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“発売予定はなかった”…CMに問い合わせが殺到した【伝説ソング】『瞳をとじて』を超えた一曲

  • 2026.10.17
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2003年12月、レストランバー「VERANDA」で80人のファンを招いてミニライブを行った平井堅(C)SANKEI

落ち込んでいる誰かの背中を見かねて、外へ連れ出したくなる日がある。何を話せばいいのか手探りのまま、他愛のない冗談で笑わせようとしたり、そっと肩に手を置いてみたりする。けれど、別れて一人になった帰り道、ふと胸が軽くなっているのは自分のほうだった。そんな覚えのある人に、そっと手渡したくなる歌がある。

平井堅『思いがかさなるその前に…』(作詞・作曲:平井堅)ーー2004年10月6日発売

励ます側の歌として始まりながら、歌い終えるころには、励まされていたのは歌の中の「僕」のほうだったと気づかされる。ゆったりとした歩調、耳元で話しかけるような親密な声。大げさに背中を押すのではなく、隣に腰を下ろして同じ景色を眺めるような温度で、聴く人の心をほんの少し前へと向かせてくれる。

同じ2004年の春には『瞳をとじて』があり、この年の平井堅を語る際はどうしてもそちらが先に立ちがちだ。だが秋に届いたこの1曲には、それとはまた異なる、素朴で優しい手ざわりがある。

自分を案じる問いが最後に相手の夢へ向き直る

一聴すると、傷ついた大切な人に寄り添う恋の歌として響く。語りかける相手は「キミ」。落ち込んだその人の手を取り、外へ連れ出そうとする僕がいる。手を握るしぐさが繰り返し描かれ、言葉にしきれない思いが、触れ合う手の感触に託されていく。

だが、聴き進めるうちに、「キミ」が具体的に誰なのかが一切明かされていないことに気づく。恋人とも、わが子とも、昔の自分とも読めるのだ。さらに「キミ」と「君」で使い分けもされている。宛先を一人に決めないからこそ、聴き手はそれぞれの記憶にある誰かの顔を、自然とその余白へ当てはめられる。

曲の中ほどで、僕は「キミは僕のことを忘れてしまうのかな」と問いかける。相手の記憶に自分が残るかを案じる、切実な不安だ。ところが終盤に近づくと、その問いは「キミは君の夢を忘れてしまうのかな」へと静かに移り変わる。忘れられることを恐れていた僕が、最後にはキミ自身の夢を気にかけているのだ。

どちらの問いも「のかな」と柔らかく閉じられる。責めるでもなく独り言に近い温度で置かれているから、答えを急かされない。連れ出していたはずの僕が、その道すがらで救われていく。自分に向いていた不安が相手の未来へと回り込むこの視線の移動が、この歌を本物の励ましへと変えているように思う。

幼い自分と大人の自分が交わす往復書簡

この問いの移り変わりは、題名とも深く結びついている。平井堅はこの歌に、2通の手紙を重ねている。1通は、子どもだった自分が未来の大人へ宛てたもの。もう1通は、大人になった自分が昔の自分へ宛てたものだ。異なる時間を生きてきた思いがひとつの場所で交差する。その重なり合いは、題名の「かさなる」とも響き合っている。

そう知ってから聴き直すと、最後の問いの響きはさらに奥行きを増す。「君の夢」とは、子どもの頃の自分が抱いていた夢そのものとも読める。大人の僕が昔の僕へ、あの夢を忘れてしまうのかと問いかけると同時に、幼い僕もまた、今の大人を見上げている。一人の人間の中で、二つの年齢が向かい合っているのだ。

子どもの頃の夢を忘れていないかという問いは、一歩間違えれば説教に聞こえかねない。だがこの歌がそうならないのは、問いかける大人自身もまた、昔の自分から見つめ返されているからだ。上から言い聞かせる位置には、誰も立っていない。

手紙の宛先は、今も聴き手に向けて開かれたままだ。誰もが自分の来し方や願いを重ねられる余白があるからこそ、この歌は聴く人それぞれの人生を重ねて完成する。

飾らない音の輪の中で声だけが語り続ける

作詞・作曲は平井堅、編曲は亀田誠治。サウンドは驚くほど素朴でストイックだ。温かみのあるアコースティックギターの響きを土台に、哀愁を帯びた弦の音がそっと寄り添い、少し遠くからノスタルジックなブルースハープの音色が風のように響く。どの楽器も声の前に出ようとせず、歌の周りに静かな空気をこしらえている。音の重なりが薄いぶん、平井堅の声のかすかな揺れや息の残りまでが生々しく耳に届く。

ブルースハープの少し鼻にかかった枯れた響きは、夕方の校庭や帰り道を思わせる。子どもの頃の自分へ手紙を出す歌であることを思うと、その音色は、過去の時間へと通じる小さな窓のようにも聞こえてくる。

平井堅の声は、その素朴な音の輪の真ん中で圧倒的な親密さを保ち続ける。力任せに押し出すのではなく、目の前の一人に話しかけるような距離感で言葉を置いていく。抑制の利いた低音で語りかけ、サビではふわりと高音へ向かって声の幅を広げていく。そして終盤、言葉のないスキャットが流れる場面では、言い尽くせなかった気持ちのすべてが、純度の高い声の形のまま差し出される。

問い合わせの声に押されて

この歌は、もともとCDシングルとしてリリースする予定で書かれたものではなかった。発端は、トヨタ『カローラ フィールダー』のCMソングとしての書き下ろしである。

CMには平井堅本人が出演し、少年と並んで伴奏のないアカペラでこの曲を口ずさんだ。一切の装飾を削ぎ落とした肉声は、画面の前にいる人の耳へまっすぐ届いた。そして何より、子どもと大人が並んで同じ歌を口にするその映像は、幼い自分と大人の自分が交わす手紙という詞の核心とも鮮やかに重なって見えた。放送後、あの歌をCDで聴きたいという問い合わせが相次ぎ、シングルとしての発売が決まったのだ。

同じ年の春に出た『瞳をとじて』は、週間ランキングで最高2位に留まっていた。ところがそれから約5か月後、リスナーの声を受けてシングル化されたこの歌が、週間ランキングの1位に立つ。聴き手の求めに応えてシングル化された歌が頂点まで届いた。送り手の計画より先に、聴き手の耳がこの歌を選んでいたのだ。誰かに向けて歌ったはずの声が、聴いた人の側から呼び戻される。その成り立ちは、励ますつもりで励まされていく詞の構図とどこか重なっている。

ちなみにその2つの間にリリースされた『キミはともだち』も名曲なので、ぜひセットで聴き返してほしい。

節目の舞台でかつての自分へ返事を書く

リリースから20年以上が経った2025年5月13日。デビュー30周年を迎えた平井堅は、横浜アリーナで「Ken's Bar」のステージに立った。第1部の最後、KANの『エキストラ』がピアノ独奏で奏でられたあと、ギターの音と平井堅の歌声だけで、この曲が静かに届けられた。

最初は誰かを連れ出すための恋の歌として出会った人も、歳月を重ね、迷いや挫折を経験するなかで、いつしか昔の自分と今の自分のあいだで交わされる歌として受け止めるようになっていくはずだ。そうした人生の重みを受け止め、聞こえ方の移り変わりに寄り添うだけの包容力が、この曲にはある。

誰かを連れ出す姿を描いた歌は、歌う本人にとっても、昔の自分へ宛てて書き足していく手紙になっていたのではないか。客席へ向けて歌われたこの1曲の宛先には、30年前に歩み始めた若き日の平井堅自身も確かに含まれていたように思う。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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