1. トップ
  2. エンタメ
  3. ドリー・パートンが語った「母親にならなかった人生」。仕事、夫、そしてマイリー・サイラスとの絆とは?

ドリー・パートンが語った「母親にならなかった人生」。仕事、夫、そしてマイリー・サイラスとの絆とは?

  • 2026.8.31
Jeff Kravitz / Getty Images

2026年8月25日(現地時間)、80歳でこの世を去ったカントリー界のレジェンド、ドリー・パートン。1966年に結婚し、2025年に夫を亡くすまで長年連れ添った彼女には、子どもはいなかった。ドリーが子どもをもたなかった理由とは?

「最終的に自身のキャリアの成功につながった」

カントリーミュージック界の女王としてだけでなく、俳優や慈善家、実業家としても活動したドリー・パートン。2026年8月25日(現地時間)、彼女の甥であるブライアン・シーバーがインスタグラムに動画を投稿し、80歳でこの世を去ったことを公表。『People』が公開した声明で彼女の代理人は、「短期間のがんとの闘病の末に亡くなった」と明らかにした。

ドリーは1966年5月に、カール・ディーンと結婚。2025年3月に82歳で亡くなった彼と約60年にわたり夫婦として歩んできたが、生涯、子どもをもつことはなかった。その理由については、2020年にApple TV+の番組『The Oprah Conversation』に出演した際、ホストのオプラ・ウィンフリーに対し、「母親にならなかったことで得られた自由が、最終的に自身のキャリアの成功につながった」と明かしている。

「子どもがいなくて、夫もかなり自立した人だったので、私は自由でした。だから、私が成功できた大きな理由のひとつは、“仕事に打ち込む自由”があったことだと思います」

ドリーは、これまでの人生で犠牲を払ってきたとしながらも、子どもをもたなかったことにも、自分なりの意味があったと考えていたという。

「神は私に子どもをもたせるつもりはなかったのだと思います。だからこそ、世の中の子どもたちをみんな自分の子どものように思い、『Imagination Library(ドリーが始めた子ども向けの無料の絵本贈呈プログラム)』のような活動もできた。もし仕事をする自由がなかったら、これまでやってきたことは何もできなかったでしょう。今、私がしていることもできる立場にはいなかったと思います」

子どもがいる未来を夢見たことも

子どもをもたなかった理由について語っていたドリーであるものの、夫カールとは、もし女の子が生まれていたら付ける名前まで決めていたという。2014年12月、『The Guardian』のインタビューで、ドリーは「もし子どもがいたら、どんな姿になっていたのだろう」とカールとよく考えていたとのこと。

「夫と私は結婚したばかりの頃、もし子どもがいたら、どんな姿になるんだろうってよく考えていました。夫は背が高いから子どもも背が高くなるのかな、それとも私に似て小さくてずんぐりした体型になるのかなって」

「もし女の子だったら、カーラと名付けるつもりでした。そうやって話しながら、子どもがいる未来を夢見ていたんです。でも、それは私たちの運命ではなかった。今、年を重ねた私たちは、それでよかったと思っています」

また、もし母親になっていたら、仕事との両立は難しかっただろうともいい、「きっと私は、いい母親になっていたと思います。でも、たぶん他のすべてを諦めていたでしょう」とコメント。母親になった自分を想像しながらも、仕事や音楽に人生を捧げてきたドリーは、子どもをもたなかったことについて、自身のキャリアとの関係をこう振り返っている。

「子どもたちを置いて仕事やツアーに出ることに、罪悪感を抱いてしまったと思うから。人生はすべて変わっていたはず。おそらく、私はスターにはなっていなかったと思います」

名付け親としてマイリー・サイラスを見守り続けたドリー

2025年の『People』のインタビューでは、子どもをもたなかったことで、仕事やツアーのために子どもを残していく罪悪感を抱かずに済んだと振り返った。

「私は人生ずっと、とにかく走り続けてきました。『いったいどうやって自分の人生を生きてきたんだろう? どうやってすべてやり遂げたんだろう?』って思うんです。この本をまとめていて、自分が人生でどれほど多くのものを犠牲にしてきたのか、本当に実感しました」

「私は子どもをもたなかったので、少なくとも罪悪感を抱かずに済んだ。自分の夢がかなうのを見ることができたことには、感謝しています」

NBC / Getty Images

そんなドリーは、マイリー・サイラスの名付け親としても知られており、マイリーが生まれる前から、その人生に深く関わっていたという。マイリーの父親である歌手ビリー・レイ・サイラスは、1990年代にドリーとツアーを共にしており、娘の誕生前から、ドリーに名付け親になってほしいと頼んでいたそう。

ドリーとマイリーの絆はとても深く、マイリーが10代後半に入り、ディズニー・チャンネル時代のイメージから大きく変化した際も、ドリーは彼女を公に擁護。マリファナや過激なパフォーマンスなどをめぐって世間を騒がせたマイリーについて、ドリーは2014年に『TIME』でこう語っている。

「マイリーがどれほど聡明で才能のある子なのか知らなかったら、心配していたかもしれません。でも、私は彼女が成長していく姿をずっと見てきました。だから心配していません。彼女は自分が何をしているのか分かっています」

“ドリーおばさん”としてマイリーだけでなく、多くの子どもたちを見守り、支えてきたドリー。そんな彼女にとって、母親になることとは、必ずしも自分の子どもをもつことだけではなかったのかもしれない。

元記事で読む
の記事をもっとみる

注目コンテンツ