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30年前、“奇抜なファッション”でブームを牽引した【ド派手な少女】早口なデビュー曲とは?

  • 2026.9.25
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1997年8月、ニッポン放送「ゲルゲットショッキングセンター夏祭り」に出演した篠原ともえ(C)SANKEI

街のあちこちに、原色があふれていた。蛍光色のハーフパンツにサスペンダー、頭のてっぺんで結んだお団子、前髪はまっすぐに切りそろえる。テレビの向こうで跳ねている少女の格好を、教室の女の子たちが翌週には真似していた。合い言葉とポーズまでそっくりに。

同じ頃、街のもう半分はモノトーンだった。細い眉に茶色の髪、ミニスカートにブーツ。大人びた安室奈美恵の「アムラー」と、子どもっぽさを全開にした篠原ともえの「シノラー」。1996年の女の子は、どちらの色を着るかで自分の居場所を選んでいた。

その騒がしい空気の真ん中で鳴っていたのが、この曲だ。当時「うるさい曲」で片付けた人ほど、いま聴き直すと面白い。

篠原ともえ『クルクルミラクル』(作詞・作曲:石野卓球)ーー1996年8月1日発売

真似されたのは歌よりも本人の格好

篠原ともえ本人の服装を、多くの若者が真似した「シノラー」ブーム。生地を選び、色を重ねた衣装でテレビに登場し、全身で自分らしさを表現していた。その自由でエネルギッシュな姿は、『クルクルミラクル』の明るく弾ける世界観にも、そのまま重なっていた。

この曲は、シノラーブームをさらに盛り上げた一曲だった。文化祭で篠原ともえの格好を真似する子がいたり、教室で曲に合わせて踊る子がいたりした。じっくり聴き込むというより、みんなで体を動かして楽しむ曲として広がっていったように思う。その勢いを音楽の面から支えていたのが、プロデューサーの石野卓球だった。

石野卓球らしさが弾けた高速テクノポップ

篠原ともえは、1995年のデビュー曲『チャイム』から石野卓球のプロデュースを受けていた。石野の音楽は、硬質な電子音だけでなく、耳に残るフレーズやユーモア、勢いのある展開も大きな魅力だ。『クルクルミラクル』も、その持ち味を素直に押し出した一曲といえる。

速い打ち込みのビートに、短いシンセのフレーズが何度も重なる。使われている音は意外に少ないが、休む間もなく繰り返されるため、曲には強い疾走感が生まれている。明るくにぎやかな音色も含めて、石野卓球らしい遊び心に満ちたテクノポップだ。

そこへ篠原の高い声と早口の歌唱が加わることで、曲の勢いはさらに増した。石野卓球が特別に別の作風へ寄せたというより、もともとの音楽性と篠原のキャラクターがうまくかみ合った。その相性の良さこそ、この曲の面白さだ。

楽しそうな声が曲の勢いを決めた

子どもの頃は、ただにぎやかな曲だと思っていた。ところが大人になって聴き直すと、篠原ともえの歌い方に驚かされる。

言葉を早口で詰め込んでも、一つひとつがきちんと聞き取れる。サビで音が高くなっても声は細くならず、打ち込みのビートにも埋もれない。楽しそうに歌っているだけのようで、実際にはかなり難しいことをさらりとやっている。

とはいえ、曲全体に大げさな狙いを読み込む必要はないのかもしれない。石野卓球が得意とする速くてにぎやかなテクノに、篠原が持ち前の勢いで飛び込んだ。その組み合わせが素直に面白く、結果としてテレビから流れてきても強く耳に残る曲になった。同じ1996年には『LOVE LOVE あいしてる』への出演も始まり、篠原をテレビで見る機会も増えていった。

原色を縫う手は当時から動いていた

いま篠原ともえは、ファッションデザイナーとして服を作っている。あの派手な少女と、いまの職業のあいだに落差を感じる人もいるだろう。だが実際には地続きだ。目立つための原色を、自分の手で縫って着る。その本気は当時からあった。

だからこの曲は、1996年の標本として棚に飾る曲ではない。いまの本人を測るものさしとして、まだ現役で鳴っている。騒がしい夏の真ん中で、自分の色を自分で作っていた女の子の声が、そこに録音されている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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