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事務所にHPがなく“自らHTMLを手書き”…1日“15万アクセス”で一時代を築いた【ブログの女王】

  • 2026.11.4
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2006年11月、「ECOメッセージ展」のトークショーに登壇した眞鍋かをり(C)SANKEI

“ブログの女王”と呼ばれていた2000年代半ば、眞鍋かをりがステージ上で放ったある一言が、いま振り返ると非常に味わい深い。

20年前の2006年11月、彼女はソースネクストが開いた「ECOメッセージ展」のトークショーに登壇した。ホームページ作成ソフト『ホームページ・ビルダー11』の発表会に続くステージで、ホームページ・ビルダーを使って自作したページをお披露目した。

「本当に簡単に」作れたと話した彼女は、ツールを使わずにHTMLを手書きしていた昔を引き合いに出し、「全然手間が違いますね」とソフトを絶賛した。

製品PRの場とはいえ、人気タレントの口から、手間をかけてHTMLを手書きしていたという昔話がさらりと飛び出す。そこには、用意された場所で発信するだけでなく、自らの手でネットに場所を切り拓いてきた当事者の顔がのぞいている。

1日15万アクセスのブログを紙に換算すると

このイベントで彼女が公開した自作ページのテーマは、「眞鍋かをりのECOな話 ~インターネットでメッセージを発信しましょ!~」。デザインまで自ら手がけた同ページで展開されたのは、ネットで発信すれば、そのぶん紙を節約できるという、ユニークなロジックだった。

2006年10月の時点で、眞鍋の看板ブログ「眞鍋かをりのココだけの話」は、累計約1億2300万アクセス、1日平均15万アクセスという桁外れの数字を記録していた。1回の閲覧をA4用紙2枚分として換算すると、実に2億4600万枚もの紙を節約できた計算になる。

現代の感覚からしても途方もない数字だが、当時の彼女の勢いはまさに規格外だった。2004年6月に開設された眞鍋のブログは書籍化され、2006年の検索キーワードランキングでは著名人の7位に入った。ITやネット関連のイベントには引っ張りだこの状態だった。

同年3月、スパイウェア撲滅を呼びかけるイベントにゲスト出演した際のエピソードも痛快だ。自身のPCを調べたところ、なんと約30ものスパイウェアが見つかったと告白。情報が流出したとしても「ブログの書きかけのワード文書くらい」と語りつつ、プライベートな情報がネット上を半永久的に漂い続ける怖さを訴えた。啓発の場だからと優等生ぶることなく、自分のPCが感染していた事実まで明かしてしまう。

事務所にHPがなかった黎明期のDIY精神

それにしても、彼女がさらりと口にした、HTMLを手書きしていた昔とは、一体どんな時代だったのか。平成の終わりに放送されたNHK Eテレの特番『平成ネット史(仮)』で、眞鍋本人がその黎明期を振り返っている。

当時、所属事務所はまだホームページすら持っていなかった。握手会などのイベントに足を運んでくれたファンに、お礼を伝える場所がどこにもない。それなら自分でやりたいと、眞鍋は本を買い、自力でHTMLを書いて個人のホームページを立ち上げた。ファンとの双方向のコミュニケーションは、事務所のお膳立てではなく、彼女自身の泥臭いDIY精神からスタートしていたのだ。

そのスタンスは、のちのブログ開設にもそのまま通底している。グラビアアイドルとしてデビューし、優等生のような印象で見られ続けることに息苦しさを感じていた彼女は、真面目一辺倒ではない一面を見せる場を欲していた。一人称に「オイラ」を選んだブログは、そのイメージを心地よく裏切っていく。

2005年12月に「ブログ普及委員会」の委員長に就いたときには、ブログを始めてから読者とほどよい距離でやり取りができ、本音も書けるようになったと話した。

事務所がステージを用意してくれるのを待つのではなく、自らの手で居場所を作り、そこから発信してきた。「全然手間が違いますね」という一言は、HTMLを一から書いたことのある人の、偽らざる実感だったのだと思う。

道具が変わっても変わらない自分の場所

そんな一時代を築いた「ココだけの話」も、2010年10月末に閉鎖される。最後の更新はその年の1月で、過去の記事もすべて読めなくなった。

だが、彼女の発信への思いが途絶えることはなかった。翌2011年5月31日、自身の誕生日に、眞鍋はlivedoor Blogでブログを再開する。約1年4カ月ぶりの更新では、書く場所を取り戻せたうれしさを綴っている。

そして今年2026年10月28日、眞鍋は自身のInstagramのストーリーズで、足の骨折を明かした。骨折した状態のまま生放送や収録をこなしていたことも、自分の言葉で添えている。

事務所にホームページすらなかった時代、ファンにお礼を伝えるために本を買ってHTMLを書いたのが始まりだった。発信の道具はその後、ブログ、そしてSNSへと移り変わった。だが、20年がたっても変わらないものがある。

それは、大切な言葉を誰かの手に預けず、自分の手元にある場所から届けるやり方だと思う。


※記事は執筆時点の情報です

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