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なぜ、この二人が歌うと別格なのか? 井上陽水と玉置浩二が「神宮球場で初披露」した名曲とは?

  • 2026.9.15
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1986年8月、東京・神宮球場で行われたジョイントコンサート「スターダスト・ランデヴー」より(C)SANKEI

1986年夏、井上陽水と安全地帯による神宮球場のジョイントコンサートで初披露された『夏の終りのハーモニー』。作詞を陽水、作曲を玉置浩二が担い、二人の異なる歌声を生かした二重唱として生まれた。

印象的なのは、美しいハーモニーだけではない。曲の前半では二人がフレーズを受け渡し、サビで声を重ねていく。その構成が、二人で歌うからこその深い余韻を与えている。

井上陽水・安全地帯『夏の終りのハーモニー』(作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二)ーー1986年9月25日発売

終わりの合図として書かれた歌

1986年8月20日と21日、東京・神宮球場で井上陽水と安全地帯のジョイントコンサート「スターダスト・ランデヴー」が開かれた。『夏の終りのハーモニー』は、この2日間を締めくくるために二人が書き下ろし、その場で初めて披露した曲だ。その夜の演目をすべて歌い終えたあとの曲。急がない歩幅で進み、言葉数を絞り、歌い終えたあとの静けさまで含めて一曲になっている。

シングルとして店頭に並ぶのは、それから約1か月後になる。夏の終わりの夜空の下で鳴った歌が先にあり、その記憶を持ち帰るための盤が、あとから出た。

二つの声がひとつの歌になる

この曲でまず心をつかまれるのは、玉置浩二が書いた美しいメロディだ。ゆるやかに高みへ向かい、余韻を残しながら降りてくる。その流れに、井上陽水と玉置という、個性のまったく異なる二つの声が乗る。

陽水は言葉と少し距離を取り、独特の間を残して歌う。玉置の声は、旋律の動きに感情を細やかに沿わせていく。声の質感も、歌い方も似ていない。一見すると溶け合いそうにない二人なのに、どちらも相手の声を押しのけず、自分の個性も消さない。片方が歌い終える気配を受けて、もう片方が自然に入ってくる。その受け渡しには、長く音楽を共にしてきた二人だからこその呼吸がある。

交互に歌う場面は、パートの分担というより会話に近い。同じメロディの中に二人の時間が流れ、ひとつの言葉が片方からもう片方へ渡されるたび、曲の感情が少しずつ深くなる。うまさを競うのではなく、互いの声を聴きながら歌う。その余裕が、別れを描いた言葉を静かに心へ染み込ませていく。

二人のうまさが生む美しいハーモニー

そして二人がハモると、異なる声の色は消えるのではなく、かえって鮮やかになる。陽水の声が高く伸び、玉置の声が彩りを加える。どちらか一方に寄せるのではなく、それぞれの響きを保ったまま重なるから、メロディが一段深く、豊かに聴こえる。

普通ならぶつかりそうな二つの個性を、ひとつの響きへまとめているのは、二人の確かな歌唱力だ。音程を合わせるだけではなく、声を出す強さや息の流れまで互いに感じ取っている。そのためハーモニーは技巧の披露にはならず、曲の切なさをそっと押し広げる。

安全地帯はメジャーデビュー前、バンドとして井上陽水のライブでバックを務め、その経験を経て1982年にデビューした。陽水との関係は玉置個人だけのものではなく、安全地帯というバンドの歩みそのものに深く結びついている。その後も陽水は『ワインレッドの心』や『恋の予感』の詞を提供し、両者はそれぞれの場所で大きな成功を収めた。

だから1986年の神宮球場は、陽水と玉置という二人の歌い手が並んだだけの舞台ではない。かつてバックを務めた安全地帯が、一組のバンドとして陽水と再び同じステージに立ち、その最後にこの曲をともに鳴らした場でもあった。その積み重ねの上で、陽水と玉置の声が向き合い、寄り添う。美しいメロディ、二人の呼吸、個性を残したまま溶け合うハーモニーには、陽水と安全地帯が重ねてきた時間まで響いている。

違うまま重なるから忘れられない

2017年11月、井上陽水と玉置浩二はNHK『SONGSスペシャル』で、31年ぶりにこの曲をともに歌った。長い歳月を隔てた再演が大きな話題になったのは、神宮球場で生まれた二人の歌声が、それほど特別な記憶として残っていたからだろう。

『夏の終りのハーモニー』は、一人でも歌える。実際、玉置によるセルフカバーをはじめ、さまざまな歌い手が取り上げてきた。それでも原曲へ戻ると、陽水と玉置、どちらの声も欠かせないと感じる。似た声がきれいに溶けるのではなく、異なる個性が異なるまま寄り添う。その危ういほどの釣り合いが、玉置のメロディをいっそう切なく響かせる。

曲の終盤でも、二人は相手に合わせて自分の色を薄めたりはしない。陽水は陽水のまま、玉置は玉置のまま歌い、最後には二つの声が美しく重なる。ハーモニーとは、違いを消すことではない。違う二人が互いの声を聴き、ひとつの歌をつくること。その当たり前で難しいことを、これほど胸に染みる形で聴かせてくれる曲は多くない。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

(文・篝火花かほり)

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