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15戦全勝、伝説のレプソル・ホンダ「NSR500」 ドゥーハンはなぜ“暴れ馬”スクリーマーを選んだのか?

  • 2026.9.11

15戦全勝という圧倒的な強さを見せた1997年のホンダ「NSR500」。その中心にいたミック・ドゥーハンが選んだのは、当時主流だった同爆のビッグバンではなく、より扱いの難しい等間隔爆発のスクリーマーだった。なぜ絶対王者は“暴れ馬”を選んだのか。4年連続の世界チャンピオンを支えたライディングと、NSR500に投入された技術を振り返る。

PHOTO/T.HOASHI TEXT/RIDERS CLUB

ドゥーハンだけが選んだスクリーマーと、15戦全勝を生んだNSR500の進化

1997年、レプソルカラーのNSR500は全15戦中15勝という偉業を成し遂げた。

ホンダは1シーズンの優勝回数記録と連勝記録を更新。その強さは、他メーカーを完全に沈黙させるほどのものだった。エースのミック・ドゥーハンは12勝を挙げ、数々の年間記録を樹立して4年連続の世界チャンピオンを獲得した。

前年の1996年型をそのまま持ち込んだとしても、十分にチャンピオンを狙えるほどの優位性を持っていたNSR500。それでもホンダは決して開発の手を緩めなかった。

さらなる速さを求めて挑んだ大きなテーマのひとつが、エンジンの爆発間隔だった。

1990年代に入ると、500ccのGPマシンはピークパワーだけを追求するのではなく、その強大な力をライダーがいかに安全かつ効果的に引き出せるかという「乗りやすさ」が重要視されるようになっていた。

1997 HONDA NSR500
1997 HONDA NSR500

そのひとつの回答として、ホンダが1992年のNSR500で採用したのが「同爆」、いわゆるビッグバンエンジンだ。

爆発するタイミングを近づけることで、リアタイヤがグリップを回復する時間を作り、トラクションを得やすくする。スライドをコントロールしやすく、スロットルを開けやすいという大きなメリットをもたらし、その後の500ccクラスに大きな影響を与えた。

ところが1997年、ホンダは再び「等間隔爆発(スクリーマー)」に挑戦する。

最高出力そのものは同爆と変わらない。しかし、トラクション特性やライダーが感じるフィーリングはまったく異なっていた。

等間隔爆発は微細な振動を伴い、低回転域からのスムーズなトルク伝達という点では同爆に劣る部分もあった。

オフシーズンのテストで、6人のNSR500ライダーのうち、このスクリーマーエンジンを選択したのはドゥーハンただひとりだった。

他のライダーたちは、トラクション感やトルク特性に優れ、コントロールしやすい同爆エンジンを選んでいる。

1997 HONDA NSR500
上側2気筒のシリンダーヘッド。プラグから伸びるコードは燃焼室内の圧力センサー。上側2気筒分の排気チャンバー(チタン製)の間に、リアクッション上側をマウントするフレームがあり、そこに取付けられたカーボン製プレートがシートカウルとチャンバーを支持。

なぜドゥーハンだけが、扱いが難しく、タイヤへの負担も大きいスクリーマーを選んだのか。

そこには、彼の卓越したスライドコントロール能力と独特のライディングスタイルが深く関係していた。

ドゥーハンにとって同爆はグリップそのものは悪くない一方で、いざ滑り出した際のコントロールが難しかった。反対に等間隔爆発では、滑り始めの挙動を予測しやすく、限界域でタイヤの状態をより細かく感じ取ることができたのだ。

さらにスクリーマーの特性は、ドゥーハンのマシンの走らせ方にも合っていた。

彼はコーナリング中にフルバンクしている時間が短く、マシンを起こしていく動きとエンジンの回転上昇を連動させるスタイルを持っていた。

その走りによって等間隔爆発の鋭い吹け上がりを生かしながら、タイヤの摩耗を抑えることにも成功する。

その違いは、レース結果にもはっきりと表れた。

開幕戦では2位のアレックス・クリビーレに11秒もの大差をつけて独走優勝。

中盤までは両者とも1分25秒台のラップタイムを刻んでいたが、終盤になるとクリビーレはタイヤの消耗によって1分27秒台までペースを落とした。

対するドゥーハンは、26周目まで1分25秒台をキープ。その後も1分26秒台にとどまった。

1997年のドゥーハンは、こうしてレース終盤になっても速さを失わず、ライバルを突き放す戦い方で勝利を積み重ねていった。

もちろん、1997年型NSR500の進化はエンジンの爆発間隔だけではない。

車体や補機類にも、当時のホンダが持つ最先端の技術が惜しみなく投入されていた。

1997 HONDA NSR500
クラッチとリアブレーキのマスターシリンダーはブレンボ製のフルアジャスタブル。グリップの脇に走行中に甘くなるレバーの遊びを調整する調整ダイヤルが備わっている。外観は同じだが’97年型になって剛性バランスを見直したスイングアーム

まず追求されたのが、空力と吸気効率だ。

スポンサーカラーやゼッケンが変わらないため、外観だけを見れば1996年型との違いは大きくない。しかし、フロントカウルとスクリーンの曲面はより緩やかなものとなっている。

なかでも特徴的なのが、ラム圧加給用ダクトの位置だ。

前年より高い位置へ変更されており、空気抵抗を減らすだけではなく、蓄積されてきたラム圧加給のノウハウが反映されていた。カウリングそのものが、吸気性能を左右するデバイスとして機能していたのである。

空力性能と吸気効率を車体全体で考えるという発想は、現在のMotoGPマシンにも通じるアプローチだ。

車体側では、スイングアームの剛性バランスも見直された。

強大なエンジンパワーを確実に路面へ伝えるためには、単純に剛性を高めればいいわけではない。タイヤやサスペンションを含めた車体全体の動きを考えながら、適切なバランスを探る必要がある。

スイングアームの剛性をどう最適化するかというテーマは現在のレーシングマシンでも重要な開発項目であり、当時のホンダもすでにその領域を深く追求していた。

さらに興味深いのが、電子制御やデータ解析につながる装備だ。

メーターパネルの裏側には、マグネシウムボディを採用したRCバルブ駆動用モーターが配置されている。

そして、スパークプラグ座面から伸びるコードの先には「燃焼室内の圧力センサー」が備えられていた。

エンジン内部で実際に何が起きているのかを把握し、より精密な開発につなげようという試みである。

一方で、レースを戦い抜くための細かな工夫も随所に見られる。

軽量化のためにクランクケース左端のカバーを廃止。ショーワ製リアショックユニットは伸縮両方向の減衰力に加えてガス圧も調整でき、工具を使わず手で操作できる構造となっていた。

ブレンボ製マスターシリンダーには、走行中でもレバーの遊びを調整できるダイヤルを装備している。

ひとつひとつは小さな工夫に見えるかもしれない。

しかし、コンマ1秒を争うグランプリでは、その積み重ねが大きな差になる。

1997年のNSR500が興味深いのは、すでに圧倒的な強さを持っていたにもかかわらず、ホンダがそこで立ち止まらなかったことだ。

「乗りやすさ」を大きく進歩させた同爆のビッグバンから、より高いレベルのコントロールをライダーに要求する等間隔爆発のスクリーマーへ。

誰もが扱いやすい方向へ進むのではなく、それを使いこなせるライダーがいるのなら、さらに速さを引き出せる可能性を追求する。

そしてドゥーハンは、その可能性を結果へと変えた。

さらにラム圧加給の最適化、スイングアームの剛性バランスの見直し、燃焼室内圧力センサーの採用など、マシンのあらゆる部分で次の速さが模索されていた。

1997年のNSR500は、単に「15戦全勝したマシン」というだけではない。

圧倒的な優位に立ってなお、未知の領域へ踏み込み続けたホンダ。そして、扱いの難しいスクリーマーを自ら選び、その性能を引き出したミック・ドゥーハン。

マシンとライダー、その双方が高い次元で噛み合ったからこそ生まれた15戦全勝だった。

1997年のNSR500は、その記録とともにロードレース史に残る名機なのである。

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