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30年前、NHK作品で“役をもらう”も…「帰っていいよ」“大苦労”のすえ快挙を成し遂げた【大物舞台女優】

  • 2026.11.6
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1999年3月、舞台『マスター・クラス』再演の取材に応じる黒柳徹子(C)SANKEI

「黒柳徹子」という名を聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、お茶の間の顔としての姿だろう。『徹子の部屋』は2026年2月に放送50周年を迎えた、言わずと知れた長寿番組だ。

テレビの寵児として愛され続ける彼女には、もう一つの顔がある。それが舞台女優としての顔だ。2013年の演劇賞の授賞式で挨拶をした際には、本人自ら「舞台女優だということをご存じない方も大勢いらっしゃると思う」と発言している。

『徹子の部屋』を続けながら手にした演劇大賞

30年前の1996年11月、黒柳は舞台の上で、伝説のオペラ歌手マリア・カラスを生きていた。

舞台は、テレンス・マクナリーの戯曲『マスター・クラス』の日本初演。引退したカラスがジュリアード音楽院の若き学生たちに特別講義を行うという会話劇である。前年にブロードウェイで幕を開けたばかりの作品だった。

当時、黒柳は63歳。1989年から主演を重ねてきた「海外コメディ・シリーズ」の1本としての挑戦だった。

この年の黒柳は凄まじかった。同じ年の春にはエドワード・オールビー作『幸せの背くらべ』に主演している。老年と中年と青春期、3つの年代の女性を3人の女優が演じ分ける芝居で、高畑淳子らと共演した。

春の『幸せの背くらべ』と秋の『マスター・クラス』の2本で、黒柳は翌1997年、第4回読売演劇大賞の大賞と最優秀女優賞を受ける。平日の午後には『徹子の部屋』の司会を続けながらの快挙だった。

1999年には、ほぼ同じ顔ぶれで再演された。芸術に身を捧げ、ひとりの女性としての幸福を手放したカラスを、黒柳はもう一度演じた。

時給56円の伝票だけつけてもらった新人

そんな彼女にも、挫折と悔しさを味わった新人時代があった。

テレビ放送が始まった1953年、黒柳はNHK放送劇団に入り、テレビ女優の第1号として芸能界に足を踏み入れる。だが、華やかな看板とは裏腹に、最初から役がついたわけではない。役をもらっても降ろされ、帰っていいからと言われる日々が続いた。

2016年、自身の半生を描いたNHKのドラマ『トットてれび』の試写会で、黒柳は当時を振り返っている。現場へ行くと「あ、来ちゃったの?」と言われる。それでもディレクターたちは、時給56円の伝票だけはつけて、帰っていいよと送り出してくれた。

彼女はこれを、恨み節やみじめな苦労話としては語らない。NHKはずっと使ってくれたと感謝を口にし、ディレクターたちを「みんな優しい人だなって」と振り返った。

型破りな個性を救った劇作家・飯沢匡

役を降ろされ続け、自信をなくしかけていた新人。その才能をすくい上げたのが、劇作家の飯沢匡(ただす)だった。黒柳は自著『続 窓ぎわのトットちゃん』の中で、その運命的な出会いを記している。

NHKのラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』で、3匹の子ザルの1匹・トン坊役のオーディションに合格した黒柳。その脚本を手がけていたのが飯沢だった。

紹介された飯沢に、彼女は変な日本語も下手な歌も直す、個性も引っ込めると、あわてて申し出た。そんな新人に、飯沢はニコニコしながら、直してはいけない、そのしゃべり方こそがあなたの個性で、自分たちはそれを必要としていると答えた。

そのままの自分を、初めて丸ごと認めてもらえた。もし飯沢に出会わなければNHKには残っていなかったかもしれないと、黒柳は述懐している。

それから30余年後の1989年、黒柳の海外コメディ・シリーズの幕開けとなった第1作『レティスとラベッジ』の演出を担ったのは、ほかならぬ飯沢だった。1993年までの初期5作は、すべて飯沢の演出だ。

しゃべり方を直さなくていいと言ってくれた恩人のもとで、黒柳は毎年のように舞台の主演を張った。1996年のカラス役は、その積み重ねの先にあった。

シリーズは2018年の『ライオンのあとで』まで、平成の30年間にわたって続いた。2017年には足のけがを負いながら、全編を車いすで演じた。2013年には「永年の翻訳劇に対する情熱と功績」で、菊田一夫演劇賞の特別賞を受けている。

受け継がれるカラスと93歳のモード

黒柳が演じたカラスの足跡は、後進へと受け継がれている。

2025年、『マスタークラス』は元宝塚歌劇団雪組トップスター・望海風斗の主演で、26年ぶりに上演された。望海はのちにこの舞台とミュージカル『エリザベート』の演技が評価され、奇しくも黒柳と同じく読売演劇大賞の大賞を受賞する。

翌2026年7月、その望海が『徹子の部屋』を訪れた。

劇中には、この役を演じてきた人をたどりなさい、という意味のせりふがある。日本でこの役を演じた先人は、黒柳徹子だ。

オペラに詳しくなく不安でいっぱいだった望海は、公演前に黒柳を訪ね、当時の様子を聞いた。黒柳に会えたことがお守りのようになり、安心して役に取り組めたと、望海は番組で感謝を伝えた。

かつて「帰っていいよ」と伝票だけつけてもらっていた新人のもとへ、いまや同じ高みを目指す後進が話を聞きにやってくる。

だが、当の黒柳徹子は、伝説として腰を落ち着けているわけではない。今なお、舞台女優として板の上に立ち続けている。

2026年9月には、ライフワークにしている朗読劇『ハロルドとモード』で、7度目のモード役に臨んだ。破天荒な79歳の女性モードを、93歳の黒柳が演じた。上演に合わせた取材会では、「100歳で20歳も若い役をやったと言うのが楽しみ」と語っている。

モードは、1970年代に舞台を観て出演を強く願い、2020年から演じ続けている役だ。30年前に演じたカラスの先にも、彼女の前にはまだまだ演じたい世界が広がっている。


※記事は執筆時点の情報です

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