても、「この表現は政治的でイヤだな」っていうような感覚は、もはや個人の中にはないんです。そういう感覚は、すごく社会の圧を受けるから。

――なるほど……読み手は漫画にそれを期待してしまうけど、ものすごく難しいことなんですね。

鳥飼:本当にこれを次世代のために言いたいと思っても、物語で伝えるのは簡単なことじゃないですね。漫画で本当に自分が腹の中で抱えてることを伝えるのは、世の中の流れだけではなくて、年齢を重ねて、さらにできなくなってます。どこか他人事をなぞって描いているような感じが抜けない時期が続いたので、今回、エッセイで何も飾り立てることなく書けたのがすごく楽しかったですね。

好きな自分でいるために理不尽を理不尽と素直に言いたい

――本書でも、フェミニストとして取材を受けることを個人的な理由もあって断ってきたと書かれていましたが、女性の権利の問題を発信していく難しさを、今、どう感じていますか?

鳥飼:私、今、ようやくフェミニストとして戻ってこられた感覚があって、すごく嬉しいんです。女性の権利について公に話すことは、これまで、本当にどうしたらいいのかわからなかったんですね。以前、当時身近だった人に「女に生まれて、差別とかフェミニズムとか色々書けるネタがあっていいね」と言われたんです。同じ人が、性暴力に遭ったことを告発した女性をニュースで見たとき「この人は(性被害で)一生食えるネタができた」とも言っていて。信じ難いような暴力性に衝撃を受けたのですが、これもまさに現実の一部というか、平場の意見の一端であると思い、自分の発言によりこういう考えを変える努力に、絶望を感じたのです。女性の権利について語ることを「食いぶち」みたいに感じる人と関わりあったことで、身動きがとれない時もあったんですね。

でも、歳をとったせいか、どう思われてもいいやと思い始めて(笑)。そういう人との関係は切れていくし、いろいろな人がいろいろなことを思うことは止められない。私、SNSをまったく見ないから、それも楽ですね。だからって好き放題していいわけではないけど、基本的には、素直にいればいいんだなって今は思ってます。「理不尽だな」と思ったら素直に「理不尽ですね」って言えばいいし、それが食いぶちだと言われても「そう思うんですね」と言うだけ。私は自分が好きな自分でいられることを目指しているから、素直でいることもその一環なんです。男の人でも、「自分はこういうふうに生きなきゃいけないのはイヤです」と言っていくことが、テクニカルにはフェミニズムとは違うけど、同じことだと思います。それを特に肩書きで語る必要がないと、最近は思ってますね。

同じ思いを持つ人に届けたくてたくさん言葉を尽くした

――エッセイがこうして1冊の本になって改めて、自分の体験も含む結婚について書いたことは、鳥飼さんの作家としてのキャリアや人生にどういう意義を持つ経験になったと思いますか?

鳥飼:書くという行為は、人を救う前にすごく自分を救うものなんだなって強く感じました。私は長い期間、ずっと鬱積してたものがあって吐き出す場所がなかったけど、大勢の人がきっと同じ状態なんですよね。私は、ありがたいことに語れる場所をいただけたから、同じように思ってる人に届いてほしくて、本当に言葉をいっぱいいっぱい尽くして書きました。だから、読者とこれまで以上に近いコミュニケーションをしたっていう気持ちがあるんです。本として読者に届くのはこれからですけど(笑)。

近い人たちが共感して「ここで泣きそうになりました」って言ってくれて、それは本当にその人のことを書けた、その人に届いたっていうことだから、こんなに素晴らしいことはなくて。読者とのコミュニケーションが成立したことにすごく意義がありましたね。この本は「書けて良かった」っていう仕事のかなり上位に来ます。だからあの日、法律が変わったことに感謝しないとですね(笑)。

――結婚で誰もが幸せになれる社会を作るために、ひとりひとりができることは何だと思いますか?

鳥飼:他人の気持ちを推し量る以前に、自分がどういう人間として生きて死にたいかということをもっと考えたらいいと思います。私もそれを考えていませんでした。結婚って社会活動だから、社会の中でどういう人間でいたいかを表明するひとつの場面なんですよね。それが合っていない人とは一緒に活動できないはずだし、倫理観や、どういうよき者でいたいかということの相性が合ってる人との結婚は、基本的にはうまくいくと思います。そのためにも、自分がまず、どういう状態が居心地が良くて、自分を好きでいられるのかを徹底的に考えるのがいいと思います。その結果、ひとり暮らしを選ぶ人も多いでしょうし、何人で暮らしても、ペットと一緒でもいい。それ以外のことに頭が行ってしまうから、自分の大事なものを犠牲にしてしまう。そういう、よくわからない順番の入れ替わりが発生してしまう結婚は、幸せではないと思います。

――自分らしくいられる結婚をしよう、ということですね。

鳥飼:自分らしくって、すごく単純で陳腐な言葉なんですけど(笑)。本当に、それに尽きると思います。誰かを助けられる自分でいたいとか、嘘をつかないとか、みんな自分を好きでいるために大切にしたいことがあると思うんです。それが何なのか、自分も含め、まずは知っていきたいですね。

取材・文=川辺美希、撮影=後藤利江

元記事で読む
の記事をもっとみる